壁に貼られた規範の文章を、人は読まない。読んでも、それでは動かない。統治を束ねる座に着いて最初に気づいたのは、その素っ気ない事実だった。では何が人を動かしているのか。私は組織の裏側に手を入れ、配線をたどり始めた。電気のように、報酬と評価と昇進が、見えない経路を通って一人ひとりの判断に届いていた。かつて私を正義病へ追い込んだものも、その経路の先にあった。

規範は地図、配線は電流

審査員だった頃、私は規範の文言を信じていた。書いてあるとおりに人は動くはずだ、動かないなら違反だ、と。経営者になって、文言と現場の間に谷があることを知った。だが統治の座から見ると、谷の正体がはっきりした。規範は壁に貼られた地図にすぎない。実際に人を動かしているのは、その地図とは別に走る電流だった。

電流とは何か。月次の評価表。賞与の算定式。昇進の通り道。「今期は何件処理したか」を問う指標。誰が会議で発言を許され、誰が黙らされるか。これらが人の手足を動かす。規範が「こうあるべき」と語る一方で、配線は「こうすれば報われる」と静かに命令する。人は前者を暗唱し、後者に従う。

規範は人が何を言うかを決め、配線は人が何をするかを決める。

私はかつて、言葉と行動の食い違いを偽善と呼んで裁いた。今は違う見方をする。食い違いは性格の欠陥ではない。配線図がそう描かれているだけだ。

私を正義病にした配線

古い自分を配線図の上に置いてみた。すると、なぜあれほど取締りに固執したかが、性格ではなく経路で説明できた。

差し戻し件数で評価された

審査員の働きは「何件止めたか」で数えられた。通した案件は見えず、止めた案件だけが手柄になる。配線は私に、止める理由を探せと命じていた。

見逃しだけが罰せられた

過剰に止めても誰も咎めない。一件でも見逃せば責任を問われる。非対称な罰が、白を黒と見る方へ私を傾けた。

グレーを残すと無能とされた

「判断保留」は決断力の欠如と読まれた。だから私はグレーを無理に白か黒へ振り分けた。メタ認知を欠いたのではない。配線がメタ認知を罰していた。

三つの経路が重なった先に、あの病があった。正義病は私の心の弱さから生まれたのではない。私を取り囲む配線が、その行動に報酬を流していたから育った。これは赦しではない。診断だ。原因を性格に帰す限り、次の審査員もまた同じ病にかかる。配線を描き替えない限り、病は人を替えて再発する。

過剰と健全は同じ電源から出る

意外だったのは、行きすぎた取締りと、本物の健全さが、別々の源から来るのではないという発見だった。両方とも同じ電源──インセンティブの配線──から出ている。流す向きが違うだけだ。

観点正義病を生む配線健全さを生む配線
数える対象止めた件数正しく通し、正しく止めた質
罰の向き見逃しだけを罰する過剰な取締りも見逃しも問う
グレーの扱い保留を無能とみなす保留と相談を有能の証とする
沈黙の扱い異論を出す者が損をする異論を出す者が報われる
時間の幅今期の件数だけ見る数年後の信頼まで見る

同じ人間が、配線次第で取締官にも、思慮深い擁護者にもなる。だから統治の仕事の核心は、立派な規範を起草することではなかった。電流の向きを引き直すことだった。私は評価表を一枚ずつ開き、それが人に何を命じているかを読んだ。文章ではなく、算定式の中に、組織の本当の意思があった。

配線は本人にも見えない

最も厄介なのは、配線が当人に見えないことだ。人は自分を、信念に従って動く主体だと感じている。報酬の経路に従っているとは思わない。だから「なぜそうしたのか」と問えば、規範の言葉で答える。本当の理由──それで報われるから──は意識の下に沈んでいる。

私自身、審査員の頃に「正しいからこう裁く」と信じきっていた。配線が見えていれば、自分が件数のために裁いていると気づけたはずだ。気づけなかった。配線は、それに従う者の目には映らないように敷かれている。だから統治の座は、当人に代わって配線を見る座でなければならない。個人の良心に期待するのは、地図を渡して電流を放置するのに等しい。

正義病 III ── 全 10 回の地図

  1. 第 1 回: 着任 ── 統治の座から見えた景色 ── 統治の最上段に着いた審査員あがりの主人公が、初めて組織を一個の生き物として見る。
  2. 第 2 回: ルールは結果にすぎない ── 規範の下流にある文化 ── 条文は原因ではなく結果。文化と慣習がルールを生む。下流だけ直しても行動は変わらない。
  3. 第 3 回 (本回): 配線図 ── インセンティブが行動を決める ── 人を動かすのは規範でなく報酬・評価・昇進の配線。誰が何で報われるかが、過剰な取締も健全さも生む。
  4. 第 4 回: 取締役会の死角 ── 最上段の座は視野を広げ、同時に新しい死角を生む。情報が上がらず、全会一致が目を閉じる音になる構造を見る。
  5. 第 5 回: 建前と実態のあいだの谷 ── 統治の座から見えた、掲げた価値と現場の振る舞いが乖離する深い谷
  6. 第 6 回: 「違反を探す」をやめる ── 判断が育つ条件を設計する ── 摘発から、良い判断が自然に芽吹く土壌づくりへ。統治の本質の転換を描く。
  7. 第 7 回: 内部通報という鏡 ── 通報の数と沈黙は、組織の健全性をそのまま映す鏡である。
  8. 第 8 回: 組織のメタ認知 ── 会社が自分を見る ── 個人のメタ認知を組織規模へ。自らの偏りと盲点を会社が観察し修正する仕組みを、統治の座から描く。
  9. 第 9 回: かつての自分が、いま見える ── 統治の座から、白黒で裁いていた審査員時代の自分を見出す。あの正しさも配線と文化の産物だった。
  10. 第 10 回 (最終回): 統治者の日々是好日 ── 最上段でなお自分を疑う。守るのは規則でなく人の判断力と信頼の密度。静かな自己監視の日々。
結語

統治の座から見えるようになったもの。それは、組織が掲げる言葉の裏で静かに走る、報酬と評価と昇進の配線図だった。人を善くも悪くもするのは説教ではなく、この回路の向きだ。立派な規範を百回唱えても、配線が逆を向いていれば人は逆へ歩く。

私はかつて、人を白黒で裁いた。今わかるのは、あの白黒もまた、私を取り巻く配線が点した灯だったということだ。裁くべきは人ではなく回路だった。規範を起草する手を止め、私は算定式に手を入れ始める。組織の良心は、文章の中ではなく、誰が何で報われるかの中に宿っている。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 規範は地図、配線は電流。壁に貼った文言でなく、評価・賞与・昇進の経路が実際の行動を決める。人は前者を暗唱し、後者に従う。
  2. 正義病も配線の産物だった。差し戻し件数での評価、見逃しのみへの罰、保留を無能とする扱い──三つの経路が過剰な取締りに報酬を流していた。
  3. 過剰と健全は同じ電源から出る。立派な規範を起草するより、誰が何で報われるかの向きを引き直すことが統治の核心。
出典・参考文献
  1. Steven Kerr On the Folly of Rewarding A, While Hoping for B Academy of Management Journal, 1975. (Aを報酬しBを望む報酬設計の倒錯を古典的に論じた論文)
  2. W. Edwards Deming Out of the Crisis MIT Press, 1986. (個人評価制度が系の最適を壊すと論じ、配線の問題を先取りした)
  3. Edgar H. Schein Organizational Culture and Leadership Jossey-Bass, 1985. (報酬と地位の配分が文化の実態を形づくる仕組みを分析)
  4. Chris Argyris Teaching Smart People How to Learn Harvard Business Review, 1991. (建前の理論と実際の行動理論の乖離=ダブルループ学習)
  5. Amy C. Edmondson The Fearless Organization Wiley, 2018. (異論や保留を罰しない心理的安全性が行動の質を変える)
  6. Lynn Sharp Paine Managing for Organizational Integrity Harvard Business Review, 1994. (規律の管理から統合的なインテグリティへの転換を論じる)