経営陣も認知の罠から自由ではない。むしろ決裁が大きいほど、バイアスの影響も大きく出る。資材審査の現場で見る「いいとこ取り」や、抑えるべき製品がなぜか抑えられない事態。その多くは、担当者の悪意ではなく、組織で共有された認知の歪みの結果である。本稿は確証バイアスとサンクコストという二つの罠を整理し、独立した審査がなぜその補正装置になるのかを示す。
01「いいとこ取り」は、組織的な認知の歪み
確証バイアスとは、自分の期待に合うデータばかりを集め、合わないデータを軽く見る傾向です。自社品に有利な試験結果は目に留まり、不利なサブグループ解析や注意喚起は背景に退く。資材の「いいとこ取り」は、この傾向が紙の上に現れた形だと読めます。
注意したいのは、これが現場の担当者一人の問題ではないことです。「この薬は効く」という期待は、経営から開発、営業、現場まで共有されています。共有された期待が強いほど、組織全体が同じ方向に偏る。だから個人を責めても歪みは消えません。歪みは組織の構造に宿っているからです。
02投資が大きいほど、ブレーキは効きにくい
サンクコスト効果は、すでに投じた費用が大きいほど、その判断にしがみつく傾向を指します。撤回すれば回収できなくなる投資が大きいほど、人は撤退や抑制をためらう。経済的には「埋没した費用は判断から外すべき」なのに、心理はそう動きません。
製薬では、開発に巨額を投じた製品ほど、コンプライアンス上の歯止めが効きにくくなる構図が生まれます。回収しなければならない金額が大きいほど、攻めた表現を抑える判断が遅れる。投資回収の圧力が、本来なら見えるはずのリスクを曇らせる。前回(第5回)で見た評価・報酬の設計が短期売上に偏っていれば、この曇りはさらに濃くなります。
確証バイアス
期待に合うデータだけを集めさせる。自社品に有利な結果が前面に出て、不利な情報が後景に退く。資材の偏りの源になる。
サンクコスト
投じた費用が大きいほど撤退・抑制を遅らせる。回収圧力が、見えるはずのリスクを曇らせる。
独立した審査
当事者の外に置かれた目。期待を共有していないからこそ、偏りと曇りを指摘できる。バイアス補正の制度的な仕組み。
03独立した審査は、バイアス補正の制度的装置
組織が自分の歪みを自分で正すのは難しい。期待を共有している当事者だけでは、何が偏っているかに気づけないからです。だからこそ、内部統制と第三者チェックが要る。これらはバイアスを補正するために外から差し込まれた仕組みです。
販売情報提供活動ガイドラインが審査の独立性とモニタリングを求めるのは、まさにこの理由によります。会社法 362 条 4 項が取締役会に内部統制システムの整備を求め、大和銀行株主代表訴訟がその構築を怠った責任を示したのも、同じ発想の上にある。当事者の善意に任せず、構造で歪みを補正する。資材審査の独立性は、組織が自分では正せない偏りを、外側から割り込んで正すための設計です。三線ディフェンスの中で審査がどこに位置するかは、取締役会の視点 第8回で扱います。
04審査員の武器は、独立性と反証データ
審査員の役割は「経営の確証バイアスを外から割る」ことです。そのために必要なのは二つ。共有された期待から距離を保つ独立性と、都合の悪いデータを示す力です。
「この表現は、こちらの試験では支持されていません」と反証を一枚示せること。それが、共有された期待に風穴を開けます。独立性を失った審査員は、組織の期待に同調し、補正装置として機能しなくなる。だから独立性は審査員の権限ではなく、武器そのものです。経営と審査の関係をどう設計すれば独立性が保てるかは、第9回で改めて扱います。
- 確証バイアスが資材の「いいとこ取り」を生む。個人の悪意でなく、組織で共有された期待が偏りの源になる。
- サンクコストは抑制・撤退を遅らせる。投資が大きいほど、見えるはずのリスクが曇る。
- 独立した審査はバイアス補正の制度的装置。販提Gが審査の独立性とモニタリングを求める理由がここにある。
- 審査員の武器は独立性と反証データの提示。独立性を失えば補正装置として機能しなくなる。
- 会社法第 362 条第 4 項(内部統制システムの整備). 取締役会が業務の適正を確保する体制の整備を決定する義務を定める。
- 大和銀行株主代表訴訟(大阪地裁 2000 年 9 月 20 日判決). 取締役の内部統制・監視体制構築義務と、その欠如による損害賠償責任を示した。
- COSO. 全社的リスクマネジメント(COSO ERM). リスク評価と統制活動を通じて、判断の偏りを組織として補正する枠組みを示す。
- 厚生労働省. 販売情報提供活動監視事業報告書. 社名匿名で、現実に起きた逸脱事例を記録する一次資料。