01なぜ必要か ── 道具は、使う人の力を超えない
AI 審査支援ツールが現場に入ると、期待と不安が同時に生まれます。「これで審査が速くなる」という期待と、「AI に任せて大丈夫か」という不安。どちらも半分正しい。ツールの良し悪しは、じつのところツールそのものより、使う人がどれだけその癖を分かっているかで決まるからです。
前回までに見たとおり、AI は逸脱の候補をすばやく挙げてくれます。ただし、挙がったものが本当に逸脱か、見逃しはないか ── そこを判断するのは人です。ここで使う人にリテラシーがないと、二つの失敗が起きます。ひとつは過信。AI が「問題なし」と言ったから通してしまう。もうひとつは不信。AI の指摘をぜんぶ疑って、結局すべて手で見直し、速くならない。どちらも、道具を使いこなせていない姿です。
リテラシーとは、この両極のあいだで正しく構える力です。AI が得意なところは任せ、苦手なところは自分で見る。その線引きができて初めて、道具は審査員を助けます。線引きができなければ、高価な道具も、判子を押すだけの機械になるか、使われずに眠るかのどちらかです。
02知っておくべきこと ── AI の四つの癖
使いこなすには、まず相手の癖を知ることです。審査員が最低限つかんでおくべき AI の性質を、四つに絞りました。難しい理屈は要りません。「AI はこういうときに間違える」という勘どころです。
確率で書いている
AI は文の意味を理解しているのではなく、「この文脈で次に来そうな語」を確率で並べているだけ。だから、正しさではなく "もっともらしさ" を最適化する。自信たっぷりでも、根拠がある保証はない。
平気で嘘をつく
ハルシネーション(=もっともらしい嘘)。存在しない出典、書かれていない承認内容、条文番号の取り違え ── これらを正しい記述とまったく同じ調子で出す。「たぶん違います」とは言ってくれない。
学習データに引きずられる
学習した大量の文章に無い話は苦手で、多い話に引っ張られる。世に多い販促的な言い回しに寄りやすく、最新の改正や自社固有の承認情報は、教えなければ知らない。
同じ問いに揺れる
同じ資材を二度見せても、指摘が微妙に変わることがある。人間の審査員のような一貫性を、そのままは期待できない。一度の出力を "唯一の答え" と思い込まない。
この四つは、どれも「AI が悪い」という話ではありません。仕組みからくる性質です。性質だと分かっていれば、身構えるべき場面が見えてきます。出典が挙がっていたら実在を確かめる(癖 02)、最新の承認情報は自分で照らす(癖 03)、大事な判断は一度でなく確かめ直す(癖 04)── 癖を知ることが、そのまま検証の手順に変わります。
03限界の理解 ── 任せてよい所と、渡してはいけない所
癖を知ると、次に見えてくるのが限界です。AI に任せてよい審査の仕事と、人が抱えておくべき仕事は、はっきり分かれます。ここを混ぜると事故が起きます。整理すると、こうなります。
| AI に任せてよい ── 下ごしらえ | 人が抱える ── 最終判断 |
|---|---|
| 禁止語や最上級表現の機械的な洗い出し | その表現が文脈の中で本当に誇大か(第 66 条)の判断 |
| 承認情報と資材の文言の突き合わせ、差分の提示 | 差分が承認範囲を出たといえるか、専門的な線引き |
| 出典の欠落や、引用箇所の抜き出し | その出典が主張を支える適切な根拠かの評価 |
| 大量の資材から、要注意箇所を優先順に並べる | 患者・医療従事者にどう受け取られるかの読み |
左の列は、速く・漏れなくやることに価値があり、AI の得意分野です。右の列は、文脈を読み、意味を評価し、責任を負う仕事で、いまの AI がいちばん苦手とするところです。とりわけ「この言い方が誇大にあたるか」は、同じ語でも承認範囲の中なら問題なく、根拠のない場面なら行き過ぎになる ── 文脈しだいで白黒が反転します。この反転を読むのは、当面、人の仕事です。
限界を正しく置くと、AI への向き合い方も定まります。AI の出力は「答え」ではなく「下ごしらえ」。まな板に材料を並べてくれる相手であって、味を決める料理人ではありません。この位置づけを崩さないことが、リテラシーの背骨です。
04検証の習慣 ── 「AI が言ったから」を口にしない
限界が分かっても、忙しい現場では、つい出力をそのまま受け取ってしまいます。それを防ぐのは、意志ではなく習慣です。毎回の審査に、いくつかの確かめる動作を織り込んでおく。ここでは三つに絞ります。
- 出典は必ず原典に当たる ── AI が「この論文が根拠」と挙げても、その論文が実在し、実際にその内容を書いているかを自分で確かめる。ハルシネーションがいちばん出やすいのが、この出典まわり
- 承認情報は自分の手元で照らす ── 効能・効果、用法・用量、警告・禁忌は、AI の記憶ではなく、最新の承認された文言で突き合わせる。AI の学習は、いつも少し古い
- 「問題なし」ほど疑う ── 逸脱の指摘より、「異常なし」の出力こそ危ない。見逃し(=危険な文を通す)は、指摘が無いという形で静かに紛れ込む。合格の結論は、当たりを付けて自分で確かめ直す
この習慣を一言でまとめると、「AI が言ったから」を判断の理由にしないということです。第 4 回で「作る役と検める役は分ける」と述べました。ここでは、AI が検めた結果を、さらに人が検める。二重にするのは面倒に見えて、AI 生成の資材では省けない工程です。速く下ごしらえできた分の時間を、この確かめに回す ── そう考えると、順序を誤りません。
05誤用の防止 ── やってはいけない使い方
リテラシーには、正しい使い方を知ることと同じくらい、やってはいけない使い方を知ることが含まれます。禁止を先に押さえるのは、第 4 回でルール設計に用いたのと同じ考え方です。審査の現場で起きやすい誤用を、類型で挙げておきます。
① 自己承認 ── AI に資材を作らせ、同じ AI に「問題ないか」を判定させ、それで通す。作る癖と検める癖が同じなので、同じ穴を素通りする。作る主体と検める主体は必ず分ける。
② 責任の転嫁 ── 「AI が通したから」を、承認の理由にする。判断の責任は、どんな場面でも人にある。AI は理由づけの道具ではない。
③ 機密の持ち出し ── 未公表の承認申請情報や患者データを、外部の AI サービスに無防備に入力する。何が社外に出てよい情報かを、使う前に線引きする。
④ 取引条件の混入 ── AI に販促文を書かせ、「お得」「今なら」といった取引の誘引を混ぜてしまう。医療用医薬品の情報提供と、取引の話は領域が違う。
四つ目は、AI 特有というより、資材そのものの境界の話です。念のため確かめておきます。医療用医薬品の情報提供を担う MR(=医薬情報担当者)が扱えるのは、あくまで製品の情報提供です。価格・在庫・納期・受発注・値引き交渉といった取引は、MR の領域ではありません。それらは医薬品卸と病院の購買部門のあいだで動くものです。AI に文章を作らせると、学習データに多い販促的な言い回しへ引っ張られ、この線を越えやすい。だから審査員は、AI が書いたものほど、取引の誘引が紛れていないかを目で確かめます。
これらの誤用に共通するのは、楽をしたい気持ちが、判断や責任を AI に肩代わりさせようとする点です。AI は下ごしらえを肩代わりできても、判断と責任は肩代わりできません。ここを取り違えないことが、誤用を防ぐいちばんの柵になります。
06育成 ── リテラシーは、個人技から組織の力へ
ここまでは審査員一人の話でした。しかし AI リテラシーを一人の勘に頼らせると、その人が抜けたとたんに現場は AI を使いこなせなくなります。属人的な技を、組織の共通の力へ育てる ── ここまで含めて、リテラシーの設計です。段階で整理します。
癖を共有する
第 2 節の四つの癖を、審査チーム全員の共通認識にする。「AI はこういうときに間違える」を、一部の詳しい人だけでなく、全員が言えるようにする。
手順に埋め込む
出典の確認、承認情報の照合、合格結論の再確認 ── 第 4 節の習慣を、個人の心がけでなく審査手順(SOP)に書き込む。誰がやっても同じ確かめが働くようにする。
失敗を教材にする
AI を過信して起きかけた見逃し、ハルシネーションに気づいた事例を、隠さず記録し共有する。前回の監査証跡・CAPA の仕組みに載せ、次の審査に生かす。
更新し続ける
AI の性能も、薬機法の運用も、承認情報も変わる。去年の常識が今年は穴になる。リテラシーは一度身につけて終わりでなく、更新し続ける生きた力として扱う。
この四段階の底を流れているのは、リテラシーを個人の才能でなく、組織の手順にするという発想です。優れた審査員の勘を、そのまま尊いものとして放っておかない。手順に翻訳し、教材にし、更新する。そうして初めて、AI を使いこなす力は、人が入れ替わっても失われない組織の資産になります。これは、次回のガバナンスの話へまっすぐつながります。
07他章との接続 ── リテラシーは道具と体制をつなぐ
本回の AI リテラシーは、道具の話(前半の巻)と体制の話(次回以降)のあいだをつなぐ蝶番です。関連する回と、次のように読み合わせると、理解が立体になります。
- AI資材審査 第 6 回 ── AI審査支援ツールの実力と限界 ── 道具そのものの実力と限界を見た回。その道具を「使う人の力」で受けるのが本回。道具と使い手は、いつも一組で考える
- AI資材審査 第 7 回 ── 審査記録・監査証跡とAI ── 本回の「失敗を教材にする」育成は、前回の監査証跡と CAPA の仕組みの上で回る。記録があるから、見逃しを次に生かせる
- AI資材審査 第 9 回 ── AI時代の審査体制とガバナンス ── 個人のリテラシーを組織の力へ育てた先に、体制とガバナンスがある。次回はその全体設計へ進む
- AI Programming 第 1 回 ── コード生成の基礎 ── AI が書いたコードを人が検証する骨格は、AI が検めた資材を人が検め直す本回とまったく同じ。作る側も審査側も、確かめる責任は AI に渡せない
AI 審査支援ツールは、審査員を置き換える道具ではありません。審査員の手を速くする道具です。速くなった分だけ、確かめる責任はむしろ重くなります。この非対称を引き受けられるかどうかが、AI リテラシーの核心です。相手の四つの癖を知り、任せてよい下ごしらえと、渡してはいけない判断を分け、「AI が言ったから」を口にせず、やってはいけない使い方を先に禁じる。そして、その力を一人の勘に留めず、組織の手順へ育てる。
難しい技術は要りません。要るのは、道具を道具として正しく扱う構えです。AI は、もっともらしい下ごしらえを驚くほど速く並べます。だからこそ、体裁に信用を預けず、意味と根拠を人が確かめる。次回は、この個人の力を受け止める器 ── AI を組み込んだ審査体制とガバナンスの全体設計へ進みます。
- AI 審査支援ツールの価値は、道具そのものより「使う人がその癖を分かっているか」で決まる。過信(AI が問題なしと言ったから通す)も不信(全部疑って結局手作業)も、使いこなせていない姿。AI の四つの癖 ── 確率で書く/平気で嘘をつく(ハルシネーション)/学習データに引きずられ古い/同じ問いに揺れる ── を知ることが、そのまま検証の手順になる。
- AI に任せてよいのは、禁止語の洗い出しや文言の突き合わせといった「下ごしらえ」。人が抱えるのは、その表現が文脈の中で本当に誇大か(第 66 条)、承認範囲を出たか、といった「最終判断」。同じ語でも承認範囲の中なら問題なく、根拠が無ければ行き過ぎ ── この文脈の反転を読むのは人の仕事。出典は原典に当たり、承認情報は手元で照らし、「問題なし」ほど疑う。
- 避けるべき誤用は、①自己承認(作る AI に検めさせる)②責任の転嫁(AI が通したからを理由にする)③機密の持ち出し ④取引条件の混入。MR は情報提供に限られ、価格・在庫・納期など取引は扱わない ── AI は販促的表現に引っ張られるので特に注意。リテラシーは個人の勘に留めず、癖の共有・手順への埋め込み・失敗の教材化・更新の四段階で組織の力へ育てる。
- UNESCO. Guidance for generative AI in education and research. UNESCO, 2023.(教育・研究における生成 AI 活用の国際的指針。AI リテラシーと、人間の判断・責任の位置づけを示す)
- World Health Organization. Ethics and governance of artificial intelligence for health: Guidance on large multi-modal models. WHO, 2024.(医療分野の大規模 AI 活用に関する倫理・統治指針。過信への警告と人による監督の必要性)
- Ji, Z. ほか. Survey of Hallucination in Natural Language Generation. ACM Computing Surveys, Vol. 55, No. 12, 2023.(生成 AI のハルシネーションを体系的に整理した総説。出典・事実の誤りがなぜ起きるか)
- 厚生労働省. 医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法)第 66 条・第 68 条・第 68 条の 2.(誇大広告の禁止、承認前医薬品等の広告禁止、販売情報提供活動における情報提供の適正化の各条文)
- 厚生労働省 医薬・生活衛生局長. 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン. 薬生発 0925 第 1 号, 2018 年 9 月 25 日(2019 年 4 月 1 日適用).(情報提供活動の対象・方法・体制を定めた一次資料。MR が扱える範囲の根拠)
- 厚生労働省 医薬・生活衛生局 監視指導・麻薬対策課長. 医薬品等適正広告基準の解説及び留意事項等について. 薬生監麻発 0929 第 6 号, 2017 年 9 月 29 日.(適正広告基準の各条項の解釈と運用上の留意点。発出者は監視指導・麻薬対策課長)