01コメント欄が四十件を超えた日

新任の審査員が仕上げた審査票を見て、手が止まった。コメントが四十三件並んでいた。一件めは重い。電子添文(=医薬品の公式な添付文書)と異なる用法用量の記載。患者に届けば実害になりうる指摘だ。だがその下には「てにをは」の修正、読点の位置、社内で統一されていない送り仮名の指摘が延々と続く。重い一件が、軽い四十二件の中に埋まっていた。

彼を責められない。私も同じことをしていた。指摘漏れゼロ。かつての私の目標はそれだった。監視事業(=厚労省が販売情報提供活動を覆面で点検する事業)の報告書に、自社の資材らしき事例が載る悪夢を見た。翌朝から網の目を細かくした。細かくすればするほど、コメントは増えた。二回の差し戻し(=資材が審査で戻されること)で済んでいた案件でも、三回目があたりまえになった。マーケティング部は校了期限を動かせないまま制作会社に何度も再校を出し、印刷と納品の予定が玉突きで遅れた。資材化までのリードタイムが延びれば、その先の計画も遅れる。彼らが疲れ、日程が延びた分だけ、患者は安全になったのか。当時の私は、そこを考えていなかった。

02ゼロを目指すと何が起きるか

信号検出理論(=見逃しと誤警報の関係を扱う心理学の理論。Green と Swets が整理した)は、冷たい事実を教えてくれる。疑わしいものはすべて引っかかるように判定基準を緩めれば、見逃しは減るが、誤警報が必ず増える。基準を動かすだけでは、両方を同時に減らすことはできない。両方を減らしたければ、網の性能そのものを上げるしかない。これは根性の問題ではなく、構造の問題だ。

指摘漏れゼロを本気で掲げた審査室では、基準は際限なく「全部指摘する」側に振れていく。すると資材を作る側には警報が鳴り続ける。医療安全の世界にはアラーム疲労(=警報が多すぎる状態が続くと、人が警報そのものに反応しなくなる現象)という言葉がある。毎月四十件のコメントを受け取り続ける担当者は、やがて四十三件を同じ重さで読まなくなる。読めなくなる。重い一件が流れ作業の中で処理される。ゼロを目指した網が、いちばん捕まえたい魚を逃がす。

ではなぜ、私たちはゼロに惹かれるのか。行動経済学に、ゼロリスクバイアス(=リスクを小さくするより、ゼロにすることに不合理なほど高い価値を置く傾向)という言葉がある。「見逃しを年三件から一件に減らす」より「ゼロにする」の方が、説明としても目標としても気持ちがいい。だがその気持ちよさには、関連部門の疲弊と、重大リスクが埋もれるという代償がついてくる。

念のため書いておく。指摘漏れはどうでもいい、という話ではない。安全性情報が落ちた資材が医師の手に渡れば、その先には患者がいる。重大な見逃しは許されない。だからこそ「全部を同じ強さで見る」のではなく、目標を絞り直す。指摘漏れゼロ、ではなく、重大リスクの見逃しゼロ。この一語の違いが、以下の設計のすべてを決める。

03三つの道

道は三つあると思っている。

一つめは、仕組みでリスクを減らす道だ。指摘に重大度の段階をつける。最上位は患者に実害が及びうるもの、つまり法令・ガイドラインからの逸脱(安全性情報の欠落を含む)。その下に社内規程からの逸脱、データ引用の適切性、最後に表現と体裁。段階が票の上で分かれていれば、四十三件の中でも重い一件は埋まらない。体裁は審査承認の条件から外し、修正必須と任意を票面上で分けて、参考コメントとして別欄で返す。チェックリストは項目を増やすのではなく絞る。二人で見るなら、同じ観点で見ないことだ。観点が重なれば、二人目は一人目と同じものを見逃す。網を変えることに意味がある。これは信号検出理論の言う「網の性能を上げる」を、実務に置き換えた形でもある。

二つめは、人の心持ちに働きかける道だ。心理的安全性(=言いにくいことを罰されずに言える職場の状態)という概念が生まれるきっかけになった、エドモンドソンの病院での調査には、直感に反する発見がある。良いチームほど、報告されるエラーの数が多かった。エラーが多いのではない。隠さないのだ。審査員が「見逃したかもしれない」と翌日に言い出せる部屋と、言い出せない部屋。重大リスクが早く見つかるのはどちらか、答えは明らかだ。見逃しを審査員の能力の欠陥として査定に使えば、人は見逃しを隠し、際どい案件を抱え込む。学習の材料として扱えば、網の設計が良くなっていく。失敗を能力の証拠と見るか、伸びしろの材料と見るか。評価する側の構えが、報告の量を決める。

三つめは、マネジメントの道だ。段階分けもエラー報告も、現場の工夫だけでは続かない。他社の措置事例が回覧された翌月、審査室の基準は一斉に「全部指摘する」側へ傾く。差し戻しが減った月に「審査が甘くなったのでは」と上が言えば、同じことが起きる。逆にリーダーが「体裁の指摘を減らして、重大項目の議論に時間を使ってくれ。見逃しが出たら、それは君の失点ではなく仕組みの宿題だ」と言えば、空気は変わる。私が昔の上司に言われたのは、もっと短い一言だった。「全部捕まえた月より、何を捕まえなかったか説明できる月の方が信用できる」。

04経営陣の責務と、心理学の使いどころ

販売情報提供活動ガイドラインは、第2章1で「経営陣の責務」を定めている。経営陣は、全ての役員・従業員の販売情報提供活動における業務上の行動に責任を負う。社内体制の整備、評価や教育への関与、不適切な活動への対応。部下に任せた、権限を分けた、という理由では責任は軽くならない。「現場が勝手にやった」は通らない構造だ。そして同じ第2章は、独立した審査・監督部門の設置も求めている。審査室の網をどう設計するかは現場の内輪の話ではなく、経営が整えるべき体制の一部ということになる(詳しくは当サイトの解説 /compliance/04-msa-guidelines/msa2-1.html)。

この責務を、審査員一人ひとりへの「見逃すな」という圧力に置き換えてしまうことがある。私も一度、その置き換えをした側だ。圧力をかければ、審査員は疑わしいものを全部指摘するようになり、誤警報が増え、担当者の反応が鈍り、見逃しは隠される。02と03で見た理論どおりの結果になる。

責務を果たす経営とは、逆のことをする経営だと思う。重大度の設計を承認し、体裁チェックは自動化や別のレーンに回して、審査員の時間を重大項目に振り向ける。自発的なエラー報告は原則として処分の対象にしない、ただし隠蔽と故意は除く、と制度で線を引く。評価と教育に関与せよとガイドラインが言う以上、この線引きを人事評価の文書に書き込むのは経営の仕事だ。そして、うまくいった審査——重大リスクを早い段階で捕まえて静かに直せた事例——を、失敗事例と同じ熱心さで共有する。ホルナゲルの言う Safety-II(=失敗を潰すだけでなく、ふだんうまくいっている理由を調べて支える安全のとらえ方)の実践がそれだ。

指摘漏れゼロは、目標としては雑すぎる。重大リスクの定義を決める。許容する誤警報の量を決める。報告が上がる空気を保つ。この三つを決めるのは審査員ではなく経営で、決めた責任も経営が負う。ガイドラインが経営陣の名前でそれを求めているのは、たぶん偶然ではない。四十三件のコメントを書いた昔の私に必要だったのは、もっと細かい網ではなく、何を捕まえるための網かを一緒に決めてくれる誰かだった。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 判定基準を緩めれば見逃しは減るが誤警報が必ず増える(信号検出理論)。警報が鳴り続ければ人は警報に反応しなくなり(アラーム疲労)、ゼロを目指した網がいちばん重い一件を埋もれさせる。
  2. 目標は「指摘漏れゼロ」ではなく「重大リスクの見逃しゼロ」。重大度の段階分け・チェックリストの絞り込み・観点をずらしたダブルチェックという仕組みが、網の性能そのものを上げる。
  3. 良いチームほどエラー報告が多い(エドモンドソン)。見逃しを査定に使えば人は隠す。重大度の設計・許容する誤警報の量・報告が上がる空気——この三つを決めて責任を負うのは経営で、販提G第2章1「経営陣の責務」はそれを経営陣の名前で求めている。
出典·参考文献
  1. David M. Green & John A. Swets. Signal Detection Theory and Psychophysics. Wiley, 1966.(見逃しと誤警報のトレードオフを定式化した信号検出理論の原典)
  2. ダニエル・カーネマン. ファスト&スロー. 早川書房, 2014.(ゼロリスクを不合理に重く評価する人間の判断の癖)
  3. The Joint Commission. Sentinel Event Alert Issue 50: Medical device alarm safety in hospitals. 2013.(アラーム疲労を医療安全の重大課題として整理した警告文書)
  4. エイミー・C・エドモンドソン. 恐れのない組織. 英治出版, 2021.(良いチームほどエラー報告が多いという発見から生まれた心理的安全性の主著)
  5. キャロル・S・ドゥエック. マインドセット「やればできる!」の研究. 草思社, 2016.(能力を固定と見るか伸びると見るかが行動を決めるという研究)
  6. エリック・ホルナゲル. Safety-I & Safety-II ── 安全マネジメントの過去と未来. 海文堂出版, 2015.(失敗を潰す安全から、うまくいく日常を支える安全へ)
  7. 厚生労働省. 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン. 2018.(第2章1「経営陣の責務」の原典)