シェア目標の未達を告げる週次レポート、競合新薬の上市を告げる社内メール、切替を決断した医師の一言——製薬MRがシェア喪失の予兆を感じた瞬間から、守りの感情が動き始める。その感情は、正確な情報提供という誠実さを一時的に上書きし、「他社製品の弱点を伝えれば自社品を守れる」という論理に人を引き込む。令和6年版の販売情報提供活動監視事業報告書及び令和7年版の販売情報提供活動調査事業報告書は、競合の激しい分野で同様の誹謗事例が複数の医療機関から報告され、「MR個人の資質の問題というより、営業組織による意図的な取組を疑う事案もみられた」と記録する。

So what / So why ── この回の核心

この回の核心を一行で言う。シェア喪失への恐怖という「守りの感情」が、他社製品を貶めるという「攻撃」に転じる。守りのつもりが外から見れば攻撃になっている——この非対称性が問題の本質だ。

So what(何が起きるか)。競合製品への切替を検討する医師に接触したMRが、比較データのない状態で競合品の弱点を口にする。または因果関係が不明な有害事象情報を「異常事態」と呼んで不安を煽る。または「先生はこの点についてどうお考えですか」と誹謗意見を医師に言わせる誘導を行う。形は違っても、底にある動機は同じ——自社品のシェアを守りたいという防衛反応だ。

So why(なぜ致命的か)。理由は二層ある。第一に、処方判断が歪む。エビデンスのない他社批判を信じた医師は、患者により適した選択肢を避けてしまうかもしれない。バイオシミラーへの切替を組織的に妨害すれば、医療費節減という政策目標そのものと衝突する。第二に、令和6年版報告書が「MR個人の資質としての問題というよりも、営業組織による意図的な取組を疑う事案もみられた」と明記するとおり、競合が激しい分野では誹謗が個人の逸脱を超えて組織的行動に昇格している。この段階になると、是正も再発防止も格段に難しくなる。

重圧の構造 ── 誰から、どの締切で、どんな数字で

誹謗の発生を「倫理の欠如」と片付けると、構造が見えなくなる。MRが誰から何を突きつけられているかを具体化する。

誰が圧をかけるか。直属の上長(エリアマネージャー・地区長)が最初の圧力源だ。週次・月次の営業会議でシェアの増減が可視化され、競合に切られた施設は名指しされる。令和6年版の事例では上司がオンライン面談に同席し、部下が他社2製品を名指しで誹謗するのを黙認していた。報告書はそれを「営業組織による意図的な取組をうかがわせる」と評した。圧は経営層から「競合新薬に対してどう守るか」という期待として伝わり、現場MRはその期待を忖度する。

どの締切が効くか。後発品・バイオシミラーが採用される前の「切替決定会議の前日」、競合新薬の上市後最初の「採用委員会の前」、四半期末の「ラスト3日」——これらの締切が近づくほど、平時なら選ばない手段が選択肢に浮かぶ。平成31年版の広告活動監視モニター事業報告書で複数の医療機関からバイオシミラー切替の検討中に同様の誹謗が報告されていたのも、切替が決定的になる前のタイムリミット前の行動として読める。

どの数字が作動するか。製品売上のうちシェアが1ポイント下がると年間損失がどれほどになるか——この計算を経営層は持っている。MRに届くのは「今月○○病院で△件、競合に切られた」という具体の数字だ。インセンティブが市場シェアと連動して設計されている場合、シェア喪失はMRの収入に直結する。「数字を守る」ことが「患者に誠実な情報を届ける」ことより前に来る瞬間、誹謗への一歩は踏み出されている。

内面の再構成 ── 信条→心情→深層心理

つくり手の内面は外から見えない。だが行動と発言のパターンから、信条→心情→深層心理の流れを根拠付きで推論できる。断定ではなく「こう感じたはず」という形で示す。

信条(何を正しいと信じていたか)。ほとんどのMRは自社品を本当に優れていると信じている。長年の学術情報への接触、社内トレーニング、上市時の興奮——これが「自社品が患者の役に立つ」という信条を形成する。バイオシミラーを誹謗したMRが「精製が悪い」と言ったとき、彼らは意識の上では嘘をついていなかったかもしれない。「バイオシミラーは先行バイオ医薬品と完全に同一ではない」という製薬学的な命題が、「精製が悪い」という根拠なき中傷へと滑走する——その滑走が動機づけられた推論(motivated reasoning)の典型だ。結論が先にあり、データはその後から探す。

心情(その時の感情)。シェアが脅かされている局面の感情は「不公平感と焦り」が混在する。「競合品は臨床試験が少ないのになぜ採用されるのか」「患者は本当にこれで大丈夫なのか」という正当な疑問と、「自分の数字が落ちる」という個人的焦りが、区別できないまま一体化する。行動経済学が示す損失回避バイアス——同額の損失は同額の利得より感情的に重く感じられる——が、「シェアを失う」という体験をことさら大きく感じさせる。その感情状態が判断の閾値を下げる。「これを言ったら誹謗かもしれない」という自制が効きにくくなる。

深層心理(4ドライバーの働き)。競合不安の局面では、4つのドライバーのうち複数が同時に作動する。

下敷きの実インシデント

上の内面分析が机上でないことを、3件の実在事例で示す。詳細な逸脱分析は分析編・第7回「他社製品の誹謗・中傷」を参照。

事例1 ── 口コミを「異常事態」に転化した代謝性医薬品の事案(令和7年版)

媒体・製品領域:対面訪問 / 代謝性医薬品

何が起きたか。担当MRが医療機関を訪問し、「(他社製品の)B剤使用患者において有害事象が発生し、手術が必要になった患者が県内で2名も出たとの口コミ情報を得た」と伝えた上で、「これは異常事態と考えられるので当社のA剤に採用を変更してほしい」と求めた。B剤との因果関係は確認されていない。

内面で何が働いていたか。「B剤は危ない」という結論が先にあり(動機づけられた推論)、因果関係不明の口コミがその結論を支えるデータとして使われた。「異常事態」という感情的な言葉は、医師の不安を最大化するための選択だ。因果関係の確認をしなかったのは不作為の罪、「口コミを伝えただけ」という意識は責任の外部化だ。

原文引用:「(他社製品の)B剤使用患者において有害事象が発生し、手術が必要になった患者が県内で2名も出たとの口コミ情報を得たと伝えに来院した。これは異常事態と考えられるので当社のA剤に採用を変更してほしい」(令和7年版販売情報提供活動調査事業報告書)

事例2 ── 上司同席・比較表付きの名指し誹謗(令和6年版)

媒体・製品領域:オンライン面談(企業担当者の上司も同席) / (報告書に薬効分類の明示なし)

何が起きたか。担当MRが同効薬3製品の比較表を画面共有した上で、医療機関から質問されていないにもかかわらず「N社製品は初回倍量投与しなければいけない、O社製品は便秘が多い」と他社2製品を製品名で誹謗し、自社製品の優位性を訴えた。上司が同席しており、報告書は「営業組織による意図的な取組をうかがわせる」と記録した。

内面で何が働いていたか。比較表という「客観的な資料」を準備することで「データに基づく説明」に見せかける局所合理化が機能している。上司の同席が「これは組織として認めた行動だ」という責任の外部化を支え、MRは「指示された通りにやった」という意識でいられる。競合に対して守りを固めたいという組織的な意図が、個々のMRの行動として顕在化した典型例だ。

原文引用:「M 社の企業担当者は、その上司も同席した説明会で『N 社製品は初回倍量投与しなければいけない、O 社製品は便秘が多い』と他社製品を誹謗し自社製品の優位性を訴える説明を行った」(令和6年版販売情報提供活動監視事業報告書)。同報告書の総括部分はさらに「近年、特に競合が激しい医薬品について、同様の不適切事例が複数の医療機関から報告されており、MR 個人の資質としての問題というよりも、営業組織による意図的な取組を疑う事案もみられた」と記録している(総括部分からの別引用)。

事例3 ── 医師に誹謗を「言わせる」誘導型(令和5年版 腫瘍用薬)

媒体・製品領域:オンライン面談 / 腫瘍用薬

何が起きたか。担当MRが他社製品名を挙げた上で「***(他社製品)の臨床試験結果ではここまでのデータは出ていませんでしたが、この点について、先生、どのようにお考えでしょうか」と医師に問いかけた。他社製品のデータやグラフは一切提示されなかった。

内面で何が働いていたか。自分が誹謗を言わず医師に言わせるという構造を意図的に設計している——これは局所合理化の最も洗練された形だ。「医師が自分で言った評価を伝えただけ」という責任の外部化の前段階を、発言の前に準備している。競合に対する不安が強いほど、「直接言うと問題になる」という認識と「でも伝えたい」という欲求の間で、このような迂回路が選ばれる。報告書は誘導型であっても誹謗・中傷に該当すると判断した。

原文引用:「***(他社製品)の臨床試験結果ではここまで(自社製品の数値)のデータは出ていませんでしたが、この点について、先生、どのようにお考えでしょうか」(令和5年版販売情報提供活動監視事業報告書)

3件に共通するのは、競合への切替が現実の脅威として迫っていた状況だ。守りの感情が強くなるほど、攻撃の手段は巧妙になる。

つくり手の内側 ── 逸脱が生まれる心理 ── 全 10 章の地図

  1. 第1回: 重圧の地図 ── 善意が歪むまでの距離
  2. 第2回: 信条の罠 ── 「良い薬を届けたい」が入口になる
  3. 第3回: 結論が先、データは後 ── 動機づけられた推論
  4. 第4回: 「このスライド1枚だけ」── 局所合理化
  5. 第5回: 語らない、という選択 ── 不作為の罪
  6. 第6回: 誰かのせいにできる構造 ── 責任の外部化
  7. 第7回: 数字の重力 ── ノルマとインセンティブの心理
  8. 第8回 (本章): 競合という不安 ── 焦りが他社誹謗を生む
  9. 第9回: 沈黙する組織 ── 同調圧力・審査の空洞化・開示したくない自分
  10. 第10回: 重圧を設計し直す ── 個人の心理と組織の仕組み
Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 守りの感情は攻撃を正当化する。 「自社品を守るため」という動機は、比較データなき他社批判や口コミを使った不安煽りを「仕方のない手段」に見せる。しかしその手段が誹謗・中傷であることは、動機とは無関係に判断される。
  2. 誹謗が組織化する兆候は「上司の同席」にある。 令和6年版の事例でMRの上司が面談に同席していた事実を、報告書は「営業組織による意図的な取組をうかがわせる」と評した。個人の倫理問題が組織の戦略になった段階では、是正のコストは数倍になる。
  3. 「医師に言わせる」誘導は誹謗と判断される。 自分が直接批判せず医師に問いかけて否定的評価を引き出す手法も、販売情報提供活動ガイドラインの「他社製品を誹謗、中傷すること」に該当すると令和5年版の報告書は明示した。迂回路は免責にならない。
出典・参考文献
  1. 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(2018年9月25日付、医薬監麻発0925第1号)
  2. 厚生労働省「医療用医薬品の広告活動監視モニター事業報告書」平成31年版(2019年公表)
  3. 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書」令和5年版(2023年公表)
  4. 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書」令和6年版(2024年公表)
  5. 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動調査事業報告書」令和7年版(2025年公表)
  6. 厚生労働省「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」第66条(誇大広告の禁止)
  7. 厚生労働省「医薬品等適正広告基準」(2017年9月29日付改正、薬生発0929第4号)
  8. 日本製薬工業協会「プロモーションコード」(最新版)
  9. ダニエル・カーネマン著、村井章子訳「ファスト&スロー ── あなたの意思はどのように決まるか?」早川書房、2012年(動機づけられた推論・損失回避バイアス)
  10. Amos Tversky & Daniel Kahneman, "Loss Aversion in Riskless Choice: A Reference-Dependent Model," Quarterly Journal of Economics, Vol.106, No.4, 1991
  11. キャロル・タヴリス、エリオット・アロンソン著、森内薫訳「なぜあの人はあやまちを認めないのか ── 言い訳と自己正当化の心理学」河出書房新社、2009年(自己正当化と認知的不協和)