社長室の窓は高い。営業も、マーケティングも、メディカルアフェアーズも、そしてかつて私が机を並べた資材審査の部屋も、ここからは同じ床に並ぶ小さな区画に見える。だが、見えることと仕えることは違う。私はいま、二人の主君を持っている。一人は数字で語り、一人は規範で語る。どちらも私に忠誠を求め、どちらも裏切れない。二君に仕えるとは、忠誠が二つに割れたまま立ち続けることだと、社長になって初めて知った。この連作で私が正義病と呼んできたものは、ここでは「どちらか片方を選べ」という誘惑の顔をして現れる。
二人の主君を見分ける
経営という主君は、今期の売上、成長率、市場シェアで私に語りかける。締めがあり、待ってくれない。コンプライアンスという主君は、適正広告基準、社内規程、そしてまだ起きていない不祥事の影で語りかける。締めはなく、何かが壊れたときに初めて姿を現す。どちらの声も同じ社長室に届く。厄介なのは、片方が悪役ではないことだ。
片方が間違っていれば話は楽だった。間違った主君なら斬って捨てればいい。だが二人とも正しい。売上がなければ薬は患者に届かず、規範がなければ薬は信じてもらえない。正しいもの同士が、同じ私の署名を奪い合う。
| 観点 | 数字の主君(経営) | 規範の主君(コンプライアンス) |
|---|---|---|
| 測るもの | 今期の売上・成長率・市場シェア | 適正性・説明可能性・信頼の残高 |
| 時間の単位 | 四半期。締めがあり、待ってくれない | 年単位。壊れると回復に数年かかる |
| 満たされる時 | 目標を超えた時。明快で、祝杯がある | 何も起きなかった時。沈黙が成果で、誰も褒めない |
| 社内の声の大きさ | 大きい。数字は会議の主語になる | 小さい。止めた案件は記録に残らない |
一つの決裁が二つに裂ける
忠誠は会議と会議の間で割れるのではない。一枚の決裁書の上で、同じ朝に裂ける。先週、それがはっきり見えた一件があった。
一枚の説明会資料
新しい経口糖尿病薬の医師向け説明会資料。競合品との比較グラフが一枚入っている。営業部が「これがあれば現場は動く」と言って上げてきた。
営業の正義
第3四半期、目標まで八パーセント足りない。年内にこの資料が通れば、二百人のMRが同じ言葉で説明できる。届けたい医師の顔が、彼らには見えている。
審査の正義
そのグラフは別々の試験の数値を並べたもので、頭の比較に見える。適正広告基準では認められない。資材審査は差し戻した。線を引くのが彼らの仕事で、線は正しい。
社長の机
二つのファイルは同じ朝、同じ机に届く。営業の上申書と、審査の差し戻し票。私はどちらの主君の家臣でもある。署名する手は一本しかない。
どちらの主君も正しい。だから苦しい。間違った主君なら、斬って捨てれば済む。
かつての椅子を見おろす
窓の下、同じ床の一角に、いまはコーポレートガバナンス部と呼ばれる部屋がある。私が部長だった頃は、ただ資材審査室と呼んでいた。あの椅子に十一年座った。
当時、私は持ち込まれる資材のおよそ十八パーセントを差し戻していた。営業からは「またあの部屋か」と言われた。いま、同じ椅子に座る後任が、同じ十八パーセント前後を差し戻している。その数字を月報で見るたび、二つの感情が同時に来る。守られているという安堵と、もっと前に出られるはずだという歯がゆさだ。
既視感がつらいのは、後任が正しいと分かるからだ。私はかつて、いまの私のような社長を相手に踏ん張っていた。その私が、いまは数字の主君の側からあの部屋を見おろしている。守りたい、と思う。だが守りたいと思う自分の席は、もう向こう側にある。
忠誠が割れる構造
忠誠が割れるのは、私の意志が弱いからではない。役割そのものに割れ目が組み込まれている。そこを精神論で塞ごうとすると、たいてい片方の主君を黙らせて終わる。
サイモンズの整理を借りれば、数字の主君は診断的コントロール、つまり目標と実績の差分を管理する装置で動く。規範の主君は境界システム、つまり「やってはいけないこと」の線引きで動く。二つは別の装置だ。どちらかを止めれば、会社は片肺になる。
タッシュマンとオライリーは、これを二兎を追う組織能力と呼んだ。攻めと守りを同じ体で同時に持つ。難しいのは、二つが別々の部屋にいることではなく、同じ机の上で、同じ朝に、同じ私の署名を奪い合うことだ。
だから二人の主君を一人に縮めてはいけない。コンプライアンスを経営に従属させれば信頼の残高を食いつぶし、経営をコンプライアンスに従属させれば会社そのものが止まる。片方を斬って一人の主君に仕える身軽さ——それこそが、この連作で私が正義病と呼んできたものだ。自分の正しさを絶対にして、もう一つの正しさを病巣のように切除する。割れ目は埋めるものではなく、抱えるものだ。社長の重さとは、たぶんその抱える重さのことだ。
正義病 IV ── 二君に仕える ── 全 10 回の地図
- 第 1 回: 社長の椅子
- 第 2 回: 俯瞰すると、部門が見える
- 第 3 回: かつての自分の椅子に座る人
- 第 4 回 (本回): 二人の主君
- 第 5 回: 審査員の正義は、半分だった
- 第 6 回: 経営の論理に飲まれると、審査は壊れる
- 第 7 回: 部門長に「ノー」と言わせ続ける設計
- 第 8 回: 数字で測れないものを、経営会議へ
- 第 9 回: 両立を保つ仕組み
- 第 10 回 (最終回): 二君に仕える者の日々是好日
二人の主君のどちらかを選べ、という助言は役に立たない。選んだ瞬間、私は社長でなくなる。仕事は、割れ目を見える場所に置いたまま立ち続けることだ。今日もあの部屋は十八パーセントを差し戻し、営業はあと八パーセントを追っている。私は両方を机の上に並べておく。どう両立させるか、その設計の話はまだ始まっていない。まずは割れ目の形を正確に知ることから始める。正義病が治るとすれば、片方を斬ることによってではなく、二つの正しさを同じ机に並べたまま見続けられるようになることによってだ。それが、二君に仕える者の最初の仕事だと思う。
- 二人の主君とは数字の主君(経営)と規範の主君(コンプライアンス)。どちらも正しく、どちらも裏切れない。
- 忠誠は会議と会議の間ではなく、一枚の決裁書の上で、同じ朝に裂ける。
- 数字の主君は診断的コントロール、規範の主君は境界システムで動く別装置(サイモンズ)。片方を止めれば会社は片肺になる。
- 割れ目は意志の弱さではなく役割に組み込まれた構造。片方を斬って一人に仕えたくなる衝動こそ、この連作の言う正義病。割れ目は埋めず抱える。
- かつての椅子(資材審査)の十八パーセントの差し戻しは、守られた安堵と前に出たい歯がゆさを同時に呼ぶ。
- Robert Simons, Levers of Control (Harvard Business School Press, 1995) (境界システムと診断的コントロールの区別。二人の主君を別装置として捉える枠組みとして用いた。)
- Michael L. Tushman & Charles A. O'Reilly III, "Ambidextrous Organizations: Managing Evolutionary and Revolutionary Change" (California Management Review, 1996) (攻めと守りを同じ体で同時に持つ組織能力(二兎)。割れ目を抱える、という本作の主張の下敷き。)
- Lynn Sharp Paine, Value Shift (McGraw-Hill, 2003) (業績と誠実さを二者択一にせず統合するという立場。経営とコンプライアンスを一方に従属させない根拠。)