01記録の意義 ── 「やった」を証明できるのは記録だけ
審査の記録は、事務作業の後片づけではありません。審査という行為そのものの一部です。理由は単純で、判断は目に見えないからです。審査員が資材を読み、承認範囲と照らし、ここは効きすぎに読めると気づき、直させた ── この一連の頭の動きは、書き残さなければ消えます。消えたものは、後から検証できません。
だから記録は、少なくとも三つの仕事をします。第一に、説明責任。「なぜこの資材を通したのか」を、当事者がいなくても後から答えられる。第二に、再発防止の材料。どんな逸脱がどれだけ起きているかを数えられなければ、対策は打てません。第三に、教育の資産。過去の判断の積み重ねは、新しい審査員が「この種の表現はここが危ない」を学ぶ教材になります。
逆に、記録の弱い審査は、うまく回っているように見えても脆い。担当者が替わった瞬間に判断の基準が揺れ、同じ指摘が別の資材で見落とされ、なぜ通したかを誰も説明できなくなります。記録は、審査を個人の記憶から組織の資産へ移す作業です。
02監査証跡 ── 誰が・いつ・何を変えたか
記録の中でも、特に重いのが監査証跡です。ふつうの記録が「最終的にこうなりました」を残すのに対し、監査証跡はそこに至る変更の一つひとつを残します。ある効能の一文が、初稿では承認範囲を少しはみ出していて、審査で指摘が入り、二稿で修正され、三稿で確定した ── この往復のすべてが、日時と担当者つきで追える状態です。
なぜ変更の履歴まで残すのか。改ざんと隠蔽を防ぐためです。最終版だけを見せられても、その途中で危ない表現が消されたのか、最初から無かったのかは分かりません。医薬品の品質記録の世界では、この考え方を ALCOA+(=Attributable〈誰の記録か分かる〉・Legible〈読める〉・Contemporaneous〈その場で記録〉・Original〈原本〉・Accurate〈正確〉に、完全性などを足した原則)という物差しで整理してきました。電子記録なら、米国の 21 CFR Part 11 が、監査証跡を後から書き換えられない形で残すことを求めています。
資材審査に引き寄せると、監査証跡が答えるべき問いは決まっています。
誰が
その判断・修正を、どの審査員・どの起案者が行ったか。匿名の「誰か」ではなく、責任の所在が名前で分かること。
いつ
いつ判断し、いつ直したか。後追いでまとめて書いたのではなく、その場で残された時刻が付いていること。
何を
どの表現を、どう変えたか。変更前と変更後の両方が残り、途中経過が消されていないこと。
なぜ
その修正の理由。どの規定・どの承認情報に照らして直したのか。判断の根拠が紐づいていること。
この四つが揃って、初めて「追える」と言えます。逆に、どれか一つでも欠けると、記録はあっても検証には使えません。名前のない指摘、時刻のない修正、理由の書かれていない削除 ── よくある記録の穴は、たいていこの四点のどこかが抜けています。
03是正と予防(CAPA) ── その場を直すだけでは終わらせない
逸脱が見つかったとき、対応は二段構えになります。まず、目の前の資材を直す。これが是正(Corrective Action)です。次に、なぜその逸脱が生まれたのかをたどり、原因そのものを断って再発を防ぐ。これが予防(Preventive Action)です。二つを合わせて CAPA と呼び、医薬品の品質保証システムを定めた ICH Q10 でも中心に据えられています。
現場でつまずくのは、たいてい予防のほうです。是正は目に見えるので必ずやる。しかし予防は、根本原因を掘り当てる手間がかかるので飛ばされがちです。その資材の一文を直して終わりにすると、同じ型の逸脱が、別の担当者の別の資材で、また出ます。表面だけを三度直して同じ問題が四度目に出たら、直す場所を間違えているサインです。手を止めて、原因の側を見にいく番です。
| 是正(その場を直す) | 予防(原因を断つ) |
|---|---|
| この資材の効きすぎる一文を、承認範囲内の表現へ直す | なぜその表現が生まれたか(テンプレの雛形か、担当者の理解不足か)をたどる |
| 指摘された出典欠落に、根拠となる添付文書の該当箇所を補う | 出典を付ける工程が抜けやすい仕組みを見つけ、チェック手順に組み込む |
| 対象は「今回の資材」一件 | 対象は「同じ原因を持つ、これから作られる資材すべて」 |
| 速い。効果は目の前だけ | 遅い。効果は将来の全件に及ぶ |
この予防の材料になるのが、記録です。個々の逸脱を数え、どの型が繰り返し出ているかが見えて、初めて「ここを直せば再発が止まる」と分かる。国が公表している販売情報提供活動の監視事業報告は、まさにこの発想で、匿名化した逸脱事例を型ごとに集めています。自社の記録を同じように束ねれば、社内版の再発防止マップになります。
ひとつ、記録の範囲を取り違えないための線引きを添えます。資材審査が記録するのは、あくまで情報提供の中身が承認範囲や規制に収まっているか、です。医薬情報担当者(=MR、Medical Representative)が扱うのは医薬品の情報提供であって、価格・在庫・納期・受発注や価格交渉は、その担当ではありません。それらは医薬品卸と病院購買のあいだの取引・物流の話で、資材審査の記録が追う対象とは別系統です。CAPA を回すときも、混ぜないほうが原因の切り分けが正確になります。
04トレーサビリティ ── 一文から、根拠へたどれるか
トレーサビリティ(=たどれること)は、監査証跡と CAPA をつなぐ背骨です。意味はこうです ── 資材のある一文が、どの承認情報・どの出典に紐づいているかを、双方向にたどれる。効能を述べた一文から、その根拠である添付文書の該当箇所へ下りていける(後方トレース)。逆に、承認情報が改訂されたとき、その影響を受ける資材の一文をすべて洗い出せる(前方トレース)。
資材審査でこれが効くのは、承認情報が変わる場面です。ある効能・効果の記載が改訂された、あるいは安全性情報が更新された。このとき、トレーサビリティが張られていれば、「その情報にぶら下がっている資材」が一覧で出ます。張られていなければ、全資材を人手で読み直すしかありません。数百点の資材を抱える組織では、この差が致命的になります。
第 3 回で扱った「出典・根拠の欠落」は、トレーサビリティが切れている状態のことでした。数字はあるのに、その数字がどこから来たかへたどれない。主張はあるのに、承認範囲のどこに対応するかが紐づいていない。記録の観点から言い直すと、出典を付けるとは、たどれる糸を一本張ることです。審査は、その糸が全部つながっているかを確かめる作業でもあります。
05AIのログと再現性 ── 揺れる判断を、追える形にする
ここまでは人の審査の記録でした。AI を審査に組み込むと、記録すべきものが一つ増えます ── AI 自身の判断です。AI が「この一文は効きすぎに読める」と拾ったなら、その拾い方も記録の対象になります。人の判断を残すのと同じ理由です。後から「なぜ AI はここを指摘したのか」を検証できなければ、AI の出力は使えません。
やっかいなのは、大規模言語モデル(=大量の文章で学習した AI、以下 LLM)の判断が揺れることです。人の書いたプログラムなら、同じ入力に同じ答えを返します。LLM は確率で次の語を選ぶので、同じ資材を二度見せて、少し違う指摘が返ることが起こります。再現性 ── 同じ入力なら同じ判断が出ること ── が、そのままでは保証されません。
だから、AI を審査の記録に耐えるものにするには、少なくとも次を残し、固定します。
モデルの版
使ったモデルの名前とバージョン。版が変われば判断も変わりうるので、「いつのどのモデルか」を記録に残す。
入力と指示
審査に掛けた資材の版と、AI に与えたプロンプト(=指示文)。同じ結果を再現するには、入力の完全な記録が要る。
出力そのもの
AI が拾った指摘の全文。要約や結論だけでなく、生の出力を残す。後で人が読み直せるように。
揺れの抑制
出力の揺らぎを決める設定を低く固定し、版を勝手に上げない。同じ入力で同じ判断に近づける運用を敷く。
この考え方は、AI を組織で管理するための国際規格 ISO/IEC 42001(=AI マネジメントシステムの規格、2023 年)が求める記録・追跡の発想と重なります。要は、AI だからといって記録の物差しは緩まないということです。むしろ、判断が揺れるぶん、人の審査より丁寧にログを残す必要があります。そして忘れてはならないのは、AI のログは「AI がこう言った」の記録であって、可否そのものの記録ではない点です。最終の判断と記録は、人が引き受けます。
06限界 ── 記録は、判断の代わりにはならない
記録を厚くすると、安心が生まれます。その安心が、次の落とし穴になります。記録には、はっきりした限界があります。
第一に、記録は形だけになりやすい。欄を埋めることが目的化すると、中身の薄い「確認済み」がただ積み上がります。監査証跡が全項目そろっていても、判断そのものが浅ければ、追える形で残った浅い判断が増えるだけです。記録の充実と審査の質は、別の話です。
第二に、AI のログは、量に溺れる。AI は疲れないので、いくらでも指摘を出します。全部を記録すれば、膨大なログが積み上がり、誰も読まなくなります。読まれない記録は、無いのとほぼ同じです。何を残し、何を残さないかの取捨 ── これ自体が設計の対象です。
第三に、監査証跡も、絶対ではない。書き換えられない仕組みを敷いても、運用でごまかす余地は残ります。時刻を後から入れる、理由を定型文で埋める、都合の悪い版を「下書き」として履歴に残さない。仕組みは抜け道を狭めますが、ゼロにはしません。最後にものを言うのは、記録を正直に付ける文化です。
07他章との接続 ── 逸脱検出・ルール設計・標準化とのつながり
本回の記録の話は、シリーズの他の回と一本の線でつながります。読み合わせると、AI 資材審査の全体像が立体になります。
- 第 3 回 ── 逸脱検出 ── AI が拾った逸脱の芽を、どう記録に残すか。検出と記録は表裏で、拾っても残さなければ CAPA の材料にならない
- 第 4 回 ── ルール設計 ── AI に持たせた柵(ガードレール)が、いつ・どう働いたかも記録の対象。ルールの効き目は、ログを数えて初めて分かる
- 第 5 回 ── 審査の標準化 ── 属人性を減らす共通言語は、記録の書式として結実する。同じ形で残せば、判断のばらつきが見えてくる
- 第 8 回 ── 審査員のAIリテラシー ── AI のログを読み解き、揺れを見抜く力。記録を残す仕組みと、それを使いこなす人の力は、両輪になる
審査は、見て、直して、通すだけでは半分です。残りの半分は、それを追える形で残すこと。判断は目に見えないからこそ、記録が判断の証拠になります。監査証跡で「誰が・いつ・何を・なぜ」を残し、逸脱が出たら是正で目の前を直し、予防で原因を断つ。承認情報から資材の一文まで糸をたどれるようにしておく ── これが、追える審査の骨格です。
AI を入れると、この骨格に AI の判断という新しい記録が加わります。しかも AI の判断は揺れるので、版・入力・出力を残し、揺らぎを抑え、人の審査より丁寧にログを積む必要があります。ただし、記録がどれだけ厚くなっても、それは「正しく審査したかを後から確かめられる」状態を作るだけです。正しさそのものは、人が判断し、人が引き受ける。次回は、その人の側 ── AI のログを読み解き、使いこなす審査員のリテラシーへ進みます。
- 判断は目に見えないから、記録がなければ「正しく審査した」を証明できない。監査証跡は「誰が・いつ・何を・なぜ」を変更履歴つきで残し(ALCOA+ や 21 CFR Part 11 の発想)、この四点のどれかが欠けると記録はあっても検証に使えない。
- 逸脱への対応は二段構え。目の前を直す是正(Corrective)と、原因を断って再発を防ぐ予防(Preventive)を合わせて CAPA と呼ぶ(ICH Q10)。飛ばされがちな予防の材料が記録で、同じ型の逸脱を数えて初めて「ここを直せば止まる」が見える。資材審査が追うのは情報提供の中身であり、価格・在庫・納期・取引は MR の担当外で別系統。
- AI を審査に使うなら、AI の判断も記録する。LLM は確率で判断が揺れるため、モデル版・入力・生の出力を残し、揺らぎを固定して再現性に近づける(ISO/IEC 42001 の発想)。ただし記録が厚いことは安全の証拠ではない。追えること(トレーサビリティ)と正しいこと(判断の質)は別で、最終の判断は人が引き受ける。
- ICH(医薬品規制調和国際会議). ICH Q10 Pharmaceutical Quality System(医薬品品質システム). 2008.(品質システムの中核として CAPA(是正措置・予防措置)と継続的改善を位置づけた国際調和ガイドライン。日本では薬食審査発 0219 第 1 号として通知)
- 厚生労働省. 医薬品及び医薬部外品の製造管理及び品質管理の基準に関する省令(GMP 省令、厚生労働省令第 179 号). 2004 年制定・2021 年改正.(逸脱管理・CAPA・記録の作成と保存を定める国内の一次規範)
- U.S. Food and Drug Administration. 21 CFR Part 11 — Electronic Records; Electronic Signatures. 1997.(電子記録の信頼性要件。監査証跡を後から改変できない形で残すことを求める原典)
- Medicines and Healthcare products Regulatory Agency (MHRA). 'GXP' Data Integrity Guidance and Definitions, Revision 1. 2018.(ALCOA+ 原則によるデータインテグリティ(記録の完全性)の定義と運用指針)
- 厚生労働省 医薬・生活衛生局長. 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン. 薬生発 0925 第 1 号, 2018 年 9 月 25 日.(販提G。情報提供活動の記録・モニタリング・審査体制を求める通知)
- 厚生労働省. 医薬品等の広告活動監視事業(販売情報提供活動監視事業)報告書.(匿名化した資材逸脱事例を型ごとに集計。再発防止の材料としての記録活用の実例)
- ISO/IEC. ISO/IEC 42001:2023 Information technology — Artificial intelligence — Management system. 2023.(AI を組織で運用する際の記録・追跡・リスク管理を定めた国際規格)