差し戻しの理由を書こうとして、ペンが止まった。どこが、とまだ言えない。ただ、この一行を読んだ瞬間、胸の奥が少しざわついた。あとで読み返すと、効能を一段だけ広げて書いた箇所だった。最初に来たのは判断ではない。違和感だった。気づきは、いつもこの順で来る。
01違和感が、判断より先に来る
差し戻しの理由を書こうとして、手が止まる。資材(=医師向けに、薬の効きめや使い方を説明する印刷物)の一行を見ている。どこがおかしいのか、まだ言葉にできない。なのに、何かがざわつく。カーソルがその一行の上で、ふっと止まったまま動かない。
あとから振り返ると、たいてい理由は出てくる。「効果を言い切りすぎている」「もとのデータより範囲が広い」。でも順番は逆だ。理由が先にあって止まったのではない。止まったあとで、理由を探しに行った。違和感のほうが、判断より先に来ていた。
心理学者のダニエル・カーネマンは、私たちの頭の働きを二つに分けて考えた。ひとつは速くて自動的な思考(=システム1。考えるより先に、勝手に反応してしまう側)。もうひとつは遅くて意識的な思考(=システム2。腰を据えて、順を追って確かめる側)。顔を見て一瞬で「機嫌が悪そうだ」と感じるのがシステム1、「17×24はいくつか」と紙に書いて解くのがシステム2だ。
資材を見ていて最初に届く「何かおかしい」は、たいていシステム1の合図だと思う。理屈ではなく、違和感として来る。問題は、その合図はまだ証拠ではないということ。だから、そのあとでシステム2の出番になる。元データを開く。前回の版と並べる。社内の基準を確かめる。速いシステム1が「ここを見ろ」と指をさし、遅いシステム2がそれを言葉と根拠に変えていく。この二段構えが、ひとつの「気づき」になる。
気をつけたいのは、片方だけでは危ういということ。違和感を信じて止まるだけでは、ただの思いこみと区別がつかない。逆に、違和感を無視して「まあ大丈夫だろう」と流せば、システム2は一度も起動しない。第6回で書いた「第六感」(=言葉になる前に鳴る、心の中の小さな警報)も、ここにつながる。ベテランほど早く止まる。けれどそこで終わらず、止まった理由をきちんと掘り下げる。感じる力と、確かめる手間。その両方を持っている人が、見落としを減らしていく。
02目に映っていても、見えない
ある資材で、効きめの数字ばかりを丁寧に追っていた。グラフの軸、パーセント、対象になった患者の人数。一文字ずつ確かめた。なのに、ページの隅にあるはずの小さな注意書き(=副作用や使用上の注意)が、まるごと抜け落ちているのに気づかなかった。あとで別の人に指摘されて、血の気が引いた。私はそのページを、たしかに見ていたはずなのに。
心理学者のサイモンズとシャブリスは、有名な実験をした。動画を見せて、「白い服のチームが何回パスを回すか数えてください」と頼む。観客は数えるのに集中する。その途中、画面の真ん中をゴリラの着ぐるみを着た人がゆっくり横切る。胸を叩いて、また去っていく。実験のあとで聞くと、半分くらいの人が「ゴリラなんて出てこなかった」と答える。映像にははっきり映っている。目も開いている。それでも、見えない。
これを非注意性盲目(ひちゅういせいもうもく=注意を向けていないものは、たとえ目に映っていても見えなくなる。そういう脳のクセ)と呼ぶ。私たちの注意には限りがある。パスの数に注意を全部使えば、ゴリラに回す分が残らない。効きめの数字に集中しきれば、隅の注意書きは、映ってはいても見えない。「全部読んだ」は、残念ながら「全部見た」と同じではない。
ここに、審査という仕事のいやらしさがある。チェックする対象を絞り込むほど、その作業は速く正確になる。けれど絞った分だけ、視界の外に置かれる場所ができる。一点を強く見るほど、別の穴がすっと消える。集中は味方であり、同時に死角をつくる。
注意は配分される
一度に細部へ向けられる注意の量には上限がある。数字に全部回せば、注意書きに回す分が足りなくなる。
見るとは選ぶこと
「見る」は受け身に映すことではなく、何を拾い何を捨てるかを選ぶ作業。捨てた側は、映っていても気づけない。
絞るほど穴ができる
チェック項目を一つに絞るほど精度は上がるが、その外側に死角が生まれる。速さと見落としは裏表になりやすい。
だから私は、見方をわざと切り替えるようにしている。数字を追う目で一周したら、いったん肩の力を抜く。今度は「何かが足りないとしたら、どこか」という、別の問いで同じページをもう一周する。同じ目で二度見ても、二度目は一度目の続きにしかならない。違う注意の向け方で見直して、はじめて、最初のゴリラに気づける。
03飛び出してくるもの、探さないと見えないもの
赤いスタンプの警告は、ページを開いた瞬間に目に刺さる。本文に何百という黒い文字が並んでいても、赤は一つだけで勝手に浮かび上がる。探そうとした覚えはない。気づいたら見えていた。一方で、本文の三行目、効能のあとに小さく足された「速やかに」という言い回しの逸脱は、何度読み返しても、すっと素通りしてしまう。同じ一枚の紙の上で、この差は何だろう。
認知科学者のアン・トライスマンは、この差を「特徴統合理論(=目に入った情報を、脳が二段階で組み立てているという考え方)」で説明した。最初の段は、意識が動き出すより前に起きる。色、傾き、動き、こうした単一の手がかりは、注意を向けるまでもなく勝手に処理される。トライスマンはこれを「前注意処理(=注意を払う前の、自動の下ごしらえ)」と呼んだ。赤いスタンプが飛び込んでくるのは、このおかげだ。専門の言葉では、こうしてポンと目立つことを「pop-out(ポップアウト)」という。
厄介なのは次の段だ。「効能の直後に」「最上級に近い」「根拠の注記がない」。危うい一行は、たいてい一つの特徴では立ち上がらない。複数の手がかりが組み合わさって、はじめて「これはまずい」になる。トライスマンの実験が示したのは、こうした結びつきを見るには、注意を一つずつ運ばなければならないということだった。赤を探すのは一瞬。けれど「赤くて、かつ斜めのもの」を探すと、人は端から順に視線を這わせていく。組み合わせには、時間と意識がいる。
だから本文に紛れた逸脱は「探さないと見えない」。目には映っている。目の奥にはちゃんと届いている。でも、注意というスポットライトがそこを通るまで、危うさは像を結ばない。第3回でも触れたが、見落としは「見えなかった」のではなく「注意が届かなかった」ことが多い。審査で行を指でなぞる人がいる。あれは古い癖ではなく、注意を一行ずつ運ぶための、理にかなった動作だ。
この性質は、資材の見やすさ設計にそのまま返ってくる。読み手に「探させない」工夫が、そのまま誤読を防ぐ。
大事な但し書きは色か位置で飛び出させる
注記を本文と同じ黒・同じ大きさで埋めると、前注意処理は働かない。読み手の注意任せになり、見落としが増える。
判断には複数の手がかりを束ねない
「効能・条件・出典」が一行に詰まると、読み手は組み合わせを解く負担を負う。一手がかり一行に分けると、注意の運びが楽になる。
審査側も「結合」を意識して見る
単語一つひとつは無害でも、並びで危うくなる。語ではなく、語と語の間に注意を置く。
04見落としと、空振りのあいだ
ある日、私は厳しく見すぎた。問題のない表現まで「念のため」と差し戻し、作成者と何往復もした。夕方には互いに消耗していて、最後に戻した一件は、冷静に読めば直す必要のないものだった。見逃すまいとするほど、罪のない表現まで網にかかる。あの疲れには、名前がある。
心理学者のグリーンとスウェッツがまとめた「信号検出理論(=雑音にまみれた中から、本物の信号を見分ける仕組みを扱う考え方)」は、これをきれいに描く。審査は、ノイズ(=当たり障りのない無数の表現)の海から、シグナル(=本当に直すべき逸脱)を拾う作業だ。そして結果は、いつも四つのどれかに落ちる。
| 本当に逸脱がある | 本当は問題ない | |
|---|---|---|
| 差し戻した | 的中(=正しく捕まえた) | 空振り(=要らぬ差し戻し) |
| 通した | 見落とし(=ミス。危うさを通した) | 正しく通した |
この理論の肝は、見落としと空振りが綱引きの関係にあることだ。両方を同時にゼロにはできない。見落としを恐れて網を細かくすれば、空振りが増える。あの日の私は、ミスを恐れるあまり基準を下げすぎ、空振りの山を作っていた。逆に空振りを嫌って網を粗くすれば、今度は本物の逸脱がすり抜ける。どちらに振っても、片方の代償が膨らむ。
グリーンとスウェッツは、この「どこで線を引くか」を「判断基準(=これ以上なら拾う、という心の中の境目)」と呼んだ。大事なのは、基準を消すことではない。そもそも消せない。大事なのは、自分が今どこに基準を置いているかを、自分で分かっていることだ。疲れている日、前の案件で叱られた日、危ない橋を一度渡った日。基準は気づかぬうちに動く。動くこと自体は責められない。動いていると気づかないことが、危うい。
だから私は、差し戻しのボタンを押す前に一度だけ問うようにした。「これは逸脱を捕まえているのか、それとも、見落とすのが怖くて拾いすぎているのか」。第5回のリスク検知力とも重なるが、見分ける力は、対象を見る力と、自分の基準を見る力の、二つでできている。後者を忘れると、人は的中と空振りの区別がつかないまま、ただ厳しいだけの審査者になる。
05「在るはず」で見ると、消える
その資材は、半年前にも見ている。同じ製品の、同じ効能の説明書き。前回は問題なかった。だから今回も、私の目は最初の数行で速度を上げた。「ここは大丈夫だったところ」。そう思った瞬間、私は読むのをやめて、確認をしていた。文字は追っているのに、中身は素通りしている。あとで戻って気づいた。比較データの注記が、前回とは違う数字に差し替わっていた。私はそれを、目に映していたのに、見ていなかった。
人は、予期したものを見る。心の中で「在るはず」と決めたものを、目の前の情報の上に重ねてしまう。これを確証バイアス(=自分が正しいと思っている方向に合う証拠ばかり集めて、合わない証拠を軽く扱う、心のクセ)と呼ぶ。前回問題がなかった、という記憶が「今回も問題ないはず」という期待になる。その期待が、ものを見る目を粗くする。違う数字が入っていても、脳は「いつものあれ」として処理してしまう。
審査の難しさは、ここにある。私たちが探しているのは、たいてい「無いはずのもの」だ。書かれているべき注記の欠落。差し替わった一語。元データと食い違う一行。「在るはず」の側から読むと、欠けているものは見えない。穴は、そこに何も無いから穴なのであって、「これがある」と期待している目には、最初から映らない。だから審査は、向きを反対にして読む必要がある。「ここは合っているはず」ではなく、「ここに、無いかもしれない。違っているかもしれない」。在るほうを確かめるのではなく、無いほうを疑う。
向きを変える合図になるのが、答えより先に来るあの感覚だ。何が間違っているかは、まだ言葉にできない。ただ「何かおかしい」とだけ、胸の奥が言う。心理学ではこれをメタ認知(=自分の頭の状態を、もう一人の自分が外から見ている働き)の一種、知っている感じ(feeling of knowing。=答えそのものはまだ出ていないのに、「ここに答えがある」「ここが怪しい」と先に分かる感じ)と呼ぶ。試験で、思い出せないのに「知っているはずだ」と感じる、あの感覚に近い。
大事なのは、この感覚を気のせいで片づけないことだ。「何かおかしい」は、雑音ではなく信号として扱う。手が止まったら、止まった理由を後から探す。たいてい、止まったところに穴がある。前回の差し替わった数字に私が戻れたのも、最初に一瞬、指が止まったからだった。理屈より先に、体のほうが先に気づいていた。期待で速くなった目を、その違和感が一度引き戻してくれる。
06気づきは、知覚から予測まで届く
ベテランの審査者が、資材の表紙を一目見て言ったことがある。「これ、後で揉めるよ」。まだ中身は開いていない。タイトルと、サブの一行を見ただけ。なのに彼は、この資材が差し戻しを何度も往復し、最後は上の判断を仰ぐところまで行く、と言い当てた。実際、そのとおりになった。なぜ、開く前に分かるのか。
気づきは、点ではない。「見えた」で終わる一発の出来事ではなく、三つの段で動いている。認知科学者のミカ・エンズリーは、これを状況認識(=今まわりで何が起きているかを、正しくつかんでいる状態)として三段に分けた。
知覚
そこに何があるかを、まず見て取る。タイトルの言葉、強調の大きさ、注記の有無。生のデータを拾う段。
理解
拾ったものが何を意味するかを読む。「この強い言い方は、元データの範囲を超えているかもしれない」とつなげる段。
予測
この先どうなるかを読む。「だからここは差し戻しになり、揉める」と、まだ起きていない展開まで届く段。
表紙を見て揉めると言い当てた人は、①で止まっていない。タイトルの一語から、②の意味を一気に読み、③のこの先まで滑り込んでいた。三段を順番に踏んだというより、三つがほとんど同時に起きていた。素人なら①の知覚で終わるところを、熟達者は予測まで一息で届かせる。
なぜそんなに速いのか。意思決定を研究したゲイリー・クラインは、消防士や看護師の熟達者を調べて、認識駆動の意思決定を見つけた。これは、いくつもの選択肢を並べて比べるやり方ではない。目の前の状況をパターンとして見分け、合う対応がすぐ浮かぶやり方だ。彼らは「AかBか」と数えていない。過去に見た無数の場面が、型として体に入っている。だから新しい場面が、その型に触れた瞬間、答えのほうが先に立ち上がる。言葉での説明は、後から付いてくる。
これは前に書いたことと地続きだ。第6回で触れた「言語化に先立つ警報」。理由を言えるより先に鳴る、あの内側のブザー。第5回の「リスク検知力」、まだ起きていない危うさを先に嗅ぎ取る働き。表紙を見て揉めると言った彼の中で起きていたのも、同じことだ。型に触れて鳴ったブザーが、③の予測の段まで一気に運んだ。気づきは知覚で生まれ、予測まで届いてはじめて、仕事の役に立つ。見えただけでは足りない。見えたものが、この先どうなるかまでつながって、ようやく「気づいた」と言える。
07穴が一直線に揃う前に
ある資材が、世に出てしまったあとで戻ってきたことがある。承認されていない効能を、それと気づかれにくい言い回しで匂わせる一行が残っていた。私は不思議だった。あの一行を、誰も見ていなかったわけではない。下書きを書いた人が読み、上長が読み、私たちの審査も通っている。何人もの目を通って、それでもすり抜けた。一人の不注意では説明がつかない。
事故の研究をしてきた心理学者のジェームズ・リーズンは、こういう抜けを「一人の犯人」では捉えなかった。彼が描いたのはスイスチーズモデル(=穴の空いたチーズを何枚も重ねて壁にする、という喩え)だ。下書きの自己点検、上長の確認、私たちの審査、最後の校正。一枚一枚が、危ない一行を止めるための「防御の層」になっている。どの層にも穴がある。完璧な層はない。それでも、ふだんは一枚で止まらなくても次の一枚で止まる。問題が起きるのは、たまたま全部の穴が一直線に揃って、向こう側まで見通せてしまったときだ。
リーズンは、穴を二種類に分けた。一つは、その場の手元の見落とし。急いでいた、似た資材と取り違えた、というその場のエラー。もう一つは、ずっと前から壁に空いていた穴で、潜在的エラー(=普段は害を出さず、条件が揃ったときだけ表に出る、仕組みの側の弱さ)と呼んだ。チェック表に最初からその項目が無い。確認の締め切りが重なって誰もが流し読みになる。「前にも通ったから大丈夫」という思い込みが層の全部に共有されている。こうした穴は、事故の日に空くのではない。ずっと前から、静かに空いている。
その場の穴
急ぎ、取り違え、ひとつ前の資材の記憶の引きずり。その日その人の手元で空く穴。
仕組みの穴(潜在的)
点検項目の欠落、締め切りの重なり、「いつも通り」の共有された油断。ずっと前から空いている穴。
揃う瞬間
普段は別の層が止める。穴が偶然一直線に並んだ一日だけ、向こう側まで通ってしまう。
この見方は、私の気を少し楽にすると同時に、重くもする。楽になるのは、すり抜けを「あいつが見落とした」で終わらせなくてよくなるからだ。重くなるのは、自分の一枚が最後の壁かもしれない、と毎回突きつけられるからだ。私が止めなくても、たぶん前のどこかで止まっている。その「たぶん」に寄りかかった日に、穴は揃う。だから私は、前の層を信じすぎないことにしている。すでに何人も通った資材ほど、「もう大丈夫」ではなく「まだ誰も気づいていないかもしれない」と思って読む。
では、揃いかけた穴を、どこで止めるのか。第6回で書いた「言葉になる前の警報」が、ここでもう一度効いてくる。読んでいて、理由はまだ言えないのに、ある一行で手が止まる。胸の奥で「何かおかしい」と鳴る。心理学ではこれをメタ認知(=自分の考えを、もう一人の自分が外から眺める働き)の一つ、知っている感じ(feeling of knowing。=答えはまだ出ないのに「ここに何かある」と先に分かる感覚)と呼ぶ。答えより先に、違和感が来る。
この感覚を、心の中だけで処理してはいけない。「気のせいかな」と飲み込めば、穴は空いたままだ。けれど「ここ、うまく言えないんですが、ひっかかります」と一言、声に出す。その瞬間、あなたの一枚が、揃いかけた列に割り込んで穴を塞ぐ。たいていは杞憂で終わる。九回は空振りでいい。十回に一度、その一言が、誰も止められなかった一行を止める。資材審査で最後にものを言うのは、難しい判断の速さでも知識の量でもない。自分の中で鳴った小さな警報を、面倒がらずに、恥ずかしがらずに、口に出せるかどうか。それは技術というより、良心の問題だと、私は思っている。
- 気づきは判断より先に、違和感として来る。速い思考が「ここを見ろ」と指し、遅い思考が言葉と根拠に変える。片方だけでは、思いこみか見落としになる。
- 注意は配ったぶんしか働かない。一点に集中すれば別の穴が消える。「在るはず」で読むと欠けは見えない。向きを反対にして、無いほうを疑う。
- すり抜けは一人の不注意ではなく、防御の層の穴が偶然揃ったとき起きる。鳴った小さな警報を、面倒がらず口に出せるかどうかが、最後の壁になる。
- ダニエル・カーネマン. ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?. 早川書房, 2014.(速い思考と遅い思考の二段構え)
- クリストファー・チャブリス, ダニエル・シモンズ. 錯覚の科学. 文藝春秋, 2011.(見えないゴリラ=非注意性盲目)
- ダニエル・シモンズ, クリストファー・チャブリス. Gorillas in Our Midst. Perception, 1999.(非注意性盲目の原典実験)
- アン・トライスマン, ガリー・ジェレイド. A Feature-Integration Theory of Attention. Cognitive Psychology, 1980.(前注意処理とpop-out)
- デイヴィッド・グリーン, ジョン・スウェッツ. Signal Detection Theory and Psychophysics. Wiley, 1966.(信号検出理論・ミスと空振りと基準)
- ミカ・エンズリー. Toward a Theory of Situation Awareness in Dynamic Systems. Human Factors, 1995.(状況認識の三段モデル)
- ゲイリー・クライン. 決断の法則 人はどのようにして意思決定するのか. トッパン, 1998.(認識駆動の意思決定)
- ジェームズ・リーズン. 組織事故 起こるべくして起こる事故からの脱出. 日科技連出版社, 1999.(スイスチーズモデルと潜在的エラー)
- ジェームズ・リーズン. ヒューマンエラー 完訳版. 海文堂出版, 2014.(エラーの分類と防御の重なり)