四半期の数字と十年の価値は、しばしば反対方向を向く。配当や当期利益を厚くする打ち手が、将来の競争力を削ることがある。この綱引きは外と内の対立ではなく、資本家の内部にもある。短期主義を一方的な悪と決めつける前に、まずその構造を見る。
01「四半期」と「十年」は、なぜ反対を向くのか
上場企業は、四半期ごとに数字を問われます。一方で、医薬品の事業価値は、開発から上市、育薬まで十年単位で育ちます。この二つの時間軸は、同じ一つの判断のなかでぶつかります。たとえば研究開発費をいま絞れば当期利益は厚くなる。だが数年後のパイプラインは痩せる。当期を良く見せる打ち手と、将来価値を積む打ち手が、逆を向く。ここに綱引きの正体があります。
注意したいのは、これが「短期志向の投資家 対 長期志向の経営」という外側の対立に限らない点です。同じ経営者の頭の中でも、株価への意識と事業の構想は綱を引き合う。だから問いは「どちらが正しいか」ではなく、「この緊張をどう扱うか」になります。
02短期主義という価値毀損 ── 伊藤レポート
短期の数字を作るために将来への投資を削る。これを企業価値の毀損として正面から問題にしたのが、2014 年の伊藤レポートです。研究開発や人材といった、効果が出るまで時間のかかる投資が、四半期の圧力の下で後回しにされる。当期は良く見えても、企業の稼ぐ力そのものが細っていく。短期主義は「節約」ではなく「先食い」だというのが、この報告書の見立てでした。
同レポートは、その処方として、資本コストを上回る ROE を持続的に挙げ、投資家との対話を通じて中長期の価値を育てる方向を示しました。短期の利益と長期の価値は、放っておくと前者が後者を食う。だから構造として歯止めを設計する必要がある、という問題意識です。
将来投資の先食い
研究開発や人材への投資を削れば当期は良く見える。だが将来価値は痩せる。伊藤レポートはこれを企業価値の毀損として問題視した。
規律なき塩漬け
長期を口実に規律を欠けば、資本コストを無視した保有になる。長期=善ではない。長期価値とは、資本コストを継続的に上回り続けることを指す。
市場圧力と事業計画の間に
スチュワードシップ・コードとコーポレートガバナンス・コードは、対話を通じて中長期の企業価値向上を促す。短期の圧力と長期の計画の間に、緩衝を挟む。
03長期は免罪符ではない ── 資本コストという物差し
ここで逆方向の誤解も外しておきます。「長期だから良い」とは限りません。長期を口実に、稼げない事業を温存し、撤退の判断を先送りにすれば、それは規律の欠如です。資本を寝かせている間にも、その資本には機会費用がかかっている。長く持つこと自体には価値はない。
長期価値とは何か。それは、調達した資本のコスト(資本コスト)を、継続的に上回り続けることです。一回の好決算ではなく、超過リターンを出し続ける状態を指す。だから「短期 vs 長期」を「悪 vs 善」に読み替えると、判断を誤ります。短期にも長期にも、それぞれの規律がある。物差しは時間の長さではなく、資本コストを超えているかどうかです。
04緊張を管理する設計 ── 両コードと「対話」
では、相反する二つの力をどう扱うのか。日本の制度は、対立を消すのではなく、緊張を管理する道を選びました。その柱が二つのコードです。コーポレートガバナンス・コードは、企業側に中長期的な企業価値の向上を基本理念として求めます。スチュワードシップ・コードは、機関投資家側に、投資先との建設的で目的を持った対話を求めます。
この二つは対(つい)になっています。短期の市場圧力がそのまま事業計画を揺らすのではなく、間に対話という緩衝を挟む。投資家は売って逃げる前に問い、企業は数字の背後にある中長期の構想を語る。狙いは対立の消去ではなく、緊張の管理だ。短期の規律と長期の構想を、対話のテーブルの上で同時に走らせる設計です。
05資材審査の現場へ ── 圧力の出どころを読む
この綱引きは、資材審査の実務にどう響くのか。審査員の前に上がってくる強気の販促資材には、しばしば「早く成果を見せたい」という圧力が透けます。その圧力が、四半期の数字を急ぐ短期主義から来ているのか、中長期の事業計画に沿った投資判断から来ているのか。出どころが違えば、組織の力学も、説得の言葉も変わります。
短期の圧力に押された資材ほど、効能・効果の言い過ぎや、根拠の先取りといった逸脱に傾きやすい。資材の前のめりは、しばしば時間軸の綱引きの表れだ。審査の現場で「なぜこの表現がこの形で上がってきたのか」を読むとき、背後の時間軸を疑うと解像度が上がります。なお、この緊張を執行側がどう引き受けるかは、経営陣の視点(執行)の第 7 回と裏表の関係にあります。
- 短期主義は将来投資を削る価値毀損。伊藤レポート(2014)は、研究開発や人材への投資抑制を企業価値の毀損として問題視した。
- 長期も免罪符ではない。長期価値とは、資本コストを継続的に上回り続けること。規律なき塩漬けは価値を生まない。
- コーポレートガバナンス・コードとスチュワードシップ・コードは、対話を通じて中長期の企業価値向上を促す。
- 狙いは対立を消すことではなく、緊張を管理すること。短期の規律と長期の構想を、対話の上で同時に走らせる。
- 経済産業省. 「持続的成長への競争力とインセンティブ ── 企業と投資家の望ましい関係構築」プロジェクト最終報告書(伊藤レポート, 2014). 短期主義による研究開発・人材投資の抑制を企業価値の毀損として問題視し、資本コストを上回る ROE と対話による中長期価値創造を提言。
- 東京証券取引所. コーポレートガバナンス・コード. 中長期的な企業価値の向上を基本理念に置き、株主との建設的な対話を上場会社に求める。
- 金融庁. 「責任ある機関投資家」の諸原則 ≪日本版スチュワードシップ・コード≫. 機関投資家に、投資先企業との目的を持った建設的な対話を通じた中長期的な企業価値向上を求める。