「戦略を実行に移す」と言うとき、現場で実際に動くのは戦略そのものではない。動くのは、戦略が翻訳された二つの道具 ── 何を測るかを決める KPI と、ヒト・カネをどこへ配るかを決める資源配分だ。この翻訳をどう設計するかが、資材の質やコンプラ遵守が後回しになるかどうかを、現場の意思とは別の次元で決めている。

01戦略は、文書のままでは一歩も動かない

中期経営計画やビジョンは、それ自体では現場を動かしません。動き出すのは、計画が「測る指標(KPI)」と「配る資源(予算・人員)」に翻訳されたときです。戦略の実行とは、抽象的な方針をこの二つの具体に落とし込む作業にほかなりません。物差しと燃料、と言い換えてもいい。

ここで一つの非対称が生まれます。測る指標に入った価値だけが、現場で追われる。売上目標を KPI に置けば現場は売上を追う。逆に資材の質やコンプラ遵守を指標に組み込まなければ、それは「重要だ」と唱えられても、日々の優先順位では後ろへ回ります。意思の問題というより、設計の問題です。

この構図は、取締役会が担う監督と、経営陣が担う執行の分離とも重なります。何を測り何に資源を配るかを決めるのは執行の領域であり、その枠組みが妥当かを問うのが監督の領域です(取締役会の視点 第1回:取締役会は経営しない ── 監督と執行の分離)。審査員は、自分が向き合う資材が、この執行設計の末端から出てくるものだと押さえておくとよい。

02何を測るかが、現場の行動を決める

KPI は単なる進捗管理の道具ではありません。何を数えるかという選択そのものが、現場の関心を方向づけます。同じ担当者でも、置かれた指標が違えば力を入れる対象が変わる。指標は、行動を静かに設計する装置です。

測られる

売上 KPI

数字で可視化されやすく、達成度が報酬・評価に直結する。だから最優先で追われる。前傾の起点はここにある。

測られにくい

資材の質

「適切な表現か」は数値化が難しい。KPI に乗りにくく、指標に入らなければ評価の外に置かれる。

測られにくい

コンプラ遵守

守って当然とされ、加点されにくい。指標化されない限り、攻めた表現を自ら抑える動機は弱いままになる。

三つを並べると、測りにくい価値ほど構造的に劣後するという偏りが見えてきます。これは現場担当者の倫理観の高低とは別の話で、指標設計の副作用として起きる。だから「真面目にやれ」では直りません。

03営業の前のめりは、上流の資本効率圧力の帰結

では、なぜ売上 KPI がそこまで強く効くのか。源をたどると、現場より上流にある資本効率への圧力に行き着きます。コーポレートガバナンス・コードは、資本コストを意識した事業ポートフォリオの見直しと経営資源の配分を経営に求めています(原則 5-2)。伊藤レポートが促した「資本コストを上回る ROE」という発想も、これを後押ししました。

投下した資本に対するリターンを問われる経営は、その圧力を売上・利益の目標として下へ伝えます。資本効率の要求が、現場の数字志向へと変換される。攻めた資材は、しばしばこのカスケードの末端で生まれる症状です。担当者が暴走しているのではなく、上から下りてきた圧力に合理的に反応している ── そう読むほうが、現実の力学に近い。

04測られない価値は、評価に乗せて初めて守られる

偏りを正す道は、説諭ではなく指標です。「コンプラを大事に」という言葉は、報酬や評価が売上に偏っている限り、行動を変えません。資材の適切性やコンプラ遵守を、評価の項目そのものに組み込む必要があります。

これは精神論ではなく、ルール上の要請でもあります。販売情報提供活動ガイドライン第 2-4 は、資材等の適切性を従業員の評価に反映することを求めています。倫理を標語で終わらせず、評価という仕組みに落とす ── その設計思想は、報酬・インセンティブの組み立て方とも地続きです(経営陣の視点 第5回:人は仕組みで動く ── 評価・報酬・インセンティブの設計)。

05資材審査の現場へ ── 症状でなく設計に効かせる

目の前に上がってくる攻めた一枚の資材は、しばしば KPI 設計の症状です。個別に差し戻しても、設計が変わらなければ、同じ表現が形を変えて再び上がってくる。審査が処理する件数は減りません。

だから審査員が経営に対して持てる最も効くレバーは、「この表現はだめだ」ではなく、「資材の適切性を評価指標に組み込めば、再発の源を断てる」という構造への提言です。販提 G 第 2-4 が求める評価反映を、経営の言葉で示す。個別の差し戻しは対症療法、評価設計への組込みは原因療法。相手の意思決定の構造を高い解像度で読めて初めて、審査の指摘は現場の手前にある設計に届きます。

Key Points ── 持ち帰る 4 つ
  1. 戦略の実行とは、方針を KPI(物差し)と資源配分(燃料)の二つへ翻訳する作業である。
  2. 測られない価値(コンプラ・資材の質)は、倫理観の問題ではなく指標設計の副作用として構造的に劣後する。
  3. 売上 KPI が強く効くのは、資本コスト・ROE への圧力(CG コード原則 5-2/伊藤レポート)が現場へカスケードするから。
  4. 再発を断つレバーは個別差し戻しではなく、資材の適切性を評価へ組み込むこと(販提 G 第 2-4)。
出典・参考文献
  1. 東京証券取引所. コーポレートガバナンス・コード 原則 5-2(経営戦略や経営計画の策定・公表). 自社の資本コストを把握したうえで、収益計画や資本政策の基本的な方針、事業ポートフォリオの見直しを示すことを求める。
  2. 経済産業省. 「持続的成長への競争力とインセンティブ ── 企業と投資家の望ましい関係構築」プロジェクト最終報告書(伊藤レポート, 2014). 資本コストを上回る ROE と、それを支える中長期の企業価値向上を論じる。
  3. 厚生労働省. 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン 第 2-4(評価や教育等). 販売情報提供活動の適切性等を担当者の評価に反映すること、必要な教育・研修を行うことを求める。