資材を作るとき、頭のどこかに「この薬は効くはず」という気持ちがある。その気持ちは嘘ではない。でも、その気持ちがデータを選ぶ手を動かし始めた瞬間に、資材はエビデンスの記録から「結論の後づけ」に変わる。第3の信条は、その滑り込みに気づくことだ。自分の初期判断を仮説として保留し、それを崩す科学的根拠を意識的に探す。良心は、反証に正面から向き合おうとする姿勢のなかにある。
So what / So why ── なぜこの信条が要るか
平成31年度から令和7年度まで、厚生労働省の販売情報提供活動監視事業が7年間にわたって記録してきたデータ加工・転用のインシデントには、一つの共通した骨格がある。使われた数字は本物だ。引用元の試験は実在する。それなのに、医師が受け取った結論は誤っていた。
骨格はこうだ。結論が先にあり、データがその結論を探しに行った。
平成31年度の気管支喘息治療薬のケースでは、第Ⅲ相国際共同試験の主要評価項目について、全例解析(各群約250例)は出さず、日本人サブグループ(各群約15例)だけをスライドとパンフレットに載せた。なぜかと問われた担当者の答えは「医師は日本人データを求めるため」だった。ところが全例データより日本人サブグループのほうが結果が良かったことも事実だ。「医師が求めるから」という理由は、有利なデータを選んだ後に整合性を持って見えるようになった根拠だった可能性が高い。
令和6年度の高脂血症治療薬のケースはさらに遠くまで進んだ。「医療機関での投与のほうが患者に好まれる」という調査データを製品説明会で提示したが、その調査の対象は本剤の適応疾患ではない重度の喘息患者で、医療制度も大きく異なる海外の調査だった。元の文献は5項目を比較していたが、説明会資料では本剤に有利な2項目だけを抜粋していた。「投与の利便性で自社製品を有利に見せたい」という出発点があって、そこから文献を探した結果、疾患も国も制度も違うデータが引き寄せられた。
社会心理学者ゾワ・クンダは1990年に、この認知の仕組みを「動機づけられた推論(motivated reasoning)」と名づけた。望む結論に到達したいという動機が、どの科学的根拠を集めてどう評価するかを無意識に歪める、というものだ。行為者は「偏っている」と感じない。「数字は本物だ」「医師が求めているから」「条件は似ている」という内面が成立している限り、逸脱の自覚は持ちにくい。
この信条が要るのは、人間の認知がデフォルトでこの方向に動くからだ。「科学的根拠が先、結論は後」は意識的に選ばない限り実現しない。(→ 過去インシデント編 vol-01「事実誤認のおそれのあるデータ使用・加工」・重圧の下で vol-03「結論が先、データは後 ── 動機づけられた推論」)
信条 ── こうありたい
自分の役割を「説得者」ではなく「科学的根拠の管理者」と定義したい、と思っている。説得者なら、有利なデータを前に出して不利なデータを後ろに回すことに合理性がある。でも科学的根拠の管理者なら、逆だ。自分が最初に思った結論を仮説として棚上げにして、その仮説を崩す科学的根拠を先に探す。
たとえばサブグループ解析の結果が全例解析より良かった時、自分が最初にやることは「なぜ差があるのか」を問うことだ。患者背景の違いか、試験デザインか、それとも偶然か。その問いに答えを出す前に、結果を資材に載せない。全例解析が不利だったという事実は、サブグループを見せると決めた後でも、受け手に伝える必要がある。
迷う場面は必ずある。「ここは口頭で補足すればいい」「受け手が原著を確認すればわかる」という考えが浮かぶことも知っている。でも自分がその補足を毎回しているかどうか、正直に問い返したい。前提条件を口頭で言い添える習慣がなければ、「口頭補足」は事後的な言い訳になる。
完璧にできるとは思っていない。でも、不利なデータを見た時に「これはどう扱えばいいだろう」と立ち止まれる自分でいたい。その立ち止まりこそが、この信条の実体だと思っている。
日々の実践 ── 具体的な行動とチェック
- 「なぜこのデータを選んだか」を先に書く。スライドや資料を作る前に、使う試験データを選んだ理由を一行メモする。「有利だから」しか書けなかった時は、選択を見直す。
- 主要評価項目と副次評価項目を自分の中で順序立てる。副次評価項目の結果が良い場合、主要評価項目の結果と並べて確認する。説明の中で順序が逆転していないかを点検する。
- 前提条件の差を資料本文に明記する。比較対象の試験デザイン・患者属性・医療制度が異なる場合は、その差を資料に書く。「類似している」という判断を口頭補足に頼らない。
- 反証を一つ以上探す。資料のドラフトが完成したら、「この結論を否定するデータはないか」を探す時間を取る。見つかった場合は、それをどう扱うかを意識的に判断する。
- 安全性データの出し方を有効性と同じ基準で問う。副作用・禁忌・RMP(医薬品リスク管理計画)の重要リスクについて、「有効性と同じ重み・時間・スペースで伝えているか」を自問する。最後の数秒・最小フォントは「提供した」とは言いにくい。
- 「聞かれなかったから言わなかった」を免責にしない。ガイドラインは「ネガティブな情報についても提供すること」と定める。質問を待つ姿勢は、提供義務を果たしたことにならない。
試される場面 ── 重圧の下で
この信条が一番削られるのは、上市直後の6〜12ヶ月だ。エビデンスは薄い。でも処方を取ってこいという圧力は最高点にある。「限られたデータでどう見せるか」という問い自体が、結論先行の入口になる。
地域マネジャーから「先生への訴求が弱い」と言われた翌日、資材を見直す。そこで目についたのが、全例解析より良いサブグループの数字だった。「このほうが日本の先生には刺さる」と思った瞬間、選択の方向は決まっている。問題は、その瞬間に「なぜこのサブグループが全例と違うのか」という問いが浮かぶかどうかだ。浮かばなかったのが、平成31年度の気管支喘息治療薬のケースだった。
競合品が新適応を取得した直後も同じ構造が生まれる。「差別化材料を見つけろ」という要求の下で文献を探すと、疾患・国・制度が違う調査でも「数字は本物だ」という感覚で引き寄せられる。前提の差を確認する一手間が、圧力の前では「無駄な迷い」に見えてしまう。令和6年度の高脂血症治療薬の事例はこの構造を正確に映している。
線を引くとしたら、この問いだと思っている。「このデータを使う根拠を、前提条件も含めて医師に正直に説明できるか」。説明できない使い方はしない、というのが最低限の線だ。
重圧の構造と内面でどう起きるかについては、重圧の下で vol-03「結論が先、データは後 ── 動機づけられた推論」で詳しく分析している。
拠り所 ── 折れそうな時に立ち返る
迷ったとき、医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドラインに戻る。「科学的・客観的根拠に基づき、正確かつ公平でなければならない」「有効性と安全性の両面の情報を提供すること」「引用に当たりデータの抜粋・修正・統合等を行ってはならない」という原則は、個人の意志の問題を手順の問題に変えてくれる。
「これを使っていいか迷う」という場面は、実はガイドラインを適用する場面だ。迷っているということは、どこかで前提の差や省略の問題を感じ取っている。その感覚を「細かいことを気にしすぎている」と打ち消す前に、ガイドラインの文言に当てはめてみる。「この使い方はデータの抜粋・修正・統合に当たるか」という問いに答えられるかどうかで、判断がつく場合が多い。
良心の置き所は、その問いを自分に投げかける習慣だと思っている。7年間のインシデントが繰り返し示しているのは、「問いを立てなかった」ことで起きる逸脱の多さだ。処方した医師が後でインタビューフォームを確認して初めて「説明と違う」と気づく事例は、気づいた医師がいるから記録に残っている。気づかなかった処方の数は把握できない。
(→ 過去インシデント編 vol-01「事実誤認のおそれのあるデータ使用・加工」 ── 平成31年度から令和7年度までのインシデント全件)
こうありたい ── 資材作成者の10の信条 ── 全 10 章の地図
- 第1回: 科学的根拠の管理者 ── 私は売る人ではない
- 第2回: 読み手の頭の中に責任を持つ
- 第3回 (本章): 結論を疑う良心 ── データに先導される
- 第4回: 全体に署名する ── 1スライドでなく文書全体
- 第5回: 語る義務 ── 有効性と安全性を対等に
- 第6回: 引き受ける ── 「医師が判断する」で逃げない
- 第7回: 数字との正しい距離 ── ノルマは制約、目的ではない
- 第8回: 競合他社への敬意 ── フェアプレーが信頼をつくる
- 第9回: 開かれていること ── Limitation(限界)・不確実性・利益相反を自ら言う
- 第10回: 良心を組織の仕組みに埋め込む ── 個人から組織へ、見える形で残す
- 確信はデータを選ぶ手を動かす。 「この薬は効く」という出発点でエビデンスを探し始めた瞬間に、探索はすでに一方向を向いている。自分の初期判断を仮説として保留し、それを崩す科学的根拠を意識的に探す習慣が、動機づけられた推論への唯一の対抗手段になる。
- 不利なデータを見つけた時こそ、良心の見せ場だ。 前提条件の差、副次評価項目の限界、日本人サブグループと全例との乖離 ── それを正直に資料に書けるかどうかが、科学的根拠の管理者としての誠実さを決める。隠す動機は常にある。それでも書く、という選択がある。
- 迷ったら「これを医師に正直に説明できるか」を問う。 ガイドラインの「科学的・客観的根拠に基づき、正確かつ公平に」という原則は、重圧の下で個人の意志が揺れる場面を、手順の問題に変換してくれる。説明できない使い方はしない、が最低限の線だ。
- 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン(厚生労働省、2018年9月)
- 医療用医薬品の広告活動監視モニター事業 報告書 平成31年3月(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
- 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書 令和6年3月(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
- 医療用医薬品の販売情報提供活動調査事業 報告書 令和7年3月(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
- 製薬協コード・オブ・プラクティス(公益社団法人日本製薬工業協会)
- 医薬品等適正広告基準(厚生労働省)
- Kunda, Z. (1990). The case for motivated reasoning. Psychological Bulletin, 108(3), 480–498.
- Nickerson, R. S. (1998). Confirmation bias: A ubiquitous phenomenon in many guises. Review of General Psychology, 2(2), 175–220.