「このグラフだけなら問題ない」「1枚だけ追加するだけだから」──そう言い聞かせながら資材を組み立てると、完成した文書は誰も名前を書けないものになる。個々のスライドの正確さを積み上げた先に、全体として偏った印象が生まれる。この信条が問いかけるのは、「部分が正しいか」ではなく「全体に自分の名前を書けるか」だ。局所合理化の正反対、それがこの回の核心にある。

So what / So why ── なぜこの信条が要るか

問題の構造を一言で言えば、個々のスライドの「正確さ」を積み上げても、全体が伝える印象は正確にならないということだ。主要評価項目のスライドも入れた。副次評価項目のスライドも入れた。ただし副次評価項目のグラフは2倍の大きさで、主要評価項目は端に小さく置いた。それぞれのスライドは「正確」だが、医師が見終えた後の印象はもとの試験結果とは違う絵になっている。

厚労省の販売情報提供活動監視事業報告書が7年間で繰り返し記録してきた逸脱の多くは、「嘘をついた」ではなく「選んだ」事例だ。有効性グラフから対照群を外す、副作用一覧の閾値を引き上げて重篤な項目を消す、主要評価項目が有意差なしでも副次評価項目の数字だけをグラフ詳述する(第1シリーズ vol.02「データ・グラフの恣意的な抜粋・加工・見せ方」)。個々の判断を切り出せば「そのデータは本物だ」「聞かれれば答えた」で終わる。しかし医師が受け取る情報の束を全体として見ると、偏りは明確だ。

なぜ致命的か。医師は処方を決めるとき、手元にある情報を出発点にする。その束の設計者は資材作成者だ。「何を見せて、何を見せなかったか」の選択が積み重なって医師の判断材料を形成する。審査報告書を自分で確認する医師は少ない。その意味で、資材全体が伝える印象は資材作成者の選択の産物であり、作成者が全体に責任を持つべき理由がここにある。

信条 ── こうありたい

私は、資材を仕上げたとき、最後のスライドまで見終えた医師がどんな印象を持つかを問いたい。「このグラフは正確か」ではなく、「この文書全体が伝えることに、私は名前を書けるか」という問いだ。

個々のスライドを順に確認する作業と、全体を通しで見る作業は別物だ。部分ごとの審査をくぐり抜けた後にも、完成した資材をひとつながりの情報として眺め直す。その通し確認で浮かぶ感覚──「主要評価項目が隅に追いやられていないか」「有利なデータと不利なデータの分量は、試験の実態に近いか」──を、私は大事にしたい。

資材作成は分業で進む。グラフを描く人、スライドを組む人、コピーを書く人、審査を通す人が別々にいる。その分業の中で「全体として医師に何が届くか」を誰かが責任として持たなければ、各工程が正確でも全体が歪む。私はその「全体を持つ人」でありたい。説得者ではなく、科学的根拠の管理者として。

迷いも正直に言えば、ある。締切が迫っているとき、上長が承認したとき、「これで問題ない」という安堵感は本物だ。その安堵を一度保留して、「全体に署名できるか」と自分に問い直す──それを習慣にしたいと思っている。

日々の実践 ── 具体的な行動とチェック

以下は、「全体に署名する」感覚を実務に落とし込むための行動と自問だ。

試される場面 ── 重圧の下で

この信条が最も削られるのは、締切・分業・上長承認が重なる場面だ。

追加適応の承認直後、「この半年が勝負」という空気の中でスライドを組む。医療関係者向け説明会の日程はすでに埋まっている。審査済みのデッキに「1枚だけ追加する」という選択肢が目の前にある。その1枚が従来適応の優位性データで、追加適応では非劣性しかないとしても、「1枚だけだから」という言葉が矮小化として機能する。厚労省監視事業報告書には「1スライドだけではあるが、既存薬に優位性を持っている」という言葉が記録されている。この「1スライドだけ」こそが、全体への責任が消えた瞬間の記録だ。

分業の中では、グラフのサイズがデザイン部門の判断になり、コピーの表現がブランドチームの判断になる。それぞれが自分の工程を仕上げ、誰も全体を見ていない。上長が承認した事実が「組織として問題ない」という感覚を生む。この構造は、第2シリーズ vol.04「『このスライド1枚だけ』── 局所合理化」に詳しく記録されている。

分岐はここだ。「1枚だけ」を言い訳にしない。分業の中でも「全体として医師に何が届くか」を問い続ける役割を自分に残す。それが折れる線を引くことになる。上長が承認しても、自分の名前が書けない文書は仕上げとしない。その判断は静かで、言葉にしにくいが、長く続けられる仕事の作り方だと思う。

拠り所 ── 折れそうな時に立ち返る

販売情報提供活動ガイドライン(平成31年9月)は、情報提供の基本原則として「科学的・客観的根拠に基づき正確な情報提供を行うこと」を定め、「特定の情報のみを提供することにより誤認を与えることのないよう留意すること」を求めている。「正確」は個々のデータの真偽だけでなく、情報の選び方と提示の仕方にも及ぶ、というのがこの一文の重みだ。

折れそうなとき、私が戻る問いはシンプルだ。「この資材を受け取った医師が、試験の実態と違う印象を持つことはないか」。有効性も安全性も両面を、主要評価項目を副次評価項目より前に、対照群のデータを本剤のデータと一緒に──そのバランスが崩れているなら、どこが崩れているかを探す。

厚労省の監視事業報告書が7年間記録してきた逸脱は、悪意から始まったものばかりではない。「この薬は患者を助ける」という出発点が、締切と分業の中で「都合の良いデータを選ぶ」という選択に流れた事例が大半だ。その流れに気づくために、「データを見せる人」ではなく「科学的根拠を管理する人」として自分を位置づけ直すことが助けになる。グラフの恣意的な抜粋・加工・見せ方が患者の処方判断を歪めてきた記録(第1シリーズ vol.02「データ・グラフの恣意的な抜粋・加工・見せ方」)を読み直すと、自分が今やろうとしていることの輪郭が見えやすくなる。

最後に、この信条は自分を守ることでもある。資材の全体に責任を持っていれば、後から「このスライドは問題ない」という言い訳を繰り返さなくて済む。全体に署名できる仕事は、後でも自分の言葉で説明できる。

こうありたい ── 資材作成者の10の信条 ── 全 10 章の地図

  1. 第1回: 科学的根拠の管理者 ── 私は売る人ではない
  2. 第2回: 読み手の頭の中に責任を持つ
  3. 第3回: 結論を疑う良心 ── データに先導される
  4. 第4回 (本章): 全体に署名する ── 1スライドでなく文書全体
  5. 第5回: 語る義務 ── 有効性と安全性を対等に
  6. 第6回: 引き受ける ── 「医師が判断する」で逃げない
  7. 第7回: 数字との正しい距離 ── ノルマは制約、目的ではない
  8. 第8回: 競合他社への敬意 ── フェアプレーが信頼をつくる
  9. 第9回: 開かれていること ── Limitation(限界)・不確実性・利益相反を自ら言う
  10. 第10回: 良心を組織の仕組みに埋め込む ── 個人から組織へ、見える形で残す
Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 「1枚だけ」は全体責任の消滅点だ。 個々のスライドを部分として扱う限り、文書全体が医師に届ける印象への責任は誰の手にも残らない。厚労省監視事業報告書に記録された「1スライドだけではあるが、既存薬に優位性を持っている」という言葉は、局所合理化が言語として現れた瞬間の記録だ。
  2. 科学的根拠の管理者は通し確認を欠かさない。 個々のスライドの審査と、完成した文書を最初から最後まで通しで見る作業は別物だ。「この文書を見終えた医師の印象は何か」を一文で書き出す習慣が、主要評価項目の軽視や有害事象の削除を発見する最初の手がかりになる。
  3. 全体に名前を書けない文書は仕上げとしない。 分業で進む資材作成の中で、上長承認・締切・「1枚だけ」の圧力が重なっても、「全体として医師に何が届くか」を問い続ける役割を自分に残す。その問いが線引きの場所になる。
出典・参考文献
  1. 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(平成31年9月25日)第2の2(2)①
  2. 厚生労働省「医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書」令和6年度(事業番号:001272195)
  3. 厚生労働省「医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書」令和7年度(事業番号:001520054)
  4. 厚生労働省「医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書」令和4年度
  5. 厚生労働省「医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書」平成31年度
  6. 日本製薬工業協会「医療用医薬品製品情報概要等に関する作成要領」(主要・副次評価項目の明示義務)
  7. 日本製薬工業協会「製薬協コード・オブ・プラクティス」
  8. 医薬品等適正広告基準(厚生労働省)
  9. Bazerman, M.H. & Tenbrunsel, A.E. (2011). Blind Spots: Why We Fail to Do What's Right and What to Do About It. Princeton University Press.
  10. Bandura, A. (1999). Moral disengagement in the perpetration of inhumanities. Personality and Social Psychology Review, 3(3), 193–209.