資材を審査するとき、「この記載は規則を満たすか」だけを問うと、見落とす種類の問題がある。文書全体が医師に届ける印象、患者が処方後に直面するリスク、後日の問題化で問われる判断の根拠——これらは、個別の記載ルールとは別の目線がなければ捉えられない。視座を切り替える、複数を同時に持つ、そして統合してひとつの判断にまとめる。そのメタ認知の技術を、この回では扱う。

So what / So why ── この視座の核心

規制の目は「このスライドに記載違反はないか」を問う。患者の目は「この薬を飲んだらどうなるか」を問う。今回扱う統合視座は、その両方を一段上から眺める目線だ。「この資材はどこで失敗しうるか」(プレモータム)「この資材が全体として伝えることは何か」(俯瞰)——この二つが、統合視座の柱になる。

プレモータムとは、本来プロジェクト管理で用いられる手法だ。承認前に「このプロジェクトが失敗したとして、原因は何だったか」を先回りして問う。資材審査に引き込むと「半年後にこの資材が問題になったとして、弱点はどこか」という問いになる。個々の記載が通っていても、この問いに詰まるなら、何かが足りていない。

俯瞰は、森全体を上から見る目線だ。「このスライドは正確か」ではなく「最後のスライドまで見終えた医師が何を信じるか」を問う。チェリーピッキングや安全性情報の軽視が問題になるのは、個別のスライドではなく、文書全体が医師に届ける印象においてだ。厚生労働省の監視事業報告書が7年間で繰り返し記録してきた逸脱の多くは、個々の記載ルールをくぐり抜けながら、全体として誤った絵を描いていた。

なぜこれが審査に要るか。記載審査と印象審査は別の作業だからだ。スライドごとに規制適合を確認した後にも、完成した文書を一続きの情報として眺め直す。その通し確認がなければ、部分の正確さが全体の歪みを隠す。「So why」を一言で言えば、個々の審査をくぐり抜けた逸脱を止めるのは、この統合視座しかないということだ。

視座の中身 ── What / Where / Why / How

What(この視座で資材の何を見るか)
プレモータム視座が見るのは「失敗のシナリオ」だ。「もしこの資材が1年後に問題化するとしたら、何が原因か」と問い、候補を三つ挙げる。全例解析を隠したサブグループ提示、国内試験の有意差なしを省いた海外試験のみの説明、副作用の閾値を上げた有害事象表——これらは事前に問えば発見できるが、記載ルールのチェックだけでは浮かびにくい。俯瞰視座が見るのは「受け手の印象」だ。有効性グラフと安全性情報の分量は試験の実態を反映しているか。主要評価項目は副次評価項目より目立っているか。医師が文書を見終えた後に持つ印象を一文で書き出してみる。

Where(どこで使うか)
プレモータムは最終承認の直前が最も有効だ。デッキが完成し、審査部門の確認が終わった後、「これを世に出す前に失敗シナリオを三つ挙げられるか」と一度立ち止まる。俯瞰は通し確認の場面、すなわちスライドごとの審査が終わった後、最初のスライドから最後まで続けて見る15分のなかで使う。いずれも、部分審査の後・全体承認の前、という位置に置く。

Why(なぜこの局面でこの視座が要るか)
分業で進む資材作成では、グラフを描く人・スライドを組む人・コピーを書く人・規制適合を確認する人が別々にいる。それぞれが自分の工程を正確に仕上げても、誰も全体を見ていなければ逸脱は通り抜ける。また、「これで大丈夫」という安堵は本物で、締切が迫るほど強くなる。プレモータムと俯瞰は、その安堵を一度保留して「何が抜けているか」を問い直す構造を、習慣として持ち込む。

How(具体的にどう使うか)
プレモータムの実践は単純だ。承認前に白紙を用意し、「この資材が問題になったとしたら原因は何か」を3分で三つ書く。出てこないなら、問いが浅い可能性がある。俯瞰の実践は、最後のスライドを閉じた後に「この文書を見終えた医師が処方で何を変えるか」を一文で書く。その一文が試験の実態と乖離していれば、どこかが歪んでいる。

感情移入の入口 ── その立場に立つ

プレモータム視座に入るために、私は「有害事象の報告を受けた審査官」の立場を想像する。患者から「この薬で○○が起きた」という報告が届いた後、当該資材を初めて見る人物だ。その審査官は最初のページから読む。主要評価項目の試験結果は何ページに書いてあるか。副作用の全リストはどこか。国内試験と海外試験の比較は示されているか。有害事象の閾値は原著論文と同じか。これらを「探す」立場に立つと、資材の中にある空白が見える。「書いていないこと」は「問題ない」とは違う。書いていないことを探すのが審査官の仕事だからだ。

俯瞰視座に入るために、私は「情報の受け手である医師」に一歩入ってみる。専門医ではなく、多忙な一般内科医を想定する。週に何社かのMRに会い、それぞれの資材を5分から10分で見る。有効性グラフが大きく、比較対照群は省かれ、安全性情報は最後の2スライドにある——この医師は何を信じるか。「この薬は効く」という印象は持つ。しかし「どんな患者には使えないか」「副作用の頻度は他剤と比べてどうか」については、資材から手掛かりを得ていない。その状態で処方が始まる。

この感情移入は誇張でも想像上の敵作りでもない。監視事業報告書に記録された事例の多くは、この二つの立場から見れば、初読ですでに問題が見えた構造だった。プレモータムは「失敗後の審査官」の目線、俯瞰は「受け取った医師」の目線——その二つを意識的に切り替えながら資材を見ることが、統合視座の実践だ。

しくじりを鏡に ── この目で過去の逸脱を読み直す

二つの実在事例を、プレモータムと俯瞰の目で読み直す。

事例1:プレモータムで見た喘息サブグループ事例(平成31年3月版報告書)

媒体・製品領域: 気管支喘息治療薬 / 院内製品説明会スライド・パンフレット

何が起きたか: 第Ⅲ相国際共同試験の主要評価項目(年間喘息増悪率)について、全例解析(各群約250例)を示さず、日本人サブグループ(各群約15例)のみを紹介した。担当者は理由を問われ、「医師は日本人データを求めるため」と答えた。全例解析よりも日本人サブグループの方が良い結果だった。パンフレットにも同様の記載があった。

原文引用: 「医師は日本人データを求めるため」との回答を受けた

プレモータムで見ると: この資材が承認される前に「もし問題化するなら何が原因か」を問えば、最初に浮かぶのは「試験の全例解析を見せていないこと」のはずだ。各群15例のサブグループを主要評価項目の結果として提示し、各群250例の全例解析を出さない——そのギャップは、「医師が問い合わせてきた時」「競合が全例解析を引いて反論した時」「审查机関が資材を確認した時」のいずれでも即座に問題になる。プレモータムは「この判断は後で守れるか」を事前に問う。「医師は日本人データを求める」は、この問いの前に立つと、選択の根拠ではなく全例解析を省く理由の後付けとして見えてくる。

詳細はしくじりの解剖 vol.02「データ・グラフの恣意的な抜粋・加工・見せ方」に記録されている。

事例2:俯瞰で見た心不全治療薬の組織的情報選別(令和4年度)

媒体・製品領域: 心不全治療薬 / オンライン説明会(企業担当者)・複数施設

何が起きたか: 主要評価項目で有意差が示された海外第三相試験の結果のみを説明し、有意差を示せなかった国内第三相試験の結果については全く説明しなかった。「有意差を示せなかった国内第三相試験結果については全く説明をしなかった」「本事例については複数施設で同様のことが確認された」と報告書に記録されている。

原文引用: 「有意差を示せなかった国内第三相試験結果については全く説明をしなかった」「本事例については複数施設で同様のことが確認された」

俯瞰で見ると: 一施設の説明会だけを見れば、「その日たまたまそこまで触れなかった」という解釈も成り立つ。しかし俯瞰の目で複数施設を横断して見ると、同じ省略パターンが一致して確認される。これは個人の判断ではなく、組織として「国内試験の有意差なしは出さない」という情報選別が動いていたことを示す。俯瞰とは一施設・一資材・一スライドを超えて、「この情報提供活動が全体として医師に何を届けているか」を問う視座だ。個々の担当者は渡されたスライドを使っただけと感じていたかもしれない。しかし俯瞰から見れば、それが組織的な印象操作の実行部分だったと分かる。

この構造についてはしくじりの解剖 vol.06「有効性のみの強調・安全性情報の軽視」、および個人の誠実さを組織の仕組みに変える課題についてはこうありたい vol.10「背骨を組織に移す ── 良心を仕組みに変える」に詳しい。

複眼の審査 ── 規則の目と当事者の目 ── 全 10 章の地図

  1. 第1回: 複眼の必要 ── なぜ「規則の目」と「当事者の目」を同時に持つのか
  2. 第2回: ミクロの目 ── ルールに精通する、その「なぜ」まで
  3. 第3回: 感情移入という方法 ── 知識を「自分ごと」に変える
  4. 第4回: 患者本人の目 ── この資材を信じて薬を飲むのは、私だ
  5. 第5回: 家族の目 ── 妻が病の夫、子が患者の親、親が患者の子
  6. 第6回: 弁護士の目 ── 反対尋問に、この資材は耐えるか
  7. 第7回: 規制当局の目 ── 監視・行政指導の視座で自社資材を読む
  8. 第8回: マスコミ・社会の目 ── 一面記事の見出しを想像する
  9. 第9回 (本章): 視座を束ねる ── 切り替え・同時保持・統合のメタ認知
  10. 第10回: 俯瞰の心を習慣に ── しくじりの解剖を鏡に
Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. プレモータムは「失敗後の審査官」の目線を事前に借りる技術だ。 承認前に「この資材が問題化するとしたら原因は何か」を三つ書く。出てこなければ、問いが浅いか、見えていない何かがある。個々の記載チェックでは浮かびにくい失敗シナリオを、この問いは引き出す。
  2. 俯瞰は「最後のスライドを見終えた医師が何を信じるか」を一文で書く技術だ。 その一文が試験の実態と乖離していれば、どこかが歪んでいる。チェリーピッキング・安全性軽視・主副評価項目のすり替えは、個別スライドの審査では通り抜けても、この一文に書いてみると浮かぶ。
  3. 複数施設の同一パターンは俯瞰でしか見えない。 令和4年度の心不全治療薬の事例では、国内第三相試験(有意差なし)の省略が複数施設で一致して確認された。一施設の視点からは「たまたま触れなかった」と見える逸脱が、俯瞰の目には組織的な情報選別として現れる。
出典・参考文献
  1. 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(平成31年9月25日)
  2. 厚生労働省「医療用医薬品の広告活動監視モニター事業報告書」(平成31年3月、資料番号000509783)
  3. 厚生労働省「医薬品の販売情報提供活動監視事業報告書」(令和4年度)
  4. 日本製薬工業協会「医療用医薬品製品情報概要等に関する作成要領」
  5. Klein, G. (2007). Performing a project premortem. Harvard Business Review, 85(9), 18–19.
  6. Flavell, J.H. (1979). Metacognition and cognitive monitoring: A new area of cognitive-developmental inquiry. American Psychologist, 34(10), 906–911.