「良い薬を届けたい」── この善意は本物だ。それでも平成31年から令和7年の7年間で、医療機関モニターが捕捉した疑義事例は延べ約186件(7年分報告書の編集上の通算)にのぼった。主役の大半は悪人ではなく、ごく普通の担当者だった。売上目標・上市期限・KOL関係・競合プレッシャー──重圧には地図がある。そして重圧を受けた担当者の内側では、4つの深層心理が連鎖し、善意を少しずつ歪める。このシリーズでは、その連鎖の仕組みを実インシデントに即して解明する。
So what / So why ── この回の核心
販売情報提供活動ガイドライン(2018年施行)のもとで7年分の報告書に記録された延べ約186件の逸脱事例を読むと、担当者が「嘘をつこう」と計画して動いたケースはほとんどない。大半は「このデータを見せれば先生の判断に役立つ」「競合との差を正直に説明しただけ」「聞かれなかったから言わなかった」という認識の下で行動している。逸脱は意図から生まれるのではなく、意図の歪みから生まれる。
これがなぜ致命的かというと、医師は製薬企業からの情報を処方判断の材料として使うからだ。有効性情報だけが手元に届き、副作用リスクが伝わらなければ、医師はリスクを知らないまま処方する。データが恣意的に選ばれた状態で提示されれば、医師は正しくない根拠の上に判断を積む。個別の事例では被害が見えにくいが、系統的な情報の歪みは集団レベルの医療被害につながる。
このシリーズ「つくり手の内側」は、逸脱を「悪者探し」として読むためのものではない。延べ約186件を生み出した構造──重圧の地図と深層心理の4ドライバー──を理解することで、自分の判断が同じ連鎖に入っていないかを問い直すための材料を提供する。第1回は序論として、シリーズ全体の地図を示す。
重圧の構造 ── 誰から、どの締切で、どんな数字で
担当者に圧力をかけるのは上司だけではない。重圧は多層的に存在し、それぞれが異なるタイミングで、異なる形で担当者の判断に影響する。
売上・シェア目標と四半期ノルマ
MRには個人ごとに採用施設数・処方箋枚数・売上額の目標が設定されていることが多い。四半期末に数字を追う状況は、「このデータを見せれば採用してもらえる」という判断を早める。逆に安全性の話を丁寧にすれば処方をためらわせるかもしれない、という恐れが安全性情報の省略を合理的に感じさせる。
上市・適応拡大の期限
新薬が承認された直後は、ブロックバスター化への期待と14日処方制限の壁が同時に押し寄せる。上市から1年以内に採用病院数を最大化するよう社内から求められる中で、「処方日数制限に反する使用方法を暗に勧奨する」(平成31年版報告書で複数件確認)という逸脱が起きやすい。適応拡大の局面でも、「承認前に医師の期待値を上げておきたい」という動機が、適応外情報の仄めかしを引き起こす。
KOL関係の維持
企業主催の学術講演会では、演者(KOL)との長期的な関係が背景にある。演者が過度に自社製品を宣伝した場合も、スポンサー企業は「講演内容は演者の判断」として関与しない傾向がある。ガイドラインは「スポンサー企業は講演資料の内容を確認する責任がある」と定めているが、この確認が実施されなかった事例は令和2年版・令和4年版の監視事業報告書で確認されている。
競合対策と社内政治
バイオシミラーや後発医薬品が参入した市場では、シェア防衛のプレッシャーが急上昇する。令和6・令和7年版報告書で他社誹謗の事例が計8件(令和6年版4件、令和7年版4件)と増加したのも、こうした競合激化を反映している可能性がある。社内では、上長がスライドを承認した事実が「お墨付き」として機能し、担当者が内容の適切性を問い直す動機を失わせる。
インセンティブ設計と規制の板挟み
評価制度が「処方採用件数」や「売上達成率」に連動している場合、有効性訴求の精度を高めることがインセンティブに整合する一方で、安全性情報の伝達精度を評価する仕組みがない。ガイドラインは有効性と安全性のバランスを義務づけているが、インセンティブが一方だけを評価していれば、担当者の行動は自然に傾く。この「規制が求めること」と「インセンティブが評価すること」のズレが、構造的な逸脱の温床になる。
内面の再構成 ── 信条→心情→深層心理
重圧は外から来る。しかしそれが逸脱に転じるのは、担当者の内側で何かが起きるときだ。以下では、4ドライバーそれぞれについて、信条(何を正しいと信じたか)→心情(その時の感情)→深層心理(どのメカニズムが働いたか)の順で再構成する。これは特定の個人の話ではなく、延べ約186件の事例に共通して観察できる心理的パターンの抽出だ。
① 動機づけられた推論(motivated reasoning)
信条: 「この薬は患者に本当に効く。だからこのデータを見せることは正しい行為だ」。心情: 確信と使命感。「先生に知ってほしい」という誠実な欲求。深層心理: 結論(この薬は良い)を先に持ち、それを支持するデータだけを選ぶ。反証データは「特殊な患者群」「例外的な試験」として解釈し、意識から排除する。心理学者クンダ(1990)が定式化した「動機づけられた推論」の典型で、悪意ではなく確信が情報の歪みを生む。担当者本人は「正直に説明している」と感じているため、外部から指摘されるまで気づかない。
② 局所合理化(local justification)
信条: 「このスライド1枚は問題ない。前後の文脈で補完される」。心情: 細部への注意と、全体への鈍感さ。「部分的には正確だから大丈夫」という安心感。深層心理: 一つひとつの判断を「このステップだけで評価する」ことで、全体が医師に与える印象の歪みに気づかない。「適応外ですが一般論として」と断ってから踏み込む事例は、この典型だ。各ステップは正当に見えるが、連鎖の結果として逸脱が完成する。バザーマン&テンブランセル(2011)が「倫理的フェーディング」と呼ぶ現象に近く、大きな判断をしている自覚が消えていく。
③ 不作為の罪(omission bias)
信条: 「言わなかっただけで、嘘はついていない。先生が聞けば答える」。心情: 積極的な不誠実をしたわけではないという自己免責。罪悪感の軽減。深層心理: 積極的な情報の捏造と、ただ言わないことは道徳的に異なる、という直感(作為バイアス)が働く。副作用・安全性情報を「聞かれなかったから言わなかった」として正当化するパターンは、各年度の安全性軽視に関する事例に共通して観察される。しかしガイドラインは有効性と安全性のいずれについても積極的に提供することを義務づけており、不作為もまた逸脱だ。「省略は嘘ではない」という直感が、制度上は嘘と同等の逸脱を透明化する。
④ 責任の外部化(diffusion of responsibility)
信条: 「最終的に処方するのは医師だ。私は情報提供者にすぎない」。心情: 自分の行為と患者への結果の間に心理的距離を置く安心感。深層心理: 「上司がこのスライドを承認した」「他社も同じことをしている」「医師が判断する」という言葉が、自分の判断への責任を分散させる。社会心理学が繰り返し示してきたように、責任が拡散するほど個人の抑止力は下がる。企業主催講演会で演者の発言内容を事後に確認しなかったスポンサー企業の事例は、「演者が言ったのだから」という二重の責任外部化を示している。
この4ドライバーは独立して働くのではなく、連鎖する。「患者のために(動機①)→このデータだけ提示(局所合理化②)→副作用は言わなくていい(不作為③)→先生が判断する(外部化④)」──一件の逸脱はこの連鎖で完成する。この連鎖のどこかに気づくことが、逸脱を止める唯一の実践的手がかりだ。
下敷きの実インシデント ── 3件の事例で連鎖を確認する
以下の3件は、いずれも厚生労働省の各年度監視事業報告書に記録された実在の事例だ。担当者が「特別に悪意のある人物」ではなく、普通の作り手だったことが読み取れる。
事例1:「自分が服用した感想」がデータになった日(平成31年版・エビデンスなし)
媒体・製品領域: 企業担当者による口頭説明 / 子宮内膜症治療薬
何が起きたか: 院内説明会において、担当者が「他社製品より味が良い」と優位性を説明した。根拠を問われると、企業担当者本人が服用してみての感想であり、エビデンスはなかった。
原文引用:「企業担当者本人が服用してみての感想であり、エビデンスはなかった」(平成31年版報告書)
どのドライバーが働いたか: ①動機づけられた推論の典型だ。「この薬は飲みやすい→だから患者に良い→だから先生に伝えるべきだ」という結論先行の確信が、「自分の体験」をデータとして扱わせた。データと感想の区別が、確信の強さによって消えていた。
詳細な分析は Vol.03 エビデンスのない説明 で扱う。
事例2:「一般論として」という5文字が作った穴(平成31年版・適応外仄めかし)
媒体・製品領域: プレゼンテーション用スライド・企業担当者による口頭説明 / 脂質異常症治療薬
何が起きたか: 院内勉強会で、有効性試験のスライドの間に「一般論」と題したスライドが挿入された。糖尿病患者を動脈硬化リスクの高い患者像として提示し、続くスライドで食後TGの推移グラフを示しながら、本剤が承認外の糖尿病患者に対しても有効であるかのような口振りで説明した。別の医療機関では「本剤に限りなく近い物質」と断った上で「インスリンへの反応性を改善する」と発言し、適応外効能を仄めかした。複数のモニター医療機関から同様の報告があった。
原文引用:「本剤との関連性を示すデータがないにもかかわらず、『一般論』や『本剤に限りなく近い物質』等として説明を行い、本剤の承認範囲外の効能効果を仄めかした」(平成31年版報告書)
どのドライバーが働いたか: ②局所合理化の典型だ。「一般論と断ったから問題ない」「データについての説明はしていない」という単位で判断が正当化され、スライド全体が医師に与える印象──「この薬は糖尿病にも使えそうだ」──への責任感が消えていた。複数施設で同一のスライドが使われたことは、この合理化が組織的に共有されていたことを示す。
詳細な分析は Vol.01 未承認・適応外の情報提供 で扱う。
事例3:「国内データは見せない」が組織で共有されていた(令和4年版・安全性軽視)
媒体・製品領域: オンライン説明会(企業担当者)・複数施設 / 心不全治療薬
何が起きたか: 担当者は、主要評価項目で有意差が示された海外第三相試験の結果のみを説明した。有意差を示せなかった国内第三相試験の結果については全く説明しなかった。この偏りが複数の医療機関で同様に確認された。
原文引用:「有意差を示せなかった国内第三相試験結果については全く説明をしなかった」「本事例については複数施設で同様のことが確認された」(令和4年版報告書)
どのドライバーが働いたか: ③不作為の罪と④責任の外部化が重なった。「聞かれなかった」「海外データで主要評価項目の有効性は示されている」という局所合理化が不作為を正当化し、「このスライド構成は会社が作ったもの」という外部化が個人の責任感を希薄にした。複数施設での同一確認は、個人の判断ではなく組織として情報を選別していた可能性を示す。担当者一人ひとりは「渡されたスライドを使っただけ」と感じていたかもしれない──それが責任外部化の完成形だ。
詳細な分析は Vol.06 有効性のみの強調・安全性情報の軽視 で扱う。
つくり手の内側 ── 逸脱が生まれる心理 ── 全 10 章の地図
- 第1回 (本章): 重圧の地図 ── 善意が歪むまでの距離
- 第2回: 信条の罠 ── 「良い薬を届けたい」が入口になる
- 第3回: 結論が先、データは後 ── 動機づけられた推論
- 第4回: 「このスライド1枚だけ」── 局所合理化
- 第5回: 語らない、という選択 ── 不作為の罪
- 第6回: 誰かのせいにできる構造 ── 責任の外部化
- 第7回: 数字の重力 ── ノルマとインセンティブの心理
- 第8回: 競合という不安 ── 焦りが他社誹謗を生む
- 第9回: 沈黙する組織 ── 同調圧力・審査の空洞化・開示したくない自分
- 第10回: 重圧を設計し直す ── 個人の心理と組織の仕組み
- 「患者のためになる」という確信が逸脱を生む。 延べ約186件を生んだのは悪意ではなく、4ドライバーが組み合わさった善意の歪みだ。動機づけられた推論は「嘘をつこう」ではなく「本当にそう信じている」状態で起きる。
- 重圧は「上から降ってくる」だけでなく、担当者自身のプロ意識と善意に内面化される。 四半期ノルマ・上市期限・KOL関係・競合対策が、安全性情報を省くことを「合理的な判断」に見せる構造を作る。
- 「1スライドだけ」「聞かれなかった」「上司が承認した」──この言葉が出たら局所合理化・不作為・責任外部化のどれかに入っている。自分の言葉がこのパターンに当てはまらないか問い直すことが、逸脱を止める出発点になる。
- 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(2018年9月25日、医政経発0925第1号・薬生監麻発0925第1号)
- 厚生労働省「平成31(2019)年3月 医療用医薬品の広告活動監視モニター事業報告書」(資料番号000509783)
- 厚生労働省「令和4(2022)年3月 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書」(資料番号未確認)
- 医薬品等適正広告基準(厚生労働省、平成29年9月29日、薬生発0929第4号)
- 日本製薬工業協会「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」に基づく自主基準(2019年)
- Kunda, Z. (1990). The case for motivated reasoning. Psychological Bulletin, 108(3), 480–498.
- Bazerman, M.H. & Tenbrunsel, A.E. (2011). Blind Spots: Why We Fail to Do What's Right and What to Do about It. Princeton University Press.