リスクを取らない企業は、資本コストを下回ってじわじわ縮む。リターンは天から降ってくるものではなく、不確実性を引き受けた対価として生まれる。伊藤レポートは、この関係を ROE と資本コストの差という形で言語化した。攻めた資材の裏側にある「リターンを取りに行く」という経営判断を、この回で分解する。

01「リスクを取らない」という選択にも値段がある

リスクと聞くと、避けるべきもの、減らすべきものという像を浮かべがちです。だが経営の側から見ると、話は逆向きに進みます。株主は資金を無償で預けているわけではなく、預けたからには一定のリターンを要求します。その要求水準が資本コストです。会社が稼ぐ利益がこの水準を下回れば、会計上は黒字でも、株主の物差しでは価値を生んでいないことになります。

だから「安全に何もしない」は、安全ではありません。資本コストを上回るリターンを出せなければ価値は毀損し、回避一辺倒の経営はゆっくりとした縮小を選んでいるのと同じです。リスクを取らないこと自体が、経営にとってのリスクになる。企業が意図して不確実性を引き受けるのは、勇ましさではなく、この計算に従った結果です。資本コストそのものの中身については、資本家の視点 第2回「なぜ利益が要るのか」で扱いました。

02リターンはどこから来るのか ── 上乗せの正体

では、そのリターンはどこから生まれるのか。出発点は、ほぼ確実に受け取れる無リスクの利回りです。国債のような安全資産でも、わずかな利子は付きます。事業のリターンは、その安全な土台に上乗せされる形で説明されます。上乗せ分こそが、不確実性を引き受けた報酬、すなわちリスクプレミアムです。

土台

無リスク利子率

安全資産から得られる、ほぼ確実な利回り。ここには不確実性の報酬は含まれない。リターンを測るときの基準線になる。

上乗せ

リスクプレミアム

引き受けた不確実性への報酬。値動きの幅(ボラティリティ)や破綻の可能性が大きいほど、要求される上乗せも大きくなる。

合計

期待リターン

無リスク利子率にプレミアムを足したもの。事業に出資する者が「最低これだけは」と求める水準であり、資本コストの裏返しでもある。

この分解からひとつの事実が見えてきます。高いリターンには、必ず引き受けた不確実性が対応している。リターンの源泉はコスト削減でも倹約でもなく、不確実性を引き受けたことそのものにあります。不確実性の高い事業ほど要求される上乗せは大きく、結果としてその事業の資本コストは高くつきます。

03伊藤レポートが言語化したもの

この関係を政策の言葉に落としたのが、2014 年の伊藤レポートです。報告書は、企業が資本コストを上回る ROE を持続的に出すことを求め、その一つの目安として ROE 8% を示しました。数字の 8% そのものより重いのは、「資本コストを超えているか」を経営の問いの中心に据えた点です。

言い換えれば、利益が出ているかではなく、出資者の要求水準を超えているかを問うた。コーポレートガバナンス・コード原則 5-2 も、経営戦略の策定にあたって資本コストを意識することを上場会社に求めています。リスクを取ってリターンを生むことは、勇み足ではなく、経営に課された規律として位置づけられています。

04資材審査の現場へ ── 「止めること」にも天秤がある

ここまでの整理は、審査の実務にどうつながるのか。審査員が向き合うのは資材であって投資判断ではない、と思うかもしれません。だが、攻めた広告や踏み込んだ情報提供は、多くの場合「リターンを取りに行く」という経営判断の現れです。その背後には、資本コストを上回らねばならないという圧力があります。

だからこそ、止めるときには止めることの代償も天秤に乗っていると理解しておく必要があります。一つの資材を差し止めれば、そこで取り損ねた機会も生じる。逸失利益という言葉が、攻めの判断の裏側には必ず付いています。これは「だから通せ」という話ではありません。機会損失を勘定に入れたうえで、なお不確実性が許容範囲を超えると示せて初めて、経営の言葉で止められる。リスクをゼロにする発想ではなく、取るべき不確実性とそうでないものを切り分ける発想が、審査の説得力を支えます。

Key Points ── 持ち帰る 4 つ
  1. リターンは、不確実性を引き受けた対価として発生する。源泉はコスト削減ではなく、リスクの引き受けそのもの。
  2. 資本コストを下回るリターンは価値毀損。リスク回避一辺倒も「安全に縮む」という経営リスクになる。
  3. 伊藤レポートは ROE 8% 超を資本コストの一つの目安とし、資本コストを超えているかを経営の問いに据えた。
  4. 攻めの判断の裏には逸失利益がある。止めるなら、取らないことのコストも天秤に乗せたうえで論を立てる。
出典・参考文献
  1. 経済産業省. 「持続的成長への競争力とインセンティブ ── 企業と投資家の望ましい関係構築」プロジェクト最終報告書(伊藤レポート、2014 年). 資本コストを上回る ROE の持続的実現を求め、ROE 8% を一つの目安として示した。
  2. 東京証券取引所. コーポレートガバナンス・コード 原則 5-2(経営戦略や経営計画の策定・公表). 自社の資本コストを的確に把握したうえで経営戦略を策定すべきことを規定。