薬の資料をつくる人は、二つの重さを同時に持つ。事実から一ミリもズラさない正しさと、相手にちゃんと届く伝わりやすさだ。この二つは時にぶつかる。本シリーズは、その綱引きに負けないための力を一つずつ言葉にしていく。まず全体の地図から始めよう。

料理人が背負う二つの責任

町の食堂を思い浮かべてほしい。料理人には二つの仕事がある。一つは、傷んだ材料を出さないこと。これは安全の問題で、譲れない。もう一つは、その料理をおいしく、食べやすく出すこと。盛り付けや味つけの工夫だ。腕のいい料理人は両方をやる。だが、もし新鮮さを犠牲にして見た目だけ良くしたら、それは客をだましたことになる。

製薬資材をつくる人も、これとよく似ている。資材とは、医師や患者に渡すパンフレットや説明資料のことだ。つくり手は二つを同時に背負う。一つは事実への忠実さ。承認された情報(国が認めた効きめと副作用の情報)から一歩もズラさないこと。もう一つは伝える設計力。むずかしい話を、読む人に正しく届く形にすること。この両立は見た目より難しい。伝わりやすくしようとする工夫が、いつのまにか事実をズラす方向に働くことがあるからだ。

つくり手が背負う問い ── 事実からズラさず、しかし相手に正しく届く。この両方を、同じ一人が同時に成り立たせられるか。

普通の人が、圧力の下でズレていく

運転免許の教習を思い出してほしい。事故を起こす人の多くは「悪い人」ではない。急いでいた、慣れていた、ここだけは大丈夫だと思った。普通の人が、状況に押されて一線を越える。資材づくりの逸脱も、これと同じ構図で起きる。

厚生労働省の委託事業として、医薬品の販売情報提供活動を監視する報告書が毎年まとめられている。社名は伏せられているが、そこには実際に指摘された逸脱がいくつも並ぶ。報告された事例では、グラフの縦軸を一部だけ拡大して、本当は小さい差を大きく見せていた。別の事例では、本来0.8から始まる生存曲線の縦軸を0から始めて、二つの薬に差がないように見せた。主要な評価項目は資料すら用意せず、たまたま良い数字が出た副次的な項目だけを説明した例もある。わずか9例(4例 対 5例)で、統計の解析もないグラフから効果を主張した例もあった。

これらをやった人は、自分が嘘をついているとは思っていない。ここが一番こわい。売りたい結論が先にあると、データの読み方も見せ方も、知らないうちにその結論に引っぱられていく。本シリーズではこの心の動きを、四つの深層ドライバー(行動の奥で働く動機)として整理する。

ドライバー口ぐせ・サイン報告された事例での現れ方
動機づけられた推論
(結論が先に来る)
「データを見れば明らかだ」差がないグラフを、差があるように軸を加工
局所合理化
(ここだけ、の心理)
「1スライドだけだから」製品情報概要は正しいのに説明スライドだけ拡大
不作為の罪
(語らないことで逃げる)
「聞かれなかったから」主要評価項目を出さず、COI(利益相反)を誰も開示せず
責任の外部化
(他人のせいにする)
「教授も問題ないと言っている」有意差のない結論を権威の名で押し通す

大事なのは、これらが「悪人」の所業ではないと理解することだ。普通のつくり手が圧力の下で陥る、心の回路である。だから本シリーズの目的は、誰かを断罪することではない。つくり手が、自分の中にあるこの回路に自分で気づき、自分で止められるようにすることだ。

力を3つの役割・8つに分ける

空港の保安検査を思い出そう。検査は一つの動作ではない。荷物を預ける前のチェック、ゲートでの確認、そして搭乗後にも記録が残る。段階ごとに別の目で見るから、見落としが減る。資材づくりの力も、つくる流れに沿って役割を分けると見通しがよくなる。

本シリーズでは、つくり手の力を3つの役割に束ね、その中に8つの力を置く。順に追えば、つくる前・つくる最中・出す前後の全体が見える。

役割いつ働くか含まれる力
確かめるつくる前(1)出典接地力 (2)釣り合い設計力 (3)誤認予測力
形にするつくる最中(4)規制翻訳力 (5)訴求設計力
正す出す前・後(6)自己審査力 (7)改訂対応力 (8)信頼蓄積力

たとえば、先ほどのグラフ加工の事例を止めるのは(1)出典接地力と(6)自己審査力だ。承認された元データに必ず戻り、出す前に自分が一番きびしい審査者になる。COIの不開示を止めるのは(8)信頼蓄積力。聞かれなくても先に開示する習慣が、長い信頼をつくる。それぞれの力は、第3回以降で一つずつ詳しく扱う。

二軸で見る ── 忠実さが設計の天井を決める

校正刷り(印刷前の確認用ゲラ)を思い浮かべてほしい。どんなに美しいレイアウトでも、書いてある事実が間違っていたら、その紙は世に出せない。見た目の良さは、中身の正しさを超えられない。資材も同じだ。

本シリーズは、つくり手の力を二つの軸で見る。横軸が事実への忠実さ(接地)、つまり出典にどれだけ忠実か。縦軸が伝える設計力(到達)、つまり相手にどれだけ届くか。この二軸で四つの組み合わせができる。

設計力が低い設計力が高い
忠実さが低い危ない素人
(正しくないし届かない)
危ない売り込み
(最も危険)
忠実さが高い正しいが届かない本道
(目指す場所)

ここで一番こわいのは、右下の隣、低い忠実さ×高い設計力だ。説得力があるのに事実からズレている。読み手はうまい見せ方に引き込まれ、間違いに気づけない。だから本シリーズは一つの原則を立てる。忠実さが設計の天井を決める。接地(出典に戻れること)が低ければ、どれだけ設計が上手でも、その資材の価値の上限は低いままだ。訴求のうまさで出典接地の穴は埋められない。これを「非代償ゲート」と呼ぶ。床(必ず満たす条件)と総合点(卓越)は分けて考える。

L1からL4 ── 力の育ち方を四段階で見る

健康診断の結果表を思い出してほしい。数値が一つあるだけでは、良いか悪いか判断しにくい。基準と段階があるから、いまどこにいて次に何を目指すかが分かる。力の育ち方も、段階で見ると評価しやすい。

本シリーズは、8つの力それぞれをL1からL4の四段階で見る。同じ「出典接地力」でも、言われた通り一回やるだけの人と、仕組みごと標準をつくれる人では、力の深さがまるで違う。

段階ひとことで言うと出典接地力での例
L1言われた通り、その案件だけ指示された箇所だけ出典を貼る
L2型を覚えて再現する毎回同じ手順で全主張に出典を付ける
L3なぜを理解し応用するなぜ接地が要るかを理解し、新しい資材でも自分で判断
L4仕組みごと設計し標準をつくるチーム全員が接地できるチェックの仕組みを設計

段階を分けるのは、人を格付けするためではない。いま自分がどこにいて、次の一歩がどこかを見えるようにするためだ。L1から始めるのは恥ではない。問題は、L1のまま「型」を覚えずに、なんとなくの感覚で資材をつくり続けることのほうだ。次回からは、この地図に沿って8つの力を一つずつ歩いていく。まずは二軸の話を、もう少し深く。

良い資材をつくる人の力 ── 全 10 回の地図

  1. 第 1 回 (本回): 本質の問い ── つくる人は「正しさ」と「伝わりやすさ」の両方を背負う ── 資材をつくる人は事実への忠実さと伝える設計力を同時に背負う、という本シリーズの出発点を平易に描く序論。
  2. 第 2 回: 二軸で力を見る ── 「事実への忠実さ」×「伝える工夫」 ── 資材をつくる力を「事実への忠実さ」と「伝える設計力」の二軸で並べ、四つの型に分ける。最も危ないのは説得力だけ高い誤認。忠実さが設計の上限を決める。
  3. 第 3 回: 出典に必ず戻る力 ── すべての主張を承認された根拠に紐づける ── 資材の一つひとつの数字・図・言い回しを、承認された元データまでさかのぼれるかを問う回。孫引きと脚色を見つけ、接地(事実への忠実さ)の床を固める力を扱う。
  4. 第 4 回: 釣り合いを設計する力 ── 効果と副作用を同じ重さで ── 良い面と注意点を、配置・文字量・視線の流れで同じ重さに保つ設計の力。
  5. 第 5 回: 誤解を先回りする力 ── 読み手がどう読み違えるかを想像する ── 資材を出す前に、相手がどこで読み違えるかを先に見つけて防ぐ力。
  6. 第 6 回: 訴求と正確の両立 ── 売りたい気持ちに事実のブレーキをかける ── 正確という枠の中で、誇張に頼らず最大限に届かせる訴求設計力。事実のブレーキを利かせながら、伝わる強さをつくる第6の力を扱う。
  7. 第 7 回: 規制を形に翻訳する力 ── ルールを「禁止」で終わらせず設計に変える ── 規制を「やってはいけない一覧」として丸暗記するのではなく、なぜその規制があるのかを読み解き、資材づくりの設計指針に変える力を四段階で扱う。
  8. 第 8 回: 自分で先に審査する力 ── 出す前に、自分が一番きびしい審査者になる ── 提出前に自分の作を疑い、社内審査より先に自分が一番きびしい審査者になる力。
  9. 第 9 回: 指摘を受け止める力 ── 差し戻しを「否定」でなく「精度」に変える ── 差し戻しは人格否定ではなく資材の精度を上げる情報。感情と事実を切り分け、指摘を次の標準に変える力。
  10. 第 10 回 (最終回): 信頼を積む ── 「この人の資料は安心」へ、そして力の統合 ── 信頼は一回の出来栄えではなく、積み重ねでできる。「この人の資料なら出典に戻れる」という安心が審査者や発注者に貯まると、確認の手間が減り、8つの力が一つの仕事として回りだす。最終回。
結語

つくり手は、正しさと伝わりやすさの両方を一人で背負う。そして逸脱は悪人ではなく、圧力の下の普通の人に起きる。だからこの問いは、誰かを責めるためではなく、自分の中の回路を自分で見張るためにある。

本シリーズは、3つの役割・8つの力・二軸・L1〜L4という地図でこの問いに向き合う。忠実さが設計の天井を決める ── この一線を床に置いて、次回からは二軸を一つずつ深く歩いていく。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 二つを同時に背負う. つくり手は事実への忠実さ(接地)と伝える設計力(到達)を一人で両立させる。どちらか片方では資材は成り立たない。
  2. 逸脱は普通の人に起きる. 報告された事例の軸加工やチェリーピッキングは、動機づけられた推論・局所合理化・不作為・責任の外部化という、誰の中にもある回路から生まれる。
  3. 忠実さが天井を決める. 最も危険なのは低忠実×高設計の「説得力ある誤認」。訴求で出典接地の穴は埋められないため、接地を絶対の床に置く。
出典・参考文献
  1. 厚生労働省 医薬・生活衛生局 監視指導・麻薬対策課(委託事業). 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書(令和6年3月ほか各年度). 指摘事例は社名匿名で公表。本稿の逸脱事例はここに基づく一般化。
  2. 厚生労働省. 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン. 製品情報概要・説明資料が満たすべき正確性と公正性の基準。
  3. 日本製薬工業協会. 製薬協コード・オブ・プラクティス. 情報提供の倫理と利益相反の取り扱いに関する業界自主基準。
  4. 医薬品等適正広告基準(厚生労働省). 効能効果・安全性の表現が誇大・誤認を招かないための基準。薬機法第66条・第68条に対応。