資材の作り手には、もう一つの肩書きがあると思っている。製品担当でも、マーケターでも、MRでもなく──科学的根拠の管理者。この医薬品のデータを世に正しく届ける責任を預かっている人間、という意味だ。その自覚が揺らぐとき、7年・186件の逸脱のうち最多カテゴリ「エビデンスのない説明」(累計60件)が静かに始まる。この信条は、役割の再定義から始まる。

So what / So why ── なぜこの信条が要るか

厚生労働省が平成31年度から令和7年度まで7年間にわたって収集した疑義事例は、延べ約186件にのぼる。そのうち最も多いのが「エビデンスのない説明」で、累計60件・全体の約32%を占める。「自分の体験をデータとして説明した」「作用機序の論理だけで他剤より安全と断言した」「非劣性試験の結果で優越性を主張した」──事例の中身を読むと、担当者が嘘をつこうとした形跡はほとんどない。むしろ「この薬は本当に良い薬だ」という確信が先にあって、その確信を支えるものを探した結果、手もとにあった薄い根拠に手が伸びている。

これが危険なのは、医師が私たちの情報を処方の根拠として使うからだ。「他剤よりも出血リスクの面で有意に安全」と聞いた医師は、実際には直接比較試験が存在しない状況で、存在しないはずの根拠の上に処方を積む。後で「根拠はありませんでした」と言っても、処方された薬は戻らない。情報の品質の問題は、患者の治療の質の問題と地続きになっている。

この現実を前にしたとき、自分の役割をどう定義するかが分岐点になる。「自社品の良さを伝える人」として仕事を始めると、データは結論を支えるための素材になる。「科学的根拠を正しく管理して届ける人」として始めると、データは自分が代わりに世話をする預かりものになる。どちらで始めるかで、同じデータを前にしたときの判断が変わる。

信条 ── こうありたい

この信条を一言にするなら、「私は説得者ではなく、科学的根拠の管理者でありたい」ということだ。

科学的根拠の管理者として仕事をするとき、私の問いは「どうすればこのデータで先生を動かせるか」ではなく、「このデータは何を言っていて、何を言っていないのか」になる。有効性を示す試験が非劣性試験であれば、優越性を主張しない。比較試験がなければ「直接比較のデータはありません」から話し始める。安全性情報がRMPに記載されていれば、聞かれなくても伝える。これらは「できたら理想」ではなく、科学的根拠の管理者として当然の動作だと思っている。

ただし、正直に言えば迷う場面は来る。「競合がシェアを取っている。何かもう一押しできないか」と思う瞬間がある。そのとき、自分が「科学的根拠の管理者」から「説得者」に移行しかけているサインとして受け取る──そう決めておくことが、この信条の実用的な意味だ。移行を止めることが信条を守ることではなく、移行に気づくことが信条を守ることだ、と今は考えている。

もう一つ付け加えるなら、科学的根拠の管理者という役割は、製品や企業への誠実さとは別のところに根がある。医師が正確な情報をもとに処方する、という仕組み全体への責任感だ。自分が渡した情報が歪んでいれば、その仕組みの一部が壊れる。それだけのことをしている、という感覚が、重圧の下でも軸を保たせてくれる。

日々の実践 ── 具体的な行動とチェック

試される場面 ── 重圧の下で

この信条が最も試されるのは、締切・ノルマ・上長からの圧力・競合の動向が重なる局面だ。「競合がこのデータで採用を取っている。同じように説明しないと負ける」「上長がこのスライド構成でいいと言った」「今期の採用目標に後がない」──こうした状況の中で、科学的根拠の管理者としての判断は削られやすい。

令和6・7年度の監視事業報告書では他社誹謗の事例が計8件と増えており、市場競争の激化が逸脱の形を変えつつあることが読み取れる。競合への誹謗は、「科学的に正確な情報であっても、目的が誹謗であれば該当する」とガイドラインが定めている。競合の情報を持ち出したいとき、自分の目的が科学的根拠の提示なのか、競合の印象を下げることなのかを問い直す必要がある。

「1枚のスライドだけなら問題ない」「この部分は一般論として断った」「先生に聞かれたから答えただけ」──これらの言葉が頭に浮かんだら、局所合理化に入っているサインだ。全体が医師に与える印象への責任感が薄れ始めている。重圧の下で判断が変わるメカニズムの詳細は、「つくり手の内側」第1回 重圧の地図 ── 善意が歪むまでの距離で扱っている。自分の置かれた状況と照合してほしい。

拠り所 ── 折れそうな時に立ち返る

折れそうになったとき、立ち返れる場所が二つある。

一つ目は、ガイドラインの言葉だ。販売情報提供活動ガイドライン(2018年施行)は、情報提供の原則として「科学的及び客観的な根拠に基づくもので、その根拠を示すこと」「有効性だけでなく安全性に関する情報も提供すること」「科学的根拠なく恣意的に処方を誘引することは不適切」と定めている。これらは義務だが、読み方を変えれば「あなたの仕事は科学的根拠を管理することだ」というガイドラインからの後押しでもある。規制として読むより、役割の定義として読む方が、仕事に据わりが出る。

二つ目は、実際に起きたことだ。「エビデンスのない説明」カテゴリの累計60件の事例──そこには「データはないので参考として」と断ってから薄い根拠で優越性を説明した事例、「緩徐なHb値上昇だから血栓塞栓症リスクが低い」と作用機序の論理だけで安全性を断言した事例、複数施設で同一の「他剤より有効」という説明が繰り返された事例が含まれる(過去インシデント第3回「エビデンスのない説明」参照)。事例の担当者たちが悪意のある人だったとは思えない。それでも逸脱になった。自分もその連鎖に入りうる、という認識が、最も現実的な歯止めになる。

科学的根拠の管理者として立つ、というのは崇高な宣言ではなく、「このデータは何を言えて、何を言えないか」を毎回確認する地道な習慣だ。その習慣が積み重なることで、重圧の下でも判断の軸がぶれにくくなる。それがこの信条の、一番実用的な効果だと思っている。

こうありたい ── 資材作成者の10の信条 ── 全 10 章の地図

  1. 第1回 (本章): 科学的根拠の管理者 ── 私は売る人ではない
  2. 第2回: 読み手の頭の中に責任を持つ
  3. 第3回: 結論を疑う良心 ── データに先導される
  4. 第4回: 全体に署名する ── 1スライドでなく文書全体
  5. 第5回: 語る義務 ── 有効性と安全性を対等に
  6. 第6回: 引き受ける ── 「医師が判断する」で逃げない
  7. 第7回: 数字との正しい距離 ── ノルマは制約、目的ではない
  8. 第8回: 競合他社への敬意 ── フェアプレーが信頼をつくる
  9. 第9回: 開かれていること ── Limitation(限界)・不確実性・利益相反を自ら言う
  10. 第10回: 良心を組織の仕組みに埋め込む ── 個人から組織へ、見える形で残す
Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 「エビデンスのない説明」は7年間で60件・全体の約32%。 悪意からではなく、「この薬は良い薬だ」という確信から始まる動機づけられた推論が、薄い根拠を手に取らせる。
  2. 科学的根拠の管理者は、データを「説得のための素材」ではなく「預かりもの」として扱う。 「何を言えないか」を先に確認し、比較の根拠を声に出し、聞かれなくても安全性を伝える──その日常の動作が信条の実体だ。
  3. 「1枚だけなら」「一般論として断った」「聞かれたから答えた」という言葉が浮かんだとき、役割が科学的根拠の管理者から説得者に移行しかけているサインとして受け取る。気づきそのものが、逸脱を止める唯一の実践的な手がかりになる。
出典・参考文献
  1. 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(2018年9月25日、医政経発0925第1号・薬生監麻発0925第1号)
  2. 厚生労働省「平成31(2019)年3月 医療用医薬品の広告活動監視モニター事業報告書」(資料番号000509783)
  3. 厚生労働省「令和6年度 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書」(2025年、資料番号001272195)
  4. 厚生労働省「令和7年度 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書」(2025年、資料番号001520054)
  5. 厚生労働省「医薬品等適正広告基準」(平成29年9月29日、薬生発0929第4号)
  6. 日本製薬工業協会「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」に基づく自主基準(2019年)
  7. Kunda, Z. (1990). The case for motivated reasoning. Psychological Bulletin, 108(3), 480–498.
  8. Bazerman, M.H. & Tenbrunsel, A.E. (2011). Blind Spots: Why We Fail to Do What's Right and What to Do about It. Princeton University Press.