四半期ノルマ、シェア目標、上市直後の初動データ。これらの数字が頭にある状態でエビデンスを探すとき、人は無意識に「結論に合う証拠」だけを手に取る。動機づけられた推論(motivated reasoning)と呼ばれるこの認知の歪みは、悪意なく起きる。制作者が「嘘をついた」という自覚はない。しかしデータを選ぶ手が、目標に向けられた圧力によって動かされていた。実インシデントはその構造を正確に映している。

So what / So why ── この回の核心

動機づけられた推論(motivated reasoning)とは、1990年に社会心理学者ゾワ・クンダが定式化した概念で、「望む結論に到達したいという動機が、どの証拠を収集し、どう評価するかを無意識に歪める」という認知の働きを指す。重要な点は、推論者が「偏っている」という自覚を持たないことだ。動機は検索エンジンのようなもので、「有効なデータを探せ」という命令が「有効性を示すデータを探せ」に変換される。探索の方向が決まった後は、条件が異なるデータも「結果は本物だ」という理由で採用され、都合の悪いデータは「参考情報にとどまる」として後景に退く。

製薬マーケティングでこの現象が致命的な理由は二つある。第一に、医師は提示されたエビデンスの前提条件を独立して確認しない。審査報告書やインタビューフォームを処方の場で逐一参照する場面はほぼない。医師が受け取る情報がすでに選別されていても、選別の痕跡は見えない。第二に、操作が「嘘ではない」ため、後からの訂正が起きにくい。数字は本物の論文から来ている。グラフの値も正確だ。問題は何を見せて何を見せなかったかにあり、それは受け手が原著を参照して初めて分かる。

厚生労働省の監視事業報告書が平成31年から令和7年まで毎年同種の事例を記録し続けている事実は、個人の倫理問題ではなく、圧力の構造と認知の仕組みが組み合わさった問題があることを示している。「なぜ繰り返されるのか」という問いへの答えは、行為者の内面にある。

重圧の構造 ── 誰から、どの締切で、どんな数字で

四半期末、地域マネジャーがシェアのダッシュボードを開く。上市後6ヶ月の初期シェア目標は多くの製品で「〇〇%以上」という数値として設定されており、それを下回るとPDCAが回る。資材担当者はこの数字を直接告げられることもあれば、「製品説明会の増設」や「先生への訴求ポイント強化」という形で間接的に受け取ることもある。

圧力の発生源は多層的だ。①地域マネジャー・部門長からのシェア目標と処方箋枚数の進捗確認。②メディカルアフェアーズや医学部から「KOLの意向を反映してほしい」という要請。③競合品の新適応拡大という外部からの時間的圧力(「競合がAという適応を取った。うちの優位性を明確にしろ」)。④インセンティブ設計(賞与・昇進評価がシェア連動)。⑤社内の資材審査会議で「これでは先生に刺さらない」と差し戻されることへの恐れ。

特に圧力が集中するのは上市直後の6〜12ヶ月だ。この時期、エビデンスは薄い(承認試験のデータしかない)のに営業側の期待値は最高点に達する。「限られたデータでどう見せるか」という問い自体が、動機づけられた推論の入口になる。適応拡大直後の学会シーズンも同じ構造を持つ。新適応のデータは少ない。しかし競合との差別化が求められる。そこで、本来別の文脈で行われた試験のサブグループ、または異なる疾患・地域の調査が「補強材料」として引き寄せられる。

内面の再構成 ── 信条→心情→深層心理

信条(何を正しいと信じたか)
「この薬は効く」という確信は、多くの場合、臨床的根拠を持っている。承認を取得した薬であり、主要評価項目で統計的有意差が出た試験がある。資材担当者は「本剤の有効性は証明済みだ」という出発点から作業を始める。この信条自体は誤りではない。問題は次の段階にある。「証明済みの有効性をいかに伝えるか」という問いが、「有効性をより説得力のある形で示せるデータはどれか」という問いに滑らかに変換される。その転換の瞬間に、探索の方向が決まる。

心情(その時の感情)
四半期末の会議で「先生への訴求が弱い」と言われた翌日、資材を見直す担当者の内面には「プレッシャー」と「使命感」が同時に走っている。「自分がうまく伝えられていないから処方が増えない」という自責と、「本当に有効な薬なので、もっとうまく見せるべきだ」という正当化が混在する。この状態では、データの絞り込みが「情報の整理」に見える。不利なデータを省くことが「受け手に必要な情報に絞ること」に見える。感情的な圧力が、認知のフィルターを一方向に固定する。

深層心理(4ドライバーの作動)
動機づけられた推論が最初に動く。「本剤が優れているはず」という結論が先にあり、それを支持するサブグループ、評価項目、文献を「探す」行為が始まる。条件が異なるデータも「数字は本物だ」という理由で採用される。除外された条件の差は「技術的な注釈」として後景に退く。こうして感じたはずだ——「このサブグループのデータは正直なところ本当に良い。先生もきっとそう思うはず」と。

局所合理化が続く。「このグラフ1枚だけ前提条件の説明を省いても、口頭で補足できる」。「この1スライドだけなら大した問題ではない」。個別の判断としては小さく見える。しかし各担当者が同じ合理化を行うと、資材全体が系統的に偏る。局所では「合理的」に見えた判断が、全体では逸脱になる。

不作為の罪が発動する。「聞かれなかったから言わなかった」。前提条件、除外症例、試験デザインの違い、不利な副作用は、積極的に偽ったわけではない。「質問された事項に正確に答えた」という内面がある。省略した情報の重大性を認識しながら、開示しないことを選んだのではなく、「開示を求められなかった」という認識で処理する。不作為は作為より罪悪感が薄い。

責任の外部化が仕上げをする。「医師が日本人データを求めるから日本人サブグループだけを使った」(平成31年②-13、後述)。「KOLがこのスライドを事前に確認した」。「上長のレビューを通った資材だ」。選択の根拠が外部にあると感じると、自分の判断への批判的検討が止まる。責任が分散されると、誰も止めない。

下敷きの実インシデント

以下の3件はいずれも厚生労働省の監視事業報告書に記録された実在の事例だ。内面の再構成が机上の論ではないことを、行為者の発言と行為の構造が示している。より詳細な事実経緯は分析編の各ページで確認できる。

事例1 ── 「医師は日本人データを求めるため」(平成31年度、気管支喘息治療薬)

第Ⅲ相国際共同臨床試験の主要評価項目(年間喘息増悪率)について、全例解析(各群約250例)を提示せず、日本人サブグループ(各群約15例)の結果のみを院内製品説明会のスライドとパンフレットに掲載した。他の副次評価項目については全例データが示されており、主要評価項目だけが日本人サブグループになっている不自然さを医療関係者が指摘したところ、担当者から出た言葉が「医師は日本人データを求めるため」だった。なお、全例解析より日本人サブグループの方が結果が良かった。

この発言は4ドライバーの教科書的な表出だ。動機づけられた推論(有利な結果のサブグループを探した)、局所合理化(主要評価項目の1グラフだけ変えた)、不作為の罪(全例解析を示さなかっただけ)、そして責任の外部化(医師の要望がそうだから)。「嘘をついた」という意識はおそらくなかった。しかし主要評価項目の選択に恣意性があることは報告書が明記している。
分析編 vol-01「事実誤認のおそれのあるデータ使用・加工」vol-02「データ・グラフの恣意的な抜粋/加工/見せ方」

事例2 ── 優位性が確認されていない薬でKM曲線の「良い期間」だけを切り取る(平成31年度、抗がん剤)

適正使用ガイドに「本剤の対照群に対する優位性は確認されていない」と明記されているにもかかわらず、新薬ヒアリングの口頭説明でKaplan-Meier曲線のうち本剤投与群が対照群を上回る一部の期間のみを強調して優位性を主張した。さらに「造血幹細胞移植患者では対照群と比較してOS期間の短縮が認められた」という本剤に不利な情報も伏せた。

この事例の内面は透明だ。結論(本剤は優れている)が先にある。その結論を支持する期間をKM曲線から選ぶ。支持しない情報(OS短縮)は語らない。KM曲線の全体を見れば「優位性未確認」の事実は自明だったはずだ。それでも「上回っている期間」に目が向いたのは、動機づけられた推論が「見たいものを見せる」方向に探索を絞っていたからだと考えられる。
分析編 vol-01「事実誤認のおそれのあるデータ使用・加工」

事例3 ── 対象疾患・国・医療制度がすべて異なる文献から有利な2項目だけを抜粋(令和6年3月版報告書、高脂血症治療薬)

本剤は6ヶ月ごとに医療機関で皮下投与する薬剤で、従来薬は2〜4週ごとの在宅自己注射が可能だ。オンライン製品説明会で患者・医師アンケートデータが提示され、「投与頻度は2週・4週より8週ごとが好まれ、投与者は自己投与より医療従事者による投与が好まれた」という趣旨の説明があった。しかしこのデータの対象は重度の喘息患者(本剤の適応ではない)、かつ海外(医療保険制度が大きく異なる国)での調査だった。元の文献は5項目の比較グラフだったが、説明会資料では本剤に有利な2項目のみが抜粋されていた。報告書は「医療制度や患者属性等も異なる海外文献のグラフから、自社製品に都合の良い部分を抜粋して作成した資料をもとに情報提供を行った」と記録している。

動機づけられた推論がどこまで探索範囲を広げるかを示す事例だ。「投与の利便性で本剤を有利に見せたい」という結論が先にあり、それを支持する調査を探した結果、疾患も国も制度も異なる文献が「補強材料」として採用された。前提条件の差(疾患・国・制度)は認識していたはずで、それでも使ったのは「数字は本物だ」という局所合理化が働いたからだと考えられる。
分析編 vol-01「事実誤認のおそれのあるデータ使用・加工」

つくり手の内側 ── 逸脱が生まれる心理 ── 全 10 章の地図

  1. 第1回: 重圧の地図 ── 善意が歪むまでの距離
  2. 第2回: 信条の罠 ── 「良い薬を届けたい」が入口になる
  3. 第3回 (本章): 結論が先、データは後 ── 動機づけられた推論
  4. 第4回: 「このスライド1枚だけ」── 局所合理化
  5. 第5回: 語らない、という選択 ── 不作為の罪
  6. 第6回: 誰かのせいにできる構造 ── 責任の外部化
  7. 第7回: 数字の重力 ── ノルマとインセンティブの心理
  8. 第8回: 競合という不安 ── 焦りが他社誹謗を生む
  9. 第9回: 沈黙する組織 ── 同調圧力・審査の空洞化・開示したくない自分
  10. 第10回: 重圧を設計し直す ── 個人の心理と組織の仕組み
Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 「嘘をついた」という自覚がない逸脱こそ繰り返される。 動機づけられた推論は悪意の産物ではなく、売上目標という日常的な圧力が認知の探索方向を一方向に固定する結果として生まれる。「数字は本物だ」「聞かれなかったから言わなかった」「先生のニーズに応えた」という内面が成立している間、当事者は逸脱の自覚を持てない。
  2. 結論が先にあると、データの「選び方」が証拠収集ではなく証拠探しになる。 平成31年②-13の担当者が「医師は日本人データを求めるため」と述べた瞬間、選択の根拠が外部化された。しかし選んだのは本人だ。前提条件が異なるにもかかわらず有利なサブグループが選ばれた理由は、目標に向けられた推論が「見たいデータ」を照準していたからだと考えられる。
  3. 上市直後の6〜12ヶ月は構造的に最も危険な時期だ。 エビデンスが薄く、営業期待が高く、「限られたデータでどう見せるか」という問いが資材作成の出発点になりやすい。この時期に動機づけられた推論が走ると、令和6年3月版報告書の高脂血症治療薬事例のように、適応外疾患・海外・異なる制度の文献が「補強」として引き寄せられ、有利な2項目だけが切り取られる。
出典・参考文献
  1. 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン(厚生労働省、平成30年9月)
  2. 医療用医薬品の広告活動監視モニター事業 報告書 平成31年3月(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
  3. 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書 令和6年3月(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
  4. 医療用医薬品の販売情報提供活動調査事業 報告書 令和7年3月(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
  5. 製薬協コード・オブ・プラクティス(公益社団法人日本製薬工業協会)
  6. 医薬品等適正広告基準(厚生労働省)
  7. Kunda, Z. (1990). The case for motivated reasoning. Psychological Bulletin, 108(3), 480–498.
  8. Nickerson, R. S. (1998). Confirmation bias: A ubiquitous phenomenon in many guises. Review of General Psychology, 2(2), 175–220.