「売上を取るか、遵守を守るか」。資材の現場では、この二択がしばしば持ち込まれます。攻めた表現は短期的に数字を作る。だから遵守はコストに見える。けれども、この対立が立ち上がるのは時間軸を短く切ったときだけです。期間を伸ばせば、遵守は収益を削るものではなく、収益が続くための前提条件に変わります。本稿は、トレードオフがどこで統合へ転じるかを、製薬という産業の特異性とともに整理します。

01二択は、時間軸を伸ばすと消える

短期だけを見れば、収益とコンプラはトレードオフに見えます。攻めた資材は早く売れ、表現を削れば数字は鈍る。利益が先に可視化されるため、現場には「攻めるか、守るか」の対立として現れます。けれども、この見え方は時間軸を短く切ったことの帰結です。

違反は、課徴金・出荷停止・信頼喪失という形で、収益基盤そのものを壊します。短期の上振れと引き換えに、土台を失う。利益は早く出て、違反コストは遅れて巨額に出るという非対称があるため、期間を伸ばすほど遵守を守る方が合理になります。収益とコンプラのトレードオフは、短い時間軸が作る錯覚です。攻めた表現が現場から上がってくる構造そのものは、第3回で見たトップラインの重圧に根があります。

短期の視界

二択に見える

攻めた表現は早く売れ、遵守はコストに映る。利益が先に可視化されるため、収益と遵守は対立として立ち上がる。

長期の視界

統合が合理

違反コストは遅れて巨額に出る。期間を伸ばすほど、遵守は収益が続くための前提条件として組み込まれる。

製薬の特異性

代償が突出

信頼が事実上の事業免許。一度の不祥事が全製品に波及し、「今回だけ」で閉じる錯覚を許さない。

02違反の値段は、資本コストに乗る

コンプラを倫理の話だけにとどめると、経営には届きません。違反のコストは、資本コストという財務の言葉に翻訳できます。ここを押さえると、遵守は感情論ではなく数字の問題として語れます。

レピュテーションの毀損は、投資家がその企業に求めるリターンを引き上げます。要求リターンが上がれば資本コストが上がり、株主価値は下がる。伊藤レポートが説く「資本コストを上回るROE」は、事業が続くことを前提にしています。一度の違反で持続性が疑われれば、その前提が崩れる。コンプラは倫理であると同時に、資本コスト管理の一部です。罰金は一回で済んでも、上がった資本コストは毎年の負担として残ります。

03製薬では、信頼が事実上の事業免許

同じ違反でも、製薬では代償が突出して大きい。短期最適化の誘惑はどの産業にもありますが、製薬はその代償を特に高く払う構造を抱えています。

生命関連産業では、信頼が事実上の事業免許として働きます。一つの製品の不祥事は、その製品にとどまらず、企業の全製品の信頼へ波及する。この違反の非分離性が、代償を跳ね上げます。厚生労働省の販売情報提供活動監視事業報告書は、逸脱が特定の企業に限らず反復して起きている事実を示しています(社名は匿名)。「今回だけ」で閉じない構造が、製薬の遵守を他産業より重くします。だからこそ、短期の数字のために信頼を切り売りする判断は、製薬では割に合いません。

04審査は「持続的利益の前提」として語れる

ここまでを踏まえると、審査員が経営に返すべき言葉が見えてきます。「コンプラは利益の敵」ではなく、「持続的利益の前提」です。一語を置き換えるだけで、審査の位置づけが変わります。

敵であれば削るべきコスト、前提であれば守るべき投資。違反が資本コストに乗り、製薬では全製品に波及する以上、審査は収益基盤を守る投資として説明できます。止めるためではなく、利益を続かせるために審査がある。審査をコストでなく投資として語れる審査員は、経営の判断に噛み合います。この立ち位置の全体像は、第10回で、ブレーキでなくハンドルという比喩として扱います。

Key Points ── 持ち帰る 4 つ
  1. トレードオフは短期だけの錯覚。時間軸を伸ばせば、遵守は収益の前提として統合される。
  2. 違反はレピュテーションを毀損し、資本コストを押し上げて株主価値を下げる(伊藤レポート)。
  3. 製薬は信頼が事実上の事業免許。違反の非分離性が、一度の不祥事の代償を全製品へ跳ね上げる。
  4. 審査はコストでなく「持続的利益の前提」=投資として、経営の言葉で語れる。
出典・参考文献
  1. 伊藤レポート(2014・経済産業省プロジェクト最終報告書). 資本コストを上回るROEと事業の持続性を論じ、コンプラを資本コスト管理に接続する根拠となる。
  2. 東京証券取引所. コーポレートガバナンス・コード 基本原則 2(株主以外のステークホルダーとの適切な協働). 持続的な企業価値が従業員・顧客・取引先・地域社会など株主以外の関係者との信頼の上に成り立つことを規定する。
  3. 厚生労働省. 販売情報提供活動監視事業報告書. 資材・情報提供の逸脱事例が特定企業に限らず反復して起きる事実を示す一次資料(社名は匿名)。
  4. 大和銀行株主代表訴訟(大阪地裁 2000 年 9 月 20 日判決). 内部統制の不備が巨額の経済的帰結に至りうることを示した。