四半期の経営会議が終わり、私はガラス張りの小会議室の前で足を止めた。中では資材審査部門長が、一枚の説明会スライドを指して、プロダクト担当に何かを告げている。机に積まれた差し戻しの束、青い付箋の角度、椅子に浅く腰かけた前傾の姿勢。八年前、私が座っていた椅子だ。社長の名札を首から下げたまま、私はその場をしばらく動けなかった。八年分の距離を越えて、自分自身を外から眺めている気がした。正しさを一人で抱える――この連作が「正義病」と呼んできた症状を、いま彼女の背中に見ている。

廊下から、かつての椅子を見る

資材審査部門には、月におよそ二百件の資材が回ってくる。パンフレット、説明会スライド、製品情報の問い合わせ回答、Webの一行修正まで。一件あたりの審査に平均四十分。効能の書きぶり一つ、グラフの軸の取り方一つを、承認範囲とガイドラインに照らして点検する。部門長はその最終署名を握っている。署名一つで、営業の現場は前に進み、あるいは止まる。

私は八年前、まさにその机にいた。だから既視感は細部に宿る。差し戻しに使う付箋が、いまも青いこと。「ここは承認範囲を一歩出ています」と告げるときの、相手の目がわずかに曇る瞬間。通せば誰も気づかず、止めれば自分の名前だけが残る、あの非対称。彼女の前傾姿勢は、早く返したいという誠実さと、間違えられないという緊張が、同時に身体へ出たものだ。私はその姿勢を、自分の背中で覚えている。

境界システムが定めるのは、してはならないことだ。それは創造性を縛るためではなく、許された範囲の内側で人々を全力で走らせるためにある。 ── ロバート・サイモンズ『Levers of Control』

既視感の解剖 ── ノーを出す側の孤独

差し戻し率は、いまもおよそ三割だ。十件のうち三件に、彼女は「このままでは出せない」と告げる。その三割が組織を守っている。けれど三割は、感謝されにくい数字でもある。守られた側は、自分が守られたことに気づかないからだ。ノーを出す側が背負うものを、私は三つに分けて思い出す。

遅らせる者の烙印

通った資材は、誰の記憶にも残らない。差し戻された資材だけが「あの審査で止まった」と語られる。存在が、ブレーキの音としてしか聞こえない。

見えない成果

防いだ違反は「起きなかった事故」だ。功績は不在の形でしか存在しない。営業の数字は棒グラフになるが、審査の成果はグラフにならない。

同盟者の不在

営業には数字という共通言語があり、同じ目標を分け合う仲間がいる。審査の隣に、その席はない。正しさは、たいてい一人で抱えるものだった。

この三つは、私が八年前に言葉にできなかったものだ。当時の私は、ただ漠然と「割に合わない」と感じ、その感覚を自分の未熟さのせいにしていた。社長席から見て、初めて分かる。これは性格の問題ではなく、役割の構造そのものだ。彼女がいま一人で抱えているのは、八年前に私が一人で抱えていたものと、同じ重さだ。

歯がゆさ ── もっとこうできるのに

見ていて歯がゆいのは、彼女がいまも「門番」として立っていることだ。ライン下流の最終関門で、出来上がった資材を点検し、可否を告げる。私もそうだった。だが社長席からは、別の立ち位置が見える。資材ができてから止めるのではなく、企画の上流に同席し、書きぶりが固まる前に翻訳する立ち位置だ。同じ仕事が、上流へ半歩動くだけで、孤独の量が変わる。

観点八年前の私 ── 門番として社長席から見える ── 設計として
立ち位置ライン下流の最終関門企画の上流に同席する翻訳者
ノーの言い方「規程外です」と差し戻す「こう書けば通る」を一緒に探す
存在の測り方差し戻した件数で示す上流関与で差し戻しが減った数で示す
営業との距離廊下で交わす挨拶が減る早い段階の相談が増える

けれど、この歯がゆさをそのまま彼女にぶつけるのは、いちばんやってはいけないことだ。「門番でなく設計者になれ」と上から言えば、新しい要求が一つ増えるだけで、孤独はかえって深くなる。立ち位置を半歩動かせるのは、彼女の努力ではなく、私が組織の設計を変えたときだけだ。上流に席を用意するのは社長の仕事であって、審査部門長の根性ではない。

守りたさ ── あの孤独を、私は知っている

既視感と歯がゆさの底に、もう一つの感情がある。守りたさだ。私はあの椅子の孤独を、身体で知っている。彼女の背中に見えるのは、いずれ私がかかった病の初期症状だ。正しいことを止められず、その代価を孤独で払う――正義病は、こうして次の席へ移っていく。だから社長席から渡せるものが、はっきり見える。八年前の私が欲しかったのは、励ましの言葉ではなかった。差し戻しを出したとき、背後で「それでいい」と言ってくれる権限の傘だった。営業部長が私の頭越しに本社へ訴え出たとき、間に立ってくれる誰かだった。

心理的安全性とは、率直に意見を述べても罰せられたり恥をかかされたりしないと信じられる、場の状態である。ノーと言える組織とは、ノーを言った者を罰しない組織のことだ。 ── エイミー・エドモンドソン『The Fearless Organization』

だから私は、具体的な仕組みを一つだけ始めた。月に一度、審査部門長を社長室に呼ぶ。議題は数字ではない。「今月、いちばん言いにくかったノーは何か」を聞く。その差し戻しが正しければ、私の名前で営業部門に通達する。「この判断は審査ではなく、経営が支持した」と。孤独を消すことはできない。けれど、孤独を一人だけのものにしない設計はできる。かつての自分の椅子に座る人を、数字という主君に差し出さないために。

正義病 IV ── 二君に仕える ── 全 10 回の地図

  1. 第 1 回: 社長の椅子
  2. 第 2 回: 俯瞰すると、部門が見える
  3. 第 3 回 (本回): かつての自分の椅子に座る人
  4. 第 4 回: 二人の主君
  5. 第 5 回: 審査員の正義は、半分だった
  6. 第 6 回: 経営の論理に飲まれると、審査は壊れる
  7. 第 7 回: 部門長に「ノー」と言わせ続ける設計
  8. 第 8 回: 数字で測れないものを、経営会議へ
  9. 第 9 回: 両立を保つ仕組み
  10. 第 10 回 (最終回): 二君に仕える者の日々是好日
結語

廊下のガラス越しに見た光景は、八年分の距離を一瞬で消した。私はあの椅子を出て、二つの主君に同時に仕える席へ移った。経営とコンプライアンス。数字と規範。その両方に仕える者として、いちばんしてはならないのは、かつての自分のような審査の席を、孤独なまま下流に置き去りにすることだ。既視感は記憶を、歯がゆさは設計の宿題を、守りたさは社長の役割を教えてくれる。三つの感情のどれも、精神論では解けない。解けるのは、上流に席を用意し、ノーに経営の署名を添え、孤独を一人のものにしない仕組みを置くこと。それだけだ。正しさは、抱える者を一人にする。それが、この席から何度も見てきた正義病の正体だった。

Key Points ── 持ち帰る 4 つ
  1. 資材審査の最終署名は、月二百件・一件四十分・差し戻し三割という具体の重みを持つ。その三割が組織を守るが、守られた側はそれに気づかない。
  2. ノーを出す側の孤独は性格ではなく役割の構造から来る ── 遅らせる者の烙印、見えない成果、同盟者の不在の三点。
  3. 歯がゆさ(門番から設計者へ)は本人の根性で解決してはならない。上流に席を用意するのは経営の設計責任だ。
  4. 守りたさは仕組みに翻訳する ── 月一回の対話、ノーへの経営署名。孤独は消せないが、一人のものにしない設計はできる。
出典・参考文献
  1. Robert Simons, "Levers of Control" (Harvard Business School Press, 1995) (境界システム(してはならないことの明示)と、診断的/相互作用的コントロールの区別。資材審査を「門番」ではなく統治設計として捉え直す基盤。)
  2. Amy C. Edmondson, "The Fearless Organization" (Wiley, 2019) (心理的安全性 ── ノーを言った者を罰しない組織の条件。審査員の孤独を仕組みで支えるという発想の出所。)
  3. Mary C. Gentile, "Giving Voice to Values" (Yale University Press, 2010) (価値を「言う」技術。正しさを知ることと、現場で口に出すことの距離。差し戻しを言葉にする審査員の作法に通じる。)