取締役は、会社から職務を託された受託者である。だから二つの義務を負う。職務にあたって相応の注意を尽くす義務と、会社の利益を犠牲にして私利を図らない義務。善管注意義務と忠実義務 ── 似ているようで、向いている方向が違う。本稿は会社法の条文に立ち戻り、二つの義務の違いと、それが資材審査の記録にどう跳ね返るかを整理する。

01取締役は「受任者」である ── 会社法 330 条

出発点は、会社と取締役の関係そのものです。会社法 330 条は、両者の関係に委任の規定を準用すると定めています。委任を受けた者には、民法 644 条の善管注意義務 ── 善良な管理者の注意をもって委任事務を処理する義務 ── が及ぶ。取締役は他人(株主)の資本を預かって動かす受任者であり、自分の財産を扱うとき以上の注意を求められます。

前回見た監督と執行の分離は、この受託の構造を前提にしています。誰かに職務を託す以上、託された側がどこまで義務を負うのかを定めておかなければ、牽制は働かない。受託者責任は、分離した統治を成り立たせる土台です。

02二つの義務は、向いている軸が違う

受託者が負う義務は一つではありません。会社法は 330 条の委任に基づく善管注意義務に加えて、355 条で忠実義務を別に置く。両者は重なる場面もありますが、見ている軸が違います。

注意

善管注意義務

「職務を行うとき、相応の注意を尽くせ」。情報を集め、検討し、判断する過程の質を問う(330 条・民法 644 条)。

忠実

忠実義務

「会社の利益を犠牲にして、自分の利益を図るな」。利益相反・競業など、私利が会社利益に優先する場面を禁じる(355 条)。

判例

同質説と実務

最大判昭和 45.6.24 は両者を同質とみる。だが実務では、利益相反の局面で忠実義務が独立した物差しとして機能する。

違いは具体例で見えます。製品の宣伝資材を承認するとき、データを十分に確かめずに通せば、それは注意義務の問題。自分や近しい部門の数字のために、わかっていて甘く通せば、忠実義務の問題です。資材審査でも「手続を尽くしたか(注意)」と「利益相反はないか(忠実)」は、別の軸で見られている。同じ一件の審査に、二つの物差しが当たっています。

03経営判断原則 ── 問われるのは結果ではなく過程

注意義務違反は結果責任ではありません。損失が出たこと自体ではなく、その判断に至る過程と内容に著しい不合理がなかったかで測られます。これが経営判断原則です。情報を集め、検討し、判断した跡が残っていれば、結果が悪くても義務は果たしたと評価されうる。逆に、過程の空白は注意義務違反を推認させます。

だから受託者には「説明できる過程」が要る。これは後の回で扱う監視義務とも地続きです。記録の残っていない判断は、事後に「相応の注意を尽くした」と示す手立てそのものを失います。判断の良し悪し以前に、判断したという事実を証明できなくなる。

04資材審査の現場へ ── 記録が分水嶺になる

ここまでの整理は、資材審査とどうつながるのか。審査の一件一件は、受託者が相応の注意を尽くした過程の記録そのものです。なぜこの表現を許容したか、どのデータで裏づけたか、利益相反の懸念をどう排したか。その跡が残っていれば、結果として表現が問題化しても、過程の合理性で説明できます。

逆に、口頭で済ませて記録を残さない審査は、過程に空白をつくる。これは内部統制システムの実態が問われる場面で、組織を守る材料を欠くことを意味します。審査員が残す記録は、受託者責任を果たした証拠として、上位の取締役の善管注意義務までを支えている。記録は守りの作法であると同時に、統治の前線で果たす役割そのものです。

Key Points ── 持ち帰る 4 つ
  1. 会社法 330 条→民法 644 条で善管注意義務、355 条で忠実義務。委任関係が受託者責任の出発点。
  2. 注意義務は判断の過程と内容の合理性を、忠実義務は利益相反の禁止を見る。見ている軸が違う。
  3. 判例は同質説(最大判昭和 45.6.24)だが、実務では利益相反の局面で忠実義務が独立に機能する。
  4. 経営判断原則 ── 問われるのは結果ではなく判断過程。記録の有無が責任の分水嶺になる。
出典・参考文献
  1. 会社法第 330 条(株式会社と役員等との関係). 会社と取締役の関係に、委任に関する民法の規定を準用する旨を定める。
  2. 会社法第 355 条(忠実義務). 取締役は法令・定款・株主総会決議を遵守し、会社のため忠実に職務を行わなければならない旨を規定。
  3. 民法第 644 条(受任者の注意義務). 受任者は委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって委任事務を処理する義務を負う旨を規定。
  4. 最高裁判所大法廷判決 昭和 45 年 6 月 24 日. 取締役の忠実義務(当時の商法 254 条ノ 2、現会社法 355 条)は善管注意義務を敷衍し一層明確にしたものであり、別個の高度な義務を定めたものではないとした(同質説)。