「事実しか書いていない」という言葉は、資材審査の場でよく聞く。だが弁護士はその言葉に乗らない。事実の選び方そのものを問うからだ。何を見せて何を隠したか、その選択はなぜか、誰が決めたか——反対尋問とはこれを体系的に解体する技法である。資材審査担当者がこの発想を持つとき、初めて「技術的には正しい」という説明が崩れる場所が見えてくる。
So what / So why ── この視座の核心
この視座の核心を一言で言えば、資材の問題は「書いてあること」ではなく「書いていないこと」に宿る、ということだ。弁護士が法廷で行う反対尋問は、相手の証言を内側から崩す作業である。「それは事実ですか」と聞くのではない。「なぜ他のデータを選ばなかったのか」「削除された部分には何が書いてあったか」「その判断を誰が下したのか」と問う。資材審査でこの問いを使えば、一見きれいに仕上がった資材の中に、後から説明できない選択の痕跡が見つかる。
なぜこの視座が必要なのか。厚生労働省が2017年からの検討会を経てガイドラインを策定した背景には、「証拠が残りにくい行為(口頭説明等)、明確な虚偽誇大とまではいえないものの不適正使用を助長すると考えられる行為」(販売情報提供活動監視事業報告書 2020年)が繰り返されてきたという認識がある。つまり規制当局自身が、グレーな省略・選択の積み重ねを問題と見なしている。その視線は、敵対的な第三者——訴訟代理人、査察官、報道記者——が資材を手にしたときの視線と本質的に同じである。
審査担当者が自分の資材に反対尋問をかける習慣を持てば、問題はリリース前に止められる。この視座は単なる法的リスク管理ではない。医療者が受け取る情報の質を守る、その作業の別名でもある。
視座の中身 ── What / Where / Why / How
What(このレンズで資材の何を見るか)
引用されたデータとその原典の間にある「差分」を見る。グラフから外れた群はないか。有害事象の一覧から消えた項目はないか。主要評価項目と副次評価項目の扱いは対等か。タイトルや見出しは、本文データが支持する結論と整合しているか。弁護士はここを「意図的な省略」と呼ぶ。審査担当者は「気づかなかった」で通るが、弁護士はその言葉も疑う。
Where(どこに問題が潜みやすいか)
最も見落とされやすいのは、グラフの設計と文章の構成比率だ。主要評価項目を3行のテキストで処理し、副次評価項目を2ページのグラフで詳述する——これは「嘘」ではない。しかし弁護士が「なぜ主要評価項目には比較対照のグラフがないのか」と問えば、答えに詰まる。同様に、引用元文献に存在する群が資材から消えているとき、「スペースの都合」という説明は反対尋問の前で脆い。
Why(なぜ審査でこの視座が要るか)
資材作成者は自社の製品を良く見せたい、という動機を持つ。それ自体は自然だ。問題は、その動機が「局所的に合理化できる選択」として積み重なったとき、全体として一方向の印象操作になる点である。作成者が「医師が求めるから」「スペースが限られているから」と個別に正当化できる選択でも、その束を外から見れば意図が読める。弁護士の目は、その「束」を見る。
How(具体的にどう問いを立てるか)
審査の場で使える問いは四つある。①「この原著論文・審査報告書には、他にどんなデータがあるか」。②「資材に採用しなかったデータは何か、その理由は説明できるか」。③「主要評価項目の結果は、この資材を見た医師にどう伝わるか」。④「この選択は、3年後に報告書で指摘されたときに説明できるか」。いずれも反対尋問の定型である。これを審査担当者が自分に問うことで、資材は「技術的に正しい」から「説明責任に耐える」へと水準が上がる。
感情移入の入口 ── その立場に立つ
患者の代理人弁護士として、資材を手にしたところを想像してほしい。依頼人は、あるウイルス感染症の治療で特定の薬を処方された。医師は「この薬はウイルス減少効果に優れている」と説明した。その根拠は、MRが持参したパンフレットだった。患者は回復したが、主治医が後から気づいた——そのパンフレットが主要評価項目を3行しか書いておらず、副次評価項目だけを2ページにわたってグラフで詳述していたことに。主要評価項目には、対照薬との有意差がなかった。
あなたはこの資材の製作元企業の担当者を証人台に呼ぶ。「なぜ主要評価項目には比較グラフがないのですか」。担当者は「スペースの都合です」と答えるだろう。「副次評価項目には2ページ割いているのに、主要評価項目に1枚のグラフも用意できなかったのですか」。沈黙が生まれる。この沈黙の前に、何かを止められたはずだった。
査察官の立場でもいい。「証拠が残りにくい行為」という表現が規制当局の報告書に繰り返し登場するのは、口頭説明や選択的なグラフ提示が紙の記録に残らないからだ。だからこそ資材に記録が残る。その記録が反対尋問に耐えるかどうか——その問いは、誠実さを守ることと、リスクを回避することの、両方の答えを同時に出す。
しくじりを鏡に ── この目で過去の逸脱を読み直す
2019年度の販売情報提供活動監視モニター事業報告書(000509783)には、弁護士の目が最も鋭く刺さる事例が二件記録されている。
事例1:抗ウイルス薬/製品紹介パンフレット(②-9)
「ウイルス減少効果」にフォーカスしたパンフレットに、主要評価項目(罹病期間)の結果は「数行の文章のみで紹介されており、対照薬との比較結果も示されていなかった」。一方で副次評価項目「ウイルス力価の変化量」と「ウイルス排出停止までの時間」は、グラフと文章で対照薬との比較を2ページにわたり詳述した。報告書はこう記録している。
「主要評価項目については対照薬との有意差がなく、データの示し方に恣意性が見られた」
弁護士はここで問う。「パンフレットを見た医師は、主要評価項目に有意差がないことを知っていましたか」。答えは「知らなかった」になる。「あなたの会社はそれを知っていましたか」。「知っていた」。この二問で、説明責任の構造が崩れる。審査担当者がこの問いを先に自分に向けていれば、パンフレットの構成は変わっていたはずだ。しくじりの解剖 第2回「データ・グラフの恣意的な抜粋/加工/見せ方」では、この事例を含む24件超の記録を年度別に整理している。
事例2:気管支喘息治療薬/院内製品説明会スライド・パンフレット(②-13)
第Ⅲ相国際共同試験の主要評価項目(年間喘息増悪率)について、全例解析(各群約250例)を紹介せず、日本人集団(各群約15例)のサブグループ解析のみを提示した。なぜそうしたかを担当者に確認したところ、返ってきたのは以下の言葉だった。
「医師は日本人データを求めるため」
この一言は、反対尋問において自滅的な証言になる。弁護士はこう続ける。「日本人サブグループの結果は、全例解析よりも良い結果でしたか」。「はい」。「つまり、医師が喜ぶデータを意図的に選んで見せた、ということですか」。担当者は否定するだろう。しかし記録はすでに「恣意性が感じられた」と書いている。報告書の言葉がそのまま証拠になる。審査担当者が「なぜ全例解析を使わないのか」と先に問うていれば、この答えを封じられた。
どちらの事例も、「嘘はなかった」。副次評価項目は実在するデータだし、日本人サブグループも本物の結果だ。問題は、その選択を外から見たときに見える意図の痕跡である。弁護士の目はその痕跡を読む。審査担当者が同じ目を持てば、資材は世に出る前に止まる。
複眼の審査 ── 規則の目と当事者の目 ── 全 10 章の地図
- 第1回: 複眼の必要 ── なぜ「規則の目」と「当事者の目」を同時に持つのか
- 第2回: ミクロの目 ── ルールに精通する、その「なぜ」まで
- 第3回: 感情移入という方法 ── 知識を「自分ごと」に変える
- 第4回: 患者本人の目 ── この資材を信じて薬を飲むのは、私だ
- 第5回: 家族の目 ── 妻が病の夫、子が患者の親、親が患者の子
- 第6回 (本章): 弁護士の目 ── 反対尋問に、この資材は耐えるか
- 第7回: 規制当局の目 ── 監視・行政指導の視座で自社資材を読む
- 第8回: マスコミ・社会の目 ── 一面記事の見出しを想像する
- 第9回: 視座を束ねる ── 切り替え・同時保持・統合のメタ認知
- 第10回: 俯瞰の心を習慣に ── しくじりの解剖を鏡に
- 反対尋問は「嘘か否か」を問わない。 弁護士が問うのは「何を選び、何を捨てたか、その理由を説明できるか」だ。主要評価項目に有意差がなくても副次評価項目だけを2ページ詳述した抗ウイルス薬のパンフレットは、事実のみで構成されていた。それでも報告書は「データの示し方に恣意性が見られた」と記録した。
- 「医師が求めるから」は説明ではなく、動機の告白になる。 気管支喘息治療薬の事例で担当者が言った「医師は日本人データを求めるため」という言葉は、反対尋問において「有利なデータを意図的に選んだ」という解釈の根拠になる。選択の理由を外部に帰すほど、意図の証拠は強くなる。
- 審査担当者が自分に問う四つの問いが防線になる。 ①この原著には他にどんなデータがあるか、②採用しなかったデータとその理由は説明できるか、③主要評価項目の結果は医師にどう伝わるか、④この選択は3年後の報告書指摘に耐えるか。この問いを先に自分に向けることが、反対尋問に耐える資材の出発点となる。
- 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(2018年9月25日、薬生発0925第1号)
- 厚生労働省 医薬品の広告活動監視モニター事業報告書(2019年度)
- 厚生労働省 医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書(2020年度)
- 日本製薬工業協会「医療用医薬品製品情報概要等に関する作成要領」
- 日本製薬工業協会「製薬協コード・オブ・プラクティス」
- 薬機法第66条(誇大広告の禁止)