01根本公理: 作り手と読み手の非対称
医療用医薬品の販促資材(製品情報概要・専門誌広告・患者向け資材など)には、他の広告と決定的に違う条件がある。作り手と読み手の関係が対等でないことだ。
作り手である製薬企業は、自社製品について読み手より多くを知っている。しかも、読み手が製品を実際より良く誤解すれば、売上という形で利益を得る立場にある。一方の読み手、つまり患者や医師は、誤解の代償を健康被害という形で自分の身に受ける。誤解して得をする側と、誤解して害を受ける側が、最初から分かれている。
この非対称を認めるなら、結論は一つに絞られる。資材は、承認事実(=規制当局が審査して認めた効能・用法などの範囲)を超えて、読み手に誤った像を結ばせてはならない。
このシステムの設計は全部、この一文から導かれている。以下の六原則は独立した六つのルールではない。この公理に向けられる代表的な反論に、一つずつ答えたものだ。代表的な反論は「基準・見せ方・選択・保証・誤りの選び方・空白」の六つに整理できる。だから原則も六つある。
02六つの原則 ── それぞれが答える反論
第一の反論は「そもそも何を承認事実とするのか」。答えが①補完の原則だ。電子添文(=医薬品の公式な説明文書)を承認範囲の判定基準となる文書とし、資材は承認範囲を一字も超えない。資材は電子添文を補い説明する関係にとどまる、という意味でこの名がある。明言だけでなく、示唆や暗示による逸脱も違反とする。
第二の反論は「書いてあることが事実なら、何が問題なのか」。答えが②二重の義務だ。個々の記述が事実でも、見せ方によって読み手を誤らせれば違反になる。判定の基準は書き手の意図ではなく、受け手の印象に置く。事実性と印象、二つの義務を同時に負うからこの名がある。
第三の反論は「載せる情報は企業が選んでよいのでは」。答えが③非対称開示義務だ。有効性は載せたい、安全性は載せたくない、という選択を認めない。安全性の情報は企業に不利であっても開示する。有効性と安全性のあいだに扱いの差をつけないことを、義務として固定する。
第四の反論は「その判定が正しいと誰が保証するのか」。答えが④検証可能性だ。システムが出す指摘はすべて、規範の原文(法令・基準・ガイドラインの該当箇所)に遡れる根拠を持たなければならない。当局・弁護士・記者といった第三者の批判に耐える根拠がない指摘は、指摘として存在を許さない。
第五の反論は「機械の判定には誤りがつきものだ。どちらの誤りを選ぶのか」。これは誤りの選び方(=二種類の誤りのうち、どちらを許容するかの選択)を問うている。答えが⑤見逃し優先で、次章で詳しく述べる。
第六の反論は「規範の明文に書いていないことは自由のはずだ」。答えが⑥明文の空白=自律で、これは第4章で述べる。
03見逃し優先 ── どちらの誤りを引き受けるかの決断
機械の審査には二種類の誤りがある。偽陽性(=違反でないのに違反と疑うこと)と、偽陰性(=本当は違反なのに見逃すこと)だ。両方をゼロにはできない。設計とは、どちらの誤りを重く見るかを先に決めることでもある。
このシステムは、偽陰性を偽陽性より重い失敗と定義した。理由は根本公理に戻る。偽陽性のコストを払うのは審査に関わる人間で、余計な確認作業という形で済む。偽陰性のコストを払うのは読み手、つまり患者と医師で、誤解と健康被害という形で現れる。誤りの重さが対称でない以上、対策も対称にしない。
この決断は、判定の細部まで一貫して貫かれている。まず、確証のない懸念を捨てない。怪しいが断定できない箇所は、棄却するのではなく確信度(=その判定がどれだけ確かかを示す数値)を下げて残す。次に、複数回の判定で意見が割れたとき、多数決を採らない。複数回問うて1票でも違反判定が出れば、その指摘を採用する。最悪ケース採用である。さらに、指摘を落とす操作、つまり許容や撤回にはすべて根拠と記録を義務づける。静かに消える見逃しを作らないためだ。
裏を返せば、これは過剰指摘のコストを引き受ける決断である。人間の審査担当者は、結果として違反でなかった指摘の確認にも時間を使う。それでも、機械が黙って見逃すより、うるさく疑って人間に渡す方がよい。このシステムの省力化は「違反を探す時間」の短縮であって、「確認する責任」の削減ではない。
04明文の空白は「許可」ではない
規範には必ず隙間がある。法令にも基準にもガイドラインにも書かれていない表現・構成は、いくらでも作れる。「書いていないのだから自由だ」という理屈は、一見もっともらしい。
このシステムはその理屈を採らない。明文にない領域は、許可された領域ではなく、自律判定の持ち場だと考える。明文がないのは、規範の作り手がその表現を許したからではない。単に想定していなかっただけかもしれない。作り手と読み手の非対称という公理は、明文の有無にかかわらず成立している。だから、明文の空白でも読み手に誤った像を結ばせる余地は残る。
この考えは、判定の扱いに直結する。明文の規範に照らして何もヒットしなかった資材を、その時点で「問題なし」と扱わない。明文ヒットなしは、白の確定ではなく灰色の候補として、社会の目(=患者・医療者・メディアなど社会の側からの批判的視線)による評価に回される。そこで懸念が出なかったとき、はじめてシステム上の「問題なし」判定が確定する。これは一次スクリーニング内での確定であって、人間審査の省略を意味しない。空白を素通りさせない、という一点のために、判定の流れそのものがそう組まれている(流れの詳細は実行プロセス編で述べる)。
05思想は文言でなく強制になる
設計思想を書き並べるだけなら誰にでもできる。問題は、思想が実行時に破られたとき、それを止める力があるかどうかだ。
このシステムには翻訳ゲート(=思想を機械が検査できる制約に書き換えられたものだけ、実装に通す関門)という規律がある。思想は、機械が検査できる硬い構造の制約に翻訳されて、はじめて実装に入ることを許される。翻訳できない思想は、どれほど立派でも棄却する。逆に言えば、実装に残っている思想はすべて、破ろうとすると機械が拒否する形になっている。
例を一つだけ挙げる。④検証可能性は「根拠を持ちましょう」という心がけではない。根拠を欠いた指摘は、生成されるその瞬間に型(=プログラムが受け付けるデータの決まった形)の検査で拒否され、システムの中に存在できない。⑤見逃し優先も同じで、指摘を落とす操作には監査記録が義務づけられ、後から必ず検証できる。思想が一つあれば、それに対応する構造の制約が一つあり、さらにそれが守られているかを検査する関門が一つある。思想・構造・検証が一対一で対応することが、この設計の背骨である。
どの原則がどの部品になり、審査の一回の実行でいつ発動するのか。それは続くコンポーネント編と実行プロセス編で述べる。本稿の結論は短い。この機械は、効率化のためではなく、見逃しを防ぐために作られた。そして最終判定と責任は、いまも人間の審査担当者にある。