「今月の数字、見てますか」——上長のその一言が、資材の設計を変えることがある。承認されているデータは同じなのに、強調する箇所が変わる。安全性の記述が短くなる。不利な試験結果が別添に移る。目標の数字はなくならないし、なくす必要もない。ただ、目標が目的に変わった瞬間、資材を作る私たちが守るべき一線が静かに動く。この信条は、その動き方に気づくためにある。

So what / So why ── なぜこの信条が要るか

資材作成者は、MRより数字から遠い場所にいるように見える。でも実際には、完成した資材の評価は処方実績で返ってくる。マーケティングのKPIに「処方シェア」「採用率」「講演会後の新規処方医数」が並ぶ中で、資材も結果で測られる。そうなると「このスライドが弱い」「もっと印象が残る構成に」という要求は、数字という言語で来る。その要求が科学的根拠の範囲内に収まっているうちは問題ない。問題は、要求が根拠の範囲を超えたとき、資材作成者がそれを「調整」と呼んで処理し始める瞬間だ。

なぜ「調整」と呼んでしまうのか。動機づけられた推論(motivated reasoning)が働くからだ。「この薬は本当によい薬だ。だから多くの患者に使われるべきだ。だから処方数が増えることは正しいことだ。だからそのための資材は正しい」——この連鎖は、各ステップが無害に見えるまま、出発点の問いを消してしまう。出発点の問いはシンプルだ。「この記述は承認された科学的根拠の正確な反映か」。それだけだ。

実在の事例が教えることがある。監視事業報告書が記録した逸脱の多くは、資材そのものの問題から始まっていた。説明会のスライドが適応外の疾患を暗示する構成になっていた。「一般論」と題したスライドに特定の薬剤への誘導が仕込まれていた。長期処方制限の潜脱方法が資材ではなく口頭で渡され、資材は「問題のない範囲」に収まっているように見えた。数字が目的になると、こうした分割が起きる。問題のある部分だけを資材の外に出して、資材自体は「適正」に見せる。これは偽装ではなく、誠実さの欠如だ。

信条 ── こうありたい

私は、目標の数字を制約として読みたいと思っている。制約とは、動ける範囲を示す外枠だ。目的とは、その範囲の中で何を実現するかだ。この二つを混同したとき、数字を増やすことが目的になり、そのための手段として科学的根拠が使われ始める。根拠が手段になると、都合の良い部分だけが「根拠」と呼ばれるようになる。

私が資材で管理したいのは、科学的根拠の完全性だ。有効性のデータを出すなら、安全性のデータも同じ重みで出す。サブグループ解析の結果を強調するなら、それがサブグループであることを見えるかたちで残す。承認された適応以外への示唆は、どんな形であっても入れない。これは萎縮ではない。「この薬の本当の姿を、処方する医師に正確に渡す」という作業への責任感だ。

もちろん、これを守り続けることは難しい。四半期末に「もう少し踏み込んで」と言われる。競合の資材が大胆に見える。自分が担当する製品への思い入れが、「このくらいはいいだろう」という感覚を育てる。そういう引力を感じたことがない、と言えたら嘘だ。だから信条として書き留めておく。引力を感じたとき、自分がどこに立とうとしているかを確認するために。

日々の実践 ── 具体的な行動とチェック

信条は宣言だけでは機能しない。日々の判断の中に落とし込むための、具体的な問いかけが要る。

試される場面 ── 重圧の下で

具体的に、どういう場面で一線が試されるか。

四半期末の二週間前、製品マネージャーから連絡が来る。「今の説明会スライドでは処方意向が上がらない。競合はもっと踏み込んでいる。次の施設訪問に間に合うように改訂したい」。資材の改訂依頼は正当な業務だ。問題はその内容だ。「踏み込む」の意味が、より正確な情報の提示なのか、より都合のよいデータの強調なのか、あるいは承認外の示唆なのかによって、対応はまったく変わる。

このとき最初に現れる心理が「局所合理化」だ。「競合がやっている」「医師が聞いてきたときに備えるだけ」「一般論として載せるだけ」。各判断は「小さな例外」として処理されるが、積み重なると全体として逸脱になる。分岐はここだ。「この変更の根拠は何か」という問いを立てられるかどうか。

もう一つの試される場面は、講演会の演者スライドの事前審査だ。KOLが作成したスライドを事前に確認するとき、そこに承認外の用法が含まれていたとする。演者の権威、長年の関係、締切のプレッシャー。これらを前に「指摘しにくい」という感覚が生まれる。でも指摘しなかった場合、配布されたスライドの内容は企業が実質的に共同で推奨したものになる。令和7年度の報告書に記録された講演会事例は、この経路をたどっていた。

重圧の下でどう動くかの分析については、第2シリーズ「数字の重力 ── ノルマとインセンティブの心理」で深く掘り下げている。動機づけられた推論・局所合理化・責任の外部化という三つの心理ドライバーが、良心のある人間をどう動かすかを、実在の事例に接地して読める。

拠り所 ── 折れそうな時に立ち返る

数字の引力が強くなったとき、立ち返る場所がある。販売情報提供活動ガイドラインが示す四つの原則だ。科学的・客観的な根拠に基づくこと。有効性と安全性の両面の情報を提供すること。公正な競争を行うこと。利益相反を透明にすること。この四点は、何のための資材かを思い出させる。処方数のためではない。医師が患者のために正確な判断をするために、根拠を届けるためだ。

「有効性と安全性の両面」という言葉が特に重い。有効性だけを強調した資材は、それがどれほど精密に作られていても、情報として片輪だ。医師は両輪の情報をもとに処方判断をする。片輪だけ渡して「正確な情報を提供した」とは言えない。

折れそうになったとき、第1シリーズの事例を読み返すことがある。「未承認の効能効果・用法用量の提示」に記録された事例の多くは、数字を目的にした判断が積み重なった先にある。脂質異常症治療薬のMRが「後発品を処方して患者に飲ませなければ、保険査定を受けずに単剤で使える」と医師に伝えたのは、悪意からではなかった。「この薬が患者に届いてほしい」という確信からだった。でもその確信が、添付文書の併用条件を骨抜きにし、製造販売後安全監視の仕組みを破壊した。資材を作る私たちも、同じ確信を持ちうる。確信は正しいことをしているという感覚を与えるから、危ない。

数字はものさしだ。何を測っているかを忘れたとき、ものさしは目的になる。ものさしが目的になった先に、患者がいる。その患者は四半期の数字に登場しない。

こうありたい ── 資材作成者の10の信条 ── 全 10 章の地図

  1. 第1回: 科学的根拠の管理者 ── 私は売る人ではない
  2. 第2回: 読み手の頭の中に責任を持つ
  3. 第3回: 結論を疑う良心 ── データに先導される
  4. 第4回: 全体に署名する ── 1スライドでなく文書全体
  5. 第5回: 語る義務 ── 有効性と安全性を対等に
  6. 第6回: 引き受ける ── 「医師が判断する」で逃げない
  7. 第7回 (本章): 数字との正しい距離 ── ノルマは制約、目的ではない
  8. 第8回: 競合他社への敬意 ── フェアプレーが信頼をつくる
  9. 第9回: 開かれていること ── Limitation(限界)・不確実性・利益相反を自ら言う
  10. 第10回: 良心を組織の仕組みに埋め込む ── 個人から組織へ、見える形で残す
Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. ノルマは動ける範囲の外枠であり、何を実現するかの答えではない。 数字が目的に変わった瞬間、科学的根拠は手段に変わり、都合のよいデータだけが「根拠」と呼ばれ始める。
  2. 除いたデータの理由を言葉にすることが誠実さの核心だ。 安全性情報・有効性の限界・不利なサブグループ結果を省いた理由が「印象が悪くなるから」であれば、それは科学的判断ではなく商業的判断だ。
  3. 良心のある人が数字の引力に押されるのは、「この薬は本当によい薬だ」という確信を持っているからだ。 その確信が動機づけられた推論の入口になる。確信の強さと根拠の厳密さは別物だ、と自分に言い続けることが、資材作成者の責任感の形だ。
出典・参考文献
  1. 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン(厚生労働省、2019年9月25日付け薬生監麻発0925第1号)
  2. 医療用医薬品の広告活動監視モニター事業 報告書(平成31年3月)(厚生労働省委託事業)
  3. 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書(令和3年3月)(厚生労働省委託事業)
  4. 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書(令和4年3月)(厚生労働省委託事業)
  5. 医療用医薬品の販売情報提供活動調査事業 報告書(令和7年3月)(厚生労働省委託事業)
  6. 医薬品等適正広告基準(厚生労働省)
  7. 医療用医薬品製品情報概要等に関する作成要領(日本製薬工業協会)
  8. Kunda, Z. (1990). The Case for Motivated Reasoning. Psychological Bulletin, 108(3), 480–498.
  9. Kahneman, D. (2011). Thinking, Fast and Slow. Farrar, Straus and Giroux.
  10. Ariely, D. (2012). The (Honest) Truth About Dishonesty: How We Lie to Everyone — Especially Ourselves. HarperCollins.