規則を読んだ。ガイドラインを覚えた。それでも、目の前の資材が誰かの処方決定に直結し、その先に患者の身体があるという実感が薄ければ、審査は形式チェックに留まる。感情移入とは共感の感情ではなく、「この資材を受け取るのは誰か」と問い直す認知の習慣だ。知識と判断の間に橋を架け、抽象的な規則を「誰かの問題」として着地させる。
So what / So why ── この視座の核心
So what(何が変わるか) 感情移入とは、規則の文字を「誰かが経験すること」に変換する作業だ。資材審査の場面で言い換えると、「この安全性情報の記載はガイドライン上問題ないか」という問いを、「この資材を読んだ医師が処方を決め、患者がその薬を飲む。そのとき医師の手元にある情報はこれだけで十分か」という問いに組み替えることだ。規則への適合と、受け手への届き方は、同じことではない。その差が問題になるのは常にグレーゾーンで、形式を満たした省略が実質的に機能しているかどうかを、文字の照合だけでは判断できない局面だ。
So why(なぜ審査に要るか) 審査が「形式チェック」に留まるとき、審査者は自分が関与した資材の影響を末端まで辿っていない。安全性情報が1行だけ末尾に書いてあれば「記載あり」と処理する。その1行が実際に医師に読まれるか、処方判断に入るかを問わない。感情移入の欠如は審査の精度の問題ではなく、審査の目的そのものを変質させる。医薬品の販売情報提供活動ガイドラインが「ネガティブな情報についても提供すること」と定めるのは、受け手の判断を守るためだ。その守るべき受け手の立場に、審査者が一度も立ったことがなければ、規則は頭の中の抽象として留まり続ける。
この視座が「規則の目」と対になる理由はここにある。規則の目は「何を書くべきか」を問う。感情移入の目は「何が届くか」を問う。この二つが重なったとき、初めて審査は実質的に機能する。
視座の中身 ── What / Where / Why / How
What(このレンズで何を見るか) 資材の受け手──患者、家族、処方する医師、薬剤師──の主観的状況を内面化することだ。「この情報だけが手元にある状態」を想像し、その立場から資材を読む。具体的には、安全性情報の記載量・順序・強調度が、受け手の認知において機能しているかどうかを問う。
Where(どこで使うか) 安全性情報の書き方の十分性を判断するとき。患者向け資材と医療者向け資材の情報バランスを確認するとき。「記載はある。しかし伝わるか」という問いが必要な局面、すなわち形式が満たされていても実質的な機能が疑われるグレーゾーンで、この視座は最も働く。RMPの重要リスクが末尾に一文あるだけの資材、副作用名を言葉にしないまま「添付文書をご参照ください」で済ませた説明──そういった判断の境界で使う。
Why(なぜこのレンズが必要か) 規則は「何を書くべきか」を定めるが、「どの程度書けば届くか」は定めない。その問いに答えるのは受け手の状況への想像力だ。形式的な記載と実質的に機能する情報の差は、受け手の立場に立たなければ見えない。「私が医師なら、この情報で処方判断を下せるか」という問いが、文字の照合を意味の確認に変える。
How(具体的にどう使うか) 一読した後に問い直す。「この薬を処方された患者は、このリスクを知った上で服薬を選べるか」「この説明会に出た医師は、この製品のネガティブデータの存在を知ることができたか」。この問いを持って資材を再読することが、感情移入を審査の手順に組み込む方法だ。感情的に揺さぶられる必要はない。立場を一時的に借りて読む、という認知の操作で足りる。
感情移入の入口 ── その立場に立つ
以下は、実在する逸脱事例を下敷きに、複数の当事者の立場から状況を再構成したものだ。断定ではなく、「この立場に立てばこう見える」という視点の借り方として読んでほしい。
患者の立場
花粉症が悪化した春、主治医から新しい抗アレルギー薬を処方された。先生は「よく効きますよ」と言った。あなたには自分に禁忌があるかどうかわからない。処方した医師が出席したWebセミナー(20分)で、その薬の禁忌と慎重投与に関する情報が、最後のスライドで添付文書を10秒ほど映しただけで済まされていたことも知らない。医師が「禁忌の確認が不十分だった」と後から気づいたとしても、あなたにはその経緯が届かない。あなたは「先生が選んでくれた薬」として飲む。
ここで問う。もし自分がこの患者だったら、「安全性情報は記載ありました」という審査記録に納得できるか。
家族の立場
父が新しい循環器の薬を処方された。主治医は「国際試験で心血管イベントのリスク低下が確認されています」と話してくれた。安心した。しかし父は日本人だ。日本人集団では腎不全への進展抑制効果が弱い可能性があること、当初薬事承認が見送られた経緯があること、その事実は医師も知らなかった。薬事委員会向けのオンラインヒアリングで、担当者は触れなかったのだから。医師に聞けば「そういうデータがあるとは知らなかった」と言うかもしれない。あなたは、その判断の何が欠けていたのかを、今でも知らない。
ここで問う。もし自分がこの家族だったら、「情報は開示されていた(質問があれば答えた)」という説明に納得できるか。
処方する医師の立場
薬事委員会のためにオンラインヒアリングを設定した。時間を確保した。企業担当者は有効性データを説明した。国際試験では有意なリスク低下が確認されている、そう聞いた。ヒアリングが終わり、後日、電子添文を自分で開いて「日本人では腎不全への進展抑制効果が弱い可能性がある」という記載を見つけた。聞かれなかったから言わなかった、というのが担当者の論理だとしたら、自分は何を根拠に薬事委員会に報告すればよかったのか。次の患者の処方を、何を手がかりに決めればよいのか。
この「知らないまま判断する医師」の立場に立ったとき、安全性情報の省略が技術的な違反ではなく、誰かの判断を汚染する行為として見える。感情移入の目は、そのように機能する。
しくじりを鏡に ── この目で過去の逸脱を読み直す
監視事業が記録してきた逸脱を、感情移入の目で読み直す。規則違反の記述としてではなく、「誰の判断が歪んだか」という問いで。
事例1 ── 20分のWebセミナーで安全性情報が「最後の10秒」(2020年公表報告書)
媒体・製品領域: 企業サイト上のWebセミナー(視聴時間約20分) / 抗アレルギー薬
何が起きたか: セミナーを通じて適応患者やインタビューフォームに記載の重要な基本的注意事項への言及がなかった。安全性情報──禁忌や慎重投与──の提供は最後のスライドで添付文書を10秒ほど投影する形でしか行われなかった。報告書の評価は「禁忌や慎重投与等、安全性に関する情報提供は最後のスライドで添付文書を10秒ほど投影する形でしか行われていなかった」(2020年公表 販売情報提供活動監視事業報告書)。
感情移入の目で読み直す: 作成者の内面には「安全性スライドは入れた」という認識があったはずだ。形式の記録として「提供した」は成立する。しかしこのセミナーを見た医師の手元には、10秒間の画像として残る添付文書の映像がある。禁忌患者がいた場合、その医師はその情報を処方判断に使えたか。患者はリスクを知った上で服薬を選べたか。感情移入の目が問うのはここだ。「記載あり」と「届いた」の間の溝を、この患者の立場なしに見ることはできない。なお、形式的な記載で実質を覆う構造についてはつくり手の内側 vol.02「誰かのせいにできる構造 ── 責任の外部化」も参照してほしい。外部化される責任の裏側で、受け手は誰にも責任をとってもらえないまま残される。
→ しくじりの解剖 vol.06「有効性のみの強調・安全性情報の軽視」に詳細事例を収録している。
事例2 ── 薬事委員会向けヒアリングで語られなかった日本人データ(2023年公表報告書)
媒体・製品領域: 企業担当者によるオンライン説明 / 循環器官用薬
何が起きたか: 院内薬事委員会向けのオンラインヒアリングで、担当者は有効性を中心に説明した。電子添文には「日本人では腎不全への進展抑制効果が弱い可能性がある」と明記されていたが、担当者はこの点に触れなかった。医療関係者から質問されて初めて、別のスライドで日本人集団データが示された。報告書の評価は「十分な説明時間を病院側が確保したにもかかわらず、ネガティブな情報提供を敢えて行わなかったことが疑われる情報提供であった」(2023年公表 販売情報提供活動監視事業報告書、疑義報告事例⑤-1)。
感情移入の目で読み直す: 担当者の内面には「聞かれれば答えた」という記録がある。しかし医師の立場で考えると、「聞けば教えてもらえた」情報は、「知らないまま処方を決める」ことを意味する。日本人データを自ら探す医師は、その情報の存在を知っている医師だけだ。存在を知らなければ、質問しようがない。ヒアリングの場で一度も口から出なかった日本人集団のハザード比が、その後の処方判断にどう影響したかを、この医師の立場から辿ると──感情移入の目は、「敢えて行わなかった」という報告書の言葉の重さを、規則上の評価としてではなく、誰かの判断の欠落として受け取る。
→ しくじりの解剖 vol.06「有効性のみの強調・安全性情報の軽視」に詳細事例を収録している。
二つの事例に共通するのは、逸脱が「誰かに届かなかった情報」として機能したという点だ。規則の目で見れば「安全性情報は提供されなかった」で終わる。感情移入の目で見ると、「あの医師は知らないまま処方を決めた」「あの患者はリスクを知る機会がなかった」という連鎖として見える。その連鎖を想像できる審査者は、形式的な記載を「これで足りるか」と問い直す。
複眼の審査 ── 規則の目と当事者の目 ── 全 10 章の地図
- 第1回: 複眼の必要 ── なぜ「規則の目」と「当事者の目」を同時に持つのか
- 第2回: ミクロの目 ── ルールに精通する、その「なぜ」まで
- 第3回 (本章): 感情移入という方法 ── 知識を「自分ごと」に変える
- 第4回: 患者本人の目 ── この資材を信じて薬を飲むのは、私だ
- 第5回: 家族の目 ── 妻が病の夫、子が患者の親、親が患者の子
- 第6回: 弁護士の目 ── 反対尋問に、この資材は耐えるか
- 第7回: 規制当局の目 ── 監視・行政指導の視座で自社資材を読む
- 第8回: マスコミ・社会の目 ── 一面記事の見出しを想像する
- 第9回: 視座を束ねる ── 切り替え・同時保持・統合のメタ認知
- 第10回: 俯瞰の心を習慣に ── しくじりの解剖を鏡に
- 「記載あり」と「届いた」は別の問いだ。 安全性情報が形式上存在することと、処方医がその情報を判断材料として受け取ったことは同じではない。2020年公表の抗アレルギー薬事例が示すように、20分のセミナーで添付文書を10秒投影することは記録として「提供した」に見えるが、その医師の手元に残る情報量は10秒分だ。
- 感情移入は「誰が知らないまま決めたか」を問う目だ。 2023年公表の循環器系薬剤の薬事委員会ヒアリング事例では、日本人集団でのネガティブデータが質問されるまで出てこなかった。その情報の存在を知らない医師は質問できない。感情移入の目はこの非対称性──「存在を知らなければ問えない」──を審査の判断に組み込む。
- 規則を「自分ごと」にするのは、受け手の立場を一時的に借りる習慣だ。 「自分がこの医師なら、この情報だけで処方判断を下せるか」「自分がこの患者なら、このリスクを知った上で服薬を選べたか」という問いを持って資材を再読すること。感情的に揺さぶられる必要はない。立場を借りる認知の操作が、形式チェックを実質審査に変える。
- 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(2018年9月25日)
- 厚生労働省 販売情報提供活動監視事業報告書 令和2年度(資料番号000652563)
- 厚生労働省 販売情報提供活動監視事業報告書 令和5年度(資料番号001272191)
- 日本製薬工業協会「医療用医薬品プロモーションコード」
- 医薬品等適正広告基準(厚生労働省)
- Davis, M.H. (1983). Measuring individual differences in empathy: Evidence for a multidimensional approach. Journal of Personality and Social Psychology, 44(1), 113–126.
- Batson, C.D., Early, S., & Salvarani, G. (1997). Perspective taking: Imagining how another feels versus imagining how you would feel. Personality and Social Psychology Bulletin, 23(7), 751–758.
- Galinsky, A.D. & Moskowitz, G.B. (2000). Perspective-taking: Decreasing stereotype expression, stereotype accessibility, and in-group favoritism. Journal of Personality and Social Psychology, 78(4), 708–724.