嘘はついていない。ただ、語らなかった。製薬企業の販売情報提供活動監視事業が7年間繰り返し記録してきたのは、虚偽の主張ではなく省略の問題だ。有効性を20分かけて説明し、安全性情報は「最後の10秒」で添付文書を画面に映すだけ。尋ねられるまで日本人部分集団のネガティブデータに触れない。RMPの重要リスクを名指しで口にしない。「語らない」という選択は誰にも直接咎めにくい。だからこそ、組織を超えて繰り返される。
So what / So why ── この回の核心
So what(何が起きているか) 問題の構造はシンプルだ。製品説明の時間を有効性データで満たし、副作用・禁忌・RMP(医薬品リスク管理計画、製品ごとに定めるリスク情報の管理書類)の重要リスクには触れないか、最後の数秒に押し込む。これは虚偽の発言ではない。語らない、という選択だ。日本人集団での試験結果がネガティブだったことを、質問されるまで一切出さない。承認の経緯に「日本人部分集団のハザード比が1を上回った」という事実があっても、積極的には言わない。言い訳は後付けで整う。「時間が足りなかった」「スライドに入れられなかった」「聞かれれば答えた」。
So why(なぜ致命的か) 医師が処方を決めるとき、手元にある情報がすべてだ。MRが語らなかった安全性リスクを、医師は存在しないと思うかもしれない。RMPに「重要な潜在的リスク」として乳酸アシドーシスが明記されていても、その言葉が口頭で一度も出てこなければ、医師の判断材料には入らない。ガイドラインは「ネガティブな情報についても提供すること」と定める。不作為もまた逸脱になる、という論理だ。
さらに深刻なのは、この類型が個人の判断に収まらない点だ。令和5年度・令和7年度の監視事業報告書はともに「営業組織による意図的な取組をうかがわせるもの」という表現を使っている。同じ薬剤について複数の医療機関で同一の省略が確認されるとき、それは個々のMRが偶然に同じ判断をしたのではなく、組織として「このデータは出さない」と決めた可能性を示している。
重圧の構造 ── 誰から、どの締切で、どんな数字で
「語らない」選択は真空から生まれるわけではない。それを構造的に合理的な選択にする圧力がある。
KPIの設計問題 MRの評価は採用率・処方数・売上シェアで組まれることが多い。有効性の訴求力が高いほど採用が早まり、数字が動く。安全性情報の伝達精度を評価するKPIを持つ組織は少ない。「安全性を丁寧に話した」ことが評価に結びつかないなら、時間は有効性に使われる。インセンティブの設計が、語らないことを合理的な選択にしてしまう。
上市直後の「立ち上げ」期間 新薬上市から半年〜1年は、営業組織全体が採用率の数字を追う。各病院の採用可否を週次で報告する体制では、「採用につながりにくい情報」を積極的に出す動機は弱まる。上長は「採用が取れているか」を聞く。「安全性情報を丁寧に伝えたか」を聞く上長は少ない。
時間制約という名の口実 面談時間10〜20分は実在する制約だ。しかし、令和5年度の監視事業が記録した薬事委員会向けヒアリングの事例では、「十分な説明時間を病院側が確保した」にもかかわらず、ネガティブな情報は提供されなかった。時間が足りなかったのではなく、使う気がなかった。時間制約は事後的な正当化として機能する。
ガイドラインを「知りながら」設計する省略 令和7年度報告書はもっと踏み込んだ記述をしている。「指摘された時には謝罪すればよいと意図的に不適切な情報提供を行っていることが疑われるものもある」。ガイドラインの存在を知った上で、発覚リスクを織り込みながら語らないことを選ぶ。これは無知ではなく、計算だ。
内面の再構成 ── 信条→心情→深層心理
以下は、監視事業が記録した事例の外形から、つくり手の内面を推論的に再構成したものだ。断定ではなく、「こう感じていた可能性が高い」という根拠付きの推論として読んでほしい。
信条(何を正しいと信じているか) 「この薬は患者を助ける。有効性のデータは本物だ。副作用の情報は添付文書に書いてある。医師は必要なら自分で確認できる。私の役割は製品の価値を正確に伝えることで、添付文書の読み上げではない」。この信条は一見合理的に見える。しかし「必要なら自分で確認できる」という前提が、情報提供の責任を受け手に転嫁している点に気づいていない。
心情(その時の感情) 「安全性を強調すれば、先生が処方をためらう。患者がこの薬を使えなくなる方が問題だ」という感情が動いている可能性がある。令和2年度のCOPD治療薬の事例(「喘息合併のCOPDは基本的に全例が本薬の対象」と説明しながら副作用に言及しなかった)では、MRは肺炎リスクを口にすることで処方機会が失われることへの恐れを感じていたはずだ。患者への善意と売上への動機が、この段階では区別できなくなっている。
深層心理(4ドライバーのどれがどう働いたか) 複数のドライバーが重なる。まず③不作為の罪——「言わなかっただけで、嘘はついていない」という自己認識。作為(虚偽の主張)と不作為(沈黙)を区別することで、道徳的不快感を回避する。次に②局所合理化——「このスライドだけは省く」「今日の説明ではここまで」という1回ごとの個別判断の積み重ね。全体としてどのような情報の偏りが生まれているかは視野に入らない。さらに①動機づけられた推論——採用してほしい、という結論が先にあり、「添付文書に書いてある」「医師は専門家だから」という後付けの根拠が集まってくる。最後に④責任の外部化——「聞かれなかった」「スライドの構成上」「時間が足りなかった」。原因は常に自分の外にある。令和7年度報告書が「謝罪すればよいと意図的に不適切な情報提供を行っている」と指摘するケースでは、この外部化が計算された戦略として機能している。
下敷きの実インシデント
以下の3件は、監視事業報告書に記録された実在の事例だ。媒体・製品領域・原文引用とともに示す。上で再構成した内面分析が机上の空論でないことを、記録が示している。
事例1 ── 薬事委員会向けヒアリングで語らなかった日本人データ(令和5年度)
媒体・製品領域: 企業担当者によるオンライン説明 / 循環器官用薬
何が起きたか: 院内薬事委員会のためのオンラインヒアリングで、企業担当者は有効性を中心に説明を進めた。本剤の電子添文には「日本人では腎不全への進展抑制効果が弱い可能性がある」と明記されていた。しかし担当者はこの点に一切触れなかった。医療従事者から質問されて初めて、最初の説明スライドとは別のスライドで日本人部分集団データが示された。審査報告書には、日本人集団では死亡例に偏りがあり優越性を示せなかったと記載されている。
報告書の評価: 「十分な説明時間を病院側が確保したにもかかわらず、ネガティブな情報提供を敢えて行わなかったことが疑われる情報提供であった」(令和5年度販売情報提供活動監視事業報告書、疑義報告事例⑤-1)
分析との接続: 「聞かれれば答えた」という言い訳は成立するが、質問されるまで別スライドに隠し持っていたという構造は、不作為の罪と責任の外部化が同時に作動していることを示す。詳細は分析編 vol.06「有効性のみの強調・安全性情報の軽視」を参照。
事例2 ── 20分の製品説明会で承認経緯を一切語らなかった(令和7年度)
媒体・製品領域: 企業担当者による直接対面説明 / 循環器官用薬
何が起きたか: 薬剤科内の製品説明会(対面、約20分)で担当MRは「2つの国際共同臨床試験において、それぞれ心血管複合エンドポイントおよび腎複合エンドポイントの有意なリスク低下が確認されています」と説明し、時間を終えた。この薬剤には重大な経緯があった。日本人部分集団において腎不全イベントのハザード比が本剤群で1を上回ったため、当初は薬事承認が見送られた。添付文書への注意喚起を条件に承認されており、添付文書にはその経緯と詳細が記載されている。説明会でこの点への言及はまったくなかった。
報告書の評価: 「十分な説明時間があったにもかかわらず、有用性のみを説明し、安全性のリスクに関する情報について説明しないことは偏った情報提供である」(令和7年度販売情報提供活動監視事業報告書、疑義報告事例⑤-1)
分析との接続: 「国際試験は有意差あり」は事実だ。「日本人部分集団のハザード比が1超で承認見送りの経緯がある」も事実だ。語った方だけが記憶に残る。動機づけられた推論(有利なデータを語り、不利なデータを沈黙で処理する)の典型例。詳細は分析編 vol.06を参照。
事例3 ── 20分のWebセミナーで安全性情報が「最後の10秒」(令和2年度)
媒体・製品領域: 企業サイト上のWebセミナー(視聴時間約20分) / 抗アレルギー薬
何が起きたか: Webセミナーを通じて、適応患者やインタビューフォームに記載の重要な基本的注意事項への言及がなかった。禁忌や慎重投与などの安全性情報の提供は、最後のスライドで添付文書を10秒ほど投影する形でしか行われなかった。
報告書の評価: 「禁忌や慎重投与等、安全性に関する情報提供は最後のスライドで添付文書を10秒ほど投影する形でしか行われていなかった」(令和2年度販売情報提供活動監視事業報告書)
分析との接続: 「安全性情報も提供した」という記録上の形式は整っている。しかし10秒間の投影が情報として機能しないことは、作成者も知っていたはずだ。局所合理化(「安全性スライドは入れてある」)と不作為の罪(実質的に伝わらないとわかっていながら選ぶ)が同時に作動している。詳細は分析編 vol.06を参照。
令和7年度報告書はさらに一歩踏み込む。「指摘された時には謝罪すればよいと意図的に不適切な情報提供を行っていることが疑われるものもある。この場合、極めて悪質な情報提供ということで、本事業では注視している」。「語らない」が計算された戦略である場合、それはもはや個人の心理の問題ではなく、組織のコンプライアンス設計の問題だ。
つくり手の内側 ── 逸脱が生まれる心理 ── 全 10 章の地図
- 第1回: 重圧の地図 ── 善意が歪むまでの距離
- 第2回: 信条の罠 ── 「良い薬を届けたい」が入口になる
- 第3回: 結論が先、データは後 ── 動機づけられた推論
- 第4回: 「このスライド1枚だけ」── 局所合理化
- 第5回 (本章): 語らない、という選択 ── 不作為の罪
- 第6回: 誰かのせいにできる構造 ── 責任の外部化
- 第7回: 数字の重力 ── ノルマとインセンティブの心理
- 第8回: 競合という不安 ── 焦りが他社誹謗を生む
- 第9回: 沈黙する組織 ── 同調圧力・審査の空洞化・開示したくない自分
- 第10回: 重圧を設計し直す ── 個人の心理と組織の仕組み
- 「聞かれなかった」は免責にならない。 販売情報提供活動ガイドラインは「ネガティブな情報についても提供すること」と定める。質問を待つ姿勢は、情報提供の義務を果たしたことにならない。令和5年度の事例では、薬事委員会向けに十分な時間が確保されたにもかかわらず、日本人部分集団のネガティブデータは質問されるまで出てこなかった。
- 「最後の10秒」は安全性情報ではない。 20分のセミナーで有効性を詳述し、安全性情報を添付文書の10秒投影で済ませる構造は、形式上の提供を実質的な不提供に変える典型だ。令和2年度の抗アレルギー薬の事例が示すように、「安全性スライドは入れた」という記録と、「安全性情報が医師に届いた」という事実は別物だ。
- 謝罪で完結する不作為は組織的戦略になる。 令和7年度の監視事業報告書は「指摘された時には謝罪すればよいと意図的に不適切な情報提供を行っていることが疑われるもの」を「極めて悪質」と評した。ガイドラインの存在を知りながら、発覚リスクを折り込んで「語らない」を選ぶとき、それは個人の心理的弱さではなく組織のコンプライアンス設計の失敗だ。
- 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(2018年9月25日)
- 厚生労働省 販売情報提供活動監視事業報告書 令和5年度(資料番号001272191)
- 厚生労働省 販売情報提供活動監視事業報告書 令和7年度(資料番号001520054)
- 厚生労働省 販売情報提供活動監視事業報告書 令和2年度(資料番号000652563)
- 薬機法第66条(誇大広告等の禁止)
- 日本製薬工業協会「医療用医薬品プロモーションコード」
- 医薬品等適正広告基準(厚生労働省)
- Bazerman, M.H. & Tenbrunsel, A.E. (2011). Blind spots: Why we fail to do what's right and what to do about it. Princeton University Press.
- Tversky, A. & Kahneman, D. (1981). The framing of decisions and the psychology of choice. Science, 211(4481), 453-458.