資材に書いた数字は正確だった。引用した論文の数値もそのままだ。でも読んだ医師の頭の中に残ったのは、私たちが意図しなかった像だった。チェリーピッキングの事例が毎年繰り返されるのは、作り手が「紙の上の正確さ」だけを守ろうとしているからではないか。この信条はもう一歩踏み込む。正確なデータを使うだけでなく、読み手の頭の中に残る像の正しさに責任を持つ。それがこの信条の核心だ。

So what / So why ── なぜこの信条が要るか

「紙の上では正確だった」という言葉が、チェリーピッキングの事例検討で繰り返し出てくる。グラフの数値は論文の通りだ。引用した試験は実在する。でも受け手の頭の中に残った像は、正確ではなかった。

平成31年3月版の広告活動監視モニター事業報告書に記録された事例を一つ見てほしい。気管支喘息治療薬の院内製品説明会で、主要評価項目の年間喘息増悪率について全例解析(各群約250例)を示さず、日本人サブグループ(各群約15例)の結果だけをスライドとパンフレットに掲載した。データは本物だった。しかし受け手の医師の頭の中に残ったのは「日本人では特に効く薬」という像で、全例解析が示す全体像は届かなかった。担当者が理由を尋ねられて答えた言葉は「医師は日本人データを求めるため」だった。嘘はない。でも像は歪んでいた。(分析編 vol.02「データ・グラフの恣意的な抜粋/加工/見せ方」参照)

処方判断は数字ではなく像に基づく。医師は資材を見た後、数値の細部ではなく印象を手がかりに処方する。「あの試験ではよく効いていた」「副作用は少なそうだった」という記憶の痕跡が、次の処方を動かす。その痕跡の正確さを誰が管理するか。資材を作った側しか管理できない。受け手は原著論文や審査報告書を毎回参照しない。だから作り手が「伝わった像の正しさ」に責任を持つしかない。「紙の正確さ」は必要条件だが、十分条件ではないのだ。

信条 ── こうありたい

私はデータの正確さを守ることを当然の前提とした上で、そこで止まらないようにしたい。

数字が正確でも、見せ方が一方向に絞られていたら、受け手の頭の中には偏った像が残る。副次評価項目(あらかじめ設定された補助的な測定指標)だけを大きく示したスライドを見た医師は、主要評価項目(試験の中心的な有効性指標)で有意差がなかったことを知らない。その医師に責任があるわけではない。処方判断に使える時間と注意力は有限で、審査報告書を毎回確認することは現実的ではない。

だから私は、自分を「説得者」ではなく「科学的根拠の管理者」として考えたい。説得者は、相手に信じてもらうことを目的に情報を選ぶ。科学的根拠の管理者は、相手が判断を下すのに必要な情報の全体が正確に届いているかを確かめる。この違いは微妙に見えて、実際には判断の向きが逆になる。

もちろん迷う。資材は無限に長くできない。全ての情報を均等に扱うことが現実的でない場面もある。どこに重点を置くかの判断は避けられない。その時、私は自問したい。「この重点の置き方は、受け手の処方判断を助けるためか、それとも採用を取るためか」と。両者はしばしば一致するが、ずれる時がある。ずれた時に、どちらを選ぶか。私はその問いから逃げないようにしたい。完璧な達成を宣言したいわけではない。ただ、問い続けることをやめない。

日々の実践 ── 具体的な行動とチェック

試される場面 ── 重圧の下で

「先生への訴求が弱い」という言葉は、この信条を削る。

四半期末に地域マネジャーからシェアの進捗を確認されると、「資材をもっと刺さるものに」という気持ちが動く。そこで手が向かうのは、有利なサブグループをもっと大きく、比較対照群をさりげなく小さく、副次評価項目を主要評価項目より視覚的に目立たせる、という操作だ。一つ一つは小さな判断だ。しかしその積み重ねが、受け手の頭の中に残る像を系統的に偏らせる。

「良い薬を届けたい」という動機それ自体は正当だ。しかしその動機が強くなるほど、「この薬は効く」という確信が先行し、その確信を支持するデータだけを手に取る方向に引っ張られる。使命感が確証バイアスに変わる瞬間があり、そこを自覚するのは難しい。なぜなら「嘘をついた」という感覚がないからだ。この心理の動き方については、重圧シリーズ vol.02「信条の罠 ── 『良い薬を届けたい』が入口になる」で詳しく扱っている。

この信条が重圧に削られそうな時、私は一つの問いを立て直す。「紙の上では正しい」「嘘はついていない」という内側の声が聞こえた時、それは線を越えるサインかもしれない。正確さは必要条件だが、十分条件ではない。受け手の像が偏っていることに気づきながら「でも数字は本物だ」と進むとき、私たちは誠実さから遠ざかっていく。

拠り所 ── 折れそうな時に立ち返る

「科学的・客観的根拠に基づき正確な情報提供を行うこと」。販売情報提供活動ガイドライン(平成30年9月)の基本原則だ。この一文を読み返すとき、私は「正確な情報提供」の意味を問い直す。データが正確でも、像が正確でなければ、情報提供は正確とは言えない。

ガイドラインはさらに「有効性と安全性の両面にわたって情報提供すること」「特定の情報のみを提供することにより誤認を与えることのないよう留意すること」と定める。「誤認を与えない」とは、紙の正確さだけでなく、伝わった像の正確さへの要請だ。主要評価項目を隠して副次評価項目だけを大きく見せることは、個々の数字が正確でも「誤認」を与える。グラフから対照群を削ることも、縦軸を途中から始めることも、その意味で誤認を与える。

チェリーピッキングのパターンが平成31年から令和7年まで毎年繰り返されてきた事実(分析編 vol.02参照)が示すのは、「正しいデータを使えば十分」という考え方だけでは防げないものがあるということだ。その防げない何かが、読み手の頭の中への感度の欠如だと私は思っている。

ガイドラインの原則と、過去の記録の重さに戻ること。自分が「科学的根拠の管理者」であるという位置に戻ること。それが私の拠り所だ。良心と責任感は、「紙の上で正確か」を問う前に、「伝わった像は正確か」を問う。その順番を守り続けることが、この信条の実践だ。

こうありたい ── 資材作成者の10の信条 ── 全 10 章の地図

  1. 第1回: 科学的根拠の管理者 ── 私は売る人ではない
  2. 第2回 (本章): 読み手の頭の中に責任を持つ
  3. 第3回: 結論を疑う良心 ── データに先導される
  4. 第4回: 全体に署名する ── 1スライドでなく文書全体
  5. 第5回: 語る義務 ── 有効性と安全性を対等に
  6. 第6回: 引き受ける ── 「医師が判断する」で逃げない
  7. 第7回: 数字との正しい距離 ── ノルマは制約、目的ではない
  8. 第8回: 競合他社への敬意 ── フェアプレーが信頼をつくる
  9. 第9回: 開かれていること ── Limitation(限界)・不確実性・利益相反を自ら言う
  10. 第10回: 良心を組織の仕組みに埋め込む ── 個人から組織へ、見える形で残す
Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 伝わった像が、処方判断を動かす。 資材の数字が正確でも、何を見せて何を見せなかったかによって、受け手の頭の中に残る像は偏る。その像が次の処方を決める。チェリーピッキングの事例が示すのは、紙の正確さと伝わった像の正確さは別物だということだ。
  2. 自分を「説得者」でなく「科学的根拠の管理者」と見ること。 説得者は相手に信じてもらうためにデータを選ぶ。科学的根拠の管理者は、判断に必要な情報の全体が届いているかを確かめる。この違いが判断の向きを変える。重点の置き方が「採用を取るため」か「受け手の判断を助けるため」かを問い続けること。
  3. 「紙の上では正しい」という内側の声は、線を越えるサインかもしれない。 受け手の像が偏っていることに気づきながら「でも数字は本物だ」と進むとき、誠実さから遠ざかる。販売情報提供活動ガイドラインが定める「誤認を与えないこと」は、数字の正確さではなく、像の正確さへの要請だ。
出典・参考文献
  1. 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(平成30年9月25日)
  2. 厚生労働省 広告活動監視モニター事業報告書 平成31年3月(②-13 気管支喘息治療薬事例収録)
  3. 厚生労働省 販売情報提供活動監視事業報告書 令和2〜6年 各年
  4. 厚生労働省 販売情報提供活動調査事業報告書 令和7年3月
  5. 日本製薬工業協会「製薬協コード・オブ・プラクティス」
  6. 日本製薬工業協会「医療用医薬品製品情報概要等に関する作成要領」
  7. 医薬品等適正広告基準(厚生労働省)
  8. Kahneman, D. (2011). Thinking, Fast and Slow. Farrar, Straus and Giroux.
  9. Kunda, Z. (1990). The case for motivated reasoning. Psychological Bulletin, 108(3), 480–498.