01指摘して、返して、終わり?
赤字の入った資材が、担当者の手元に戻る。指摘は正しい。元データとも合っている。なのに、受け取った人の表情が硬くなり、会話が静かに閉じていく。正しさは、そのままでは届かない。この回は、そこから始める。
マーケティング担当者の机に、私の差し戻しメールが届いた瞬間を想像してみる。本文には、効能の表現が元の臨床データの範囲を超えている、という指摘。根拠も条文番号も添えてある。論理は通っている。私は仕事をした、つもりでいた。けれど画面の向こうで、その人はおそらく一度、息を止めている。半年かけて練ったキャンペーンの、いちばん言いたかった一行に、赤が入っているからだ。
第13回で、私たちは「勝ち負けを越える」「one team(=審査する側とされる側が、対立ではなく同じ目標に向かう一つのチーム)になる」と書いた。受け入れは屈服ではなく、相手の指摘の中に自分が見落としていた受け手の像を見つけることだ、と。その考えは今も変わらない。だが、one team であっても、指摘は出しただけでは届かない。同じ目標を向いているはずの二人が、一通のメールで黙り込む。私はそれを何度も見てきた。
そこで、この回の問いを立てる。資材審査の仕事は、指摘をして返したら、それで終わりなのか。正論は正しいのだから、相手は受け取って直すはずだ——この前提は、たぶん間違っている。正しさと、相手の中で像が結ばれることのあいだには、思っているより深い溝がある。指摘を「届ける」とは何をすることなのか。出して終わりにしないために、私たちは何を準備すべきなのか。
三人目のことを忘れたくない。私が守りたいのは、目の前の担当者の面子でもなければ、自分の判断の正しさでもない。最後にその資材を手にする医療者と、その先にいる患者だ。だからこそ、指摘は届かなければ意味がない。返した時点で満足するのは、見直し(=資材を調べて適否を返すだけの仕事)の発想だ。私がこの回で書きたいのは、そこから一歩進んだ場所のことだ。
02譲れない一線
差し戻しを書きながら、私はいつも一つの線を探している。資材のどこを直してほしいのか、ではない。この担当者にとって、ここだけは触れられたくない、という譲れない一線がどこに引かれているのか、を探している。譲れない一線(=そのキャンペーンや表現の核で、担当者が時間と自負を注ぎ込んだ部分)は、たいてい資材のいちばん目立つコピーや、最初の企画会議で決まった「これでいこう」の一文に宿っている。そこを否定する指摘は、文章の精度の話としては受け取られない。自分という働き手の像が揺さぶられた、として受け取られる。
だから正論が弾かれる。私の指摘が販提G(=医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン)の条文に照らして正しくても、相手の顔がこわばる瞬間がある。内容の正しさと、相手の受け取りやすさは、別の回路で動いているからだ。ダグラス・ストーンとブルース・パットン、シーラ・ヒーン(=『話しにくいことを話す』を書いた交渉教育の研究者たち)は、難しい会話には三つの層が重なっていると言う。何が起きたかをめぐる「事実の会話」、その時の「感情の会話」、そしてもう一つ、「これは自分が有能な人間かどうかの話だ」と当人が感じてしまう「アイデンティティ会話(=自己像をめぐる会話)」だ。譲れない一線を越える指摘は、本人の中で勝手にこの三つ目の層へ滑り落ちていく。私は資材の一行を直したいだけなのに、相手は自分の根を守る戦いを始めてしまう。すれ違いはここで生まれる。
ではなぜ、人はそこまで頑なに守るのか。強情だからではない、と私は思うようになった。アモス・トベルスキーとダニエル・カーネマン(=意思決定の心理を研究した二人。後者はノーベル経済学賞を受けた)が示した損失回避(=人は同じ大きさなら、得る喜びより失う痛みを重く感じるという性向)を思い出す。担当者にとって、企画の核を否定されることは、新しく何かを得る話ではない。すでに手にしたもの、つまり費やした時間、通した稟議、社内で背負った期待を奪われる話だ。得るより失うが重い。だから抵抗は、人格の問題ではなく、人間の心の傾きそのものから来ている。そう捉えると、こちらの構えも変わる。
正しさを大きくしても、この壁は越えられない。むしろ正しさを足すほど、相手の損失感は膨らむ。だとすれば、譲れない一線を越える指摘には、内容の正確さとはまったく別の準備が要る。相手の体面をどう守るか、相手がまだ気づいていないリスクをどう静かに手渡すか、そして伝える私自身がどう在るか。何を言うかは、もう半分でしかない。残りの半分の話を、次の章でする。
03体面を守るのは、当然のこと
指摘は、会議室の机の上だけに落ちるのではない。同僚が並んで座り、上司が腕を組んで聞いている、その空気の中に落ちる。マーケティング担当者には、その場で守らなければならない立場がある。立場が崩れると感じた瞬間、人は指摘の中身を聞かなくなる。内容以前に、もう届いていない。
私は何度か、それを見落として失敗した。正しいことを言ったのに、相手の顔が固くなる。後で気づく。あの指摘は、彼が部下の前で「自分の案が浅かった」と認める形を、私が無造作に作ってしまっていた。中身は合っていた。届け方が、相手の体面(=その人の面子・立場、人前で保ちたい自分の像)を踏んだ。
社会学者のアーヴィング・ゴッフマン(=Erving Goffman、対面のふるまいを演劇になぞらえて分析した研究者)は、人は誰しも他者の前で自分の像を演じ、それを保とうとすると書いた(The Presentation of Self in Everyday Life, 1959)。職場の会議は、まさにその舞台だ。言語学のペネロピ・ブラウンとスティーヴン・レヴィンソン(=Penelope Brown / Stephen C. Levinson)は、これをさらに細かく分けた。人にはフェイス(=相手に認められたい・邪魔されたくないという二つの面子)があり、指摘や反対は本質的にそのフェイスを脅かす行為、すなわちフェイス侵害行為(=相手の面子を傷つけうる発言)なのだと(Politeness: Some Universals in Language Usage, 1987)。だから指摘には、必ず緩和の言葉がいる。前置き、ねぎらい、相手の意図への理解。それは小手先ではなく、人と人が言葉を交わすための土台だ。
ただ、ここで止まってはいけない。体面を守ることは、指摘を届けるための最低条件であって、到達点ではない。面子を傷つけずに済んだからといって、それで「いい資材になった」と双方が思えるわけではない。傷つけないことと、相手が本当に受け取ることの間には、まだ距離がある。配慮は扉を開けるだけで、扉の向こうに何を手渡すかは別の問題だ。
では、何が足りないのか。私が次に学んだのは、相手がまだ見えていない未来、つまりその表現が世に出た後に起きうることを、脅しではなく像として、静かに相手の頭の中に結ばせる準備だった。体面を守ったうえで、もう一歩。そこから先を、次の章で書く。
04露呈するリスクを、そっと手渡す
差し戻しの本文に、私はこう書きかけて、手を止めたことがある。「この表現は逸脱です」。間違ってはいない。だが、その一行を受け取った相手の顔が浮かんだ。マーケティングの担当者にとって、その一文は資材の一行ではなく、何ヶ月もかけて練ったキャンペーンの心臓だった。正論は正しい。正しいだけでは、相手の手は止まっても、相手の納得は動かない。
そこで私は、書き方を変えた。「逸脱です」と告げるのをやめ、問いに置き換えた。「この一文が世に出たあと、競合の学術担当や、現場の薬剤師がこれを読んだら、どこを突いてくると思いますか」。シャイン(=Edgar Schein、組織心理学者)が言う謙虚な問いかけ(=答えを自分が握って告げるのでなく、相手自身に気づいてもらうための問い)だ。断定は相手を守りに入らせる。問いは、相手の頭の中に、まだ見えていない未来の像を静かに結ばせる。その表現が見抜かれ、相手自身が説明に追われ、苦しい立場に立たされる。その未来を、脅しとしてではなく、相手を守るための想像として手渡す。
手渡し方にも作法がいる。ローゼンバーグ(=Marshall Rosenberg、非暴力コミュニケーションの提唱者)の枠組み、すなわち観察・感情・必要・要求(=事実を見たまま述べ、自分の懸念を伝え、何が要るかを示し、頼む)を借りれば、指摘は「あなたの否定」ではなく「私たちが共有する心配」に変わる。なぜその一線が要るのかは、私の感想ではない。厚労省の販提G(=販売情報提供活動ガイドライン、2018)と、WHOの医薬品プロモーション倫理基準(=医薬品の宣伝が守るべき国際的な倫理の物差し、1988)に書いてある。規範を脅しの棒として振るうのではなく、二人で読む光として机に置く。
| 軸 | 指摘して返すだけ | 共に仕上げる |
|---|---|---|
| 対象 | 資材の文面 | 文面の向こうにいる受け手(=医療者・患者) |
| ゴール | 逸脱をなくす | 世に出ても揺るがない一枚にする |
| 問い方 | 「ここは言いすぎです」と告げる | 「読んだ人はどこを突くでしょう」と問う |
| 相手の反応 | 防御・反論・面子の応酬 | 自分で危うさに気づき、直したくなる |
| 残るもの | 勝ち負けと禍根 | 「いい資材になった」という双方の達成感 |
未来を問いで描く
「逸脱です」と断じる前に、「世に出たあと誰が、どこを見抜くか」を問う。判断を下すのは私でなく、相手の想像力に委ねる。
一次資料を盾でなく光として置く
販提Gの条項を「だからダメ」の棒にしない。「ここに照らすとどう読めるか」と、二人で同じ文を見るための明かりにする。
逃げ道を一つ残す
全否定は退路を断ち、人を意地にさせる。表現の核を生かす別の言い方を一つ添え、相手が面子を保ったまま動ける道を開けておく。
決めるのは相手、と委ねる
最後の一筆は作成者のものだ。私は危うさの像を手渡すだけ。直す主語を相手に返したとき、指摘は共に仕上げる仕事(=問いで引き出し支える関わり)へ変わる。
こうして手渡された指摘は、突きつけられた刃ではなく、差し出された手になる。相手は守りを解き、自分の判断として直しにかかる。指摘した私も、された担当者も、刷り上がった一枚を見て同じことを思える。いい資材になった、と。
05何を言うかより、どう在るか
同じ言葉でも、目線の置き方、声の高さ、沈黙をどこに落とすかで、まったく違うものになって相手に届く。「ここは確認させてください」という一文が、ある時は相談になり、ある時は詰問になる。文字は同じなのに。違いは、文面の外側にある。
差し戻しメールを書き終えて、送信ボタンの前で一度止まる。私はこの指摘を、どんな顔で、どんな声で口にするつもりだろう。会議で読み上げる場面を想像すると、自分が早口になっているのに気づく。間(ま)(=言葉と言葉のあいだに置く沈黙)を恐れて畳みかけている。沈黙が怖いから、根拠を次々に積み重ねてしまう。だが受け手からすれば、それは逃げ場のない追い込みに見える。間を置く勇気がないと、指摘は正しさの量で相手を押し切る作業になってしまう。
俳優は鏡の前で台詞を繰り返す。交渉者も、本番の前に言い方を何度も試す。エリクソン、クランペ、テシュ=レーマー(Ericsson, Krampe & Tesch-Römer, 1993)(=熟達は才能でなく意図的な反復練習で育つと示した研究者たち)が言うのは、技能は意図的な繰り返しで伸びるということだ。届け方も技能の一つなら、訓練できる。鏡を見て話すように、自分の届け方を前夜に一度整えておく。何を言うかは資料を読めば決まる。どう在るかは、準備した分しか出てこない。
アリストテレス(=古代ギリシャの哲学者)は説得を三つに分けた。ロゴス(logos=筋の通った中身)、パトス(pathos=相手の感情への配慮)、エートス(ethos=話し手その人の在り方・信頼)。私たちは資料の正しさ、つまりロゴスばかり磨く。だが相手が身構えているとき、効くのはむしろエートスとパトスだ。何を言うかだけでなく、どう在るか、相手が今どう感じているか。そこを整えて初めて、ロゴスが相手の中に入っていく。そしてその先に立っているのは、この資材を受け取る医療者と、その向こうの患者だ。私の在り方は、最終的にその人たちのために整える。
| 軸 | 言葉の準備だけ | 在り方まで準備 |
|---|---|---|
| 準備の対象 | 指摘の根拠・条文・データ | 根拠に加えて、表情・声・間の置き方 |
| 前夜にすること | 論点を箇条書きで揃える | 論点を揃え、口に出して一度通し、詰問になっていないか聞き直す |
| 本番の沈黙 | 怖くて埋める。根拠を畳みかける | 相手が考える時間として、あえて置く |
| 相手が感じるもの | 追い込まれている、論破されている | 一緒に考えてもらえている、守られている |
本番の前に、自分に四つ問う。準備とは、この問いに答えられる状態で部屋に入ることだ。
この指摘で相手の何を守れるか
相手を負かすためでなく、相手がこの先さらされかねない苦しい立場から守るための指摘か。守る対象を一つ言えるか。
私の声と表情は詰問になっていないか
同じ内容を、相談する声でも言える。語尾が問い詰めになっていないか、口に出して確かめたか。
間を置く勇気があるか
沈黙を埋めずに待てるか。相手が考える数秒を、根拠で塗りつぶさずに残せるか。
私はこの場で何で在りたいか
ただ見直して正誤を宣告する人か、それとも一緒にいい資材へ仕上げる人か。どちらの自分で座るかを決めてから入る。
06共に仕上げる仕事へ
長いあいだ、私は自分の仕事を見直しだと思っていた。資材が回ってくる。基準に照らす。逸脱があれば赤を入れて返す。それで一区切り、のはずだった。けれど、指摘は出して終わりではない。返した先で、相手がどう受け取り、どう作り直すか。そこまでが私の仕事の射程に入ってきた。ただ見直すだけでは、もう足りない。
近ごろの私が当てているのは、共に仕上げる(=判定を下して返す代わりに、相手自身が答えに辿り着くのを問いかけながら隣で支え、最後まで付き合うこと)という別の像だ。答えを握って宣告し、立ち去る人は、相手の代わりには考えてくれない。直すのはあくまで本人で、こちらはその力を信じ、行き詰まった局面で問いを差し出し、仕上がるまで傍らに居続ける。いい資材を生むのは作成者であって、審査者の私ではない。私にできるのは、その人が自分で良いものに辿り着く道を、隣で照らすことだけだ。
そして、この「共に仕上げる」の根にあるのは、審査する側が、資材を作った相手を想う気持ちだ。半年その一行に向き合った時間、社内で背負った期待、直したくない理由——それを、敵の言い分としてではなく、守りたい事情として想う。正しさを、相手を負かす道具に使うのか、相手を想って差し出すのか。同じ指摘でも、根にある想いが違えば、相手への届き方はまるで変わる。
| 観点 | 見直し(=判定して返す) | 共に仕上げる(=問いで引き出し支える) |
|---|---|---|
| 誰が主役か | 判定する審査者 | 生み出す作成者 |
| やり取りの終点 | 適否を返した時点 | 相手が納得して仕上げた時点 |
| 指摘の性質 | 欠陥の通告 | 気づきの手渡し |
| 残るもの | 直された資材 | 双方の達成感と次への学び |
共に仕上げる関係が成り立つには、条件がいる。ケリー・パターソンら(=『重要な対話』の著者たち)は、難しい話し合いが壊れない鍵を相互目的(mutual purpose=あなたと私が同じゴールを見ている、という共有された感覚)と安全な場に置いた。「あなたの表現を潰したいのではない、二人とも患者に誤解なく届く資材を作りたいのだ」。その一点が伝わって初めて、相手は防御を解いて私の指摘を受け取れる。ダグラス・ストーンとシーラ・ヒーン(=『フィードバックを受け取る技術』の著者)も、フィードバックは送る技術だけでは届かず、受け取られる構造(=相手の側に「受け取ってもいい」と思える足場があること)が要ると書いた。指摘される側が「いい資材になった」と思える達成感は、この足場の上にしか立たない。
そしてこの足場は、第01章で触れた one team の続きでもある。エイミー・エドモンドソン(=組織研究者)の言う心理的安全性(psychological safety=ここでは失敗や反論を口にしても罰せられないという集団の信頼)があるとき、指摘は罰ではなく学びに変わる。罰として届いた赤字は、相手を縮ませるだけだ。学びとして届いた赤字は、二人で資材を育てる材料になる。ここまでの土台を備えて初めて、指摘は勝ち負けを越えていく。
07「いい資材になった」と、二人が思える日
最初は一通の差し戻しだった。最後は、同じ言葉を二人が口にする。「いい資材になりましたね」——そう言ったのは、最初に差し戻された側の担当者だった。私も、ほとんど同じ手応えを持っていた。指摘した側と、された側が、同じ景色を見ている。第01章で温度の上がっていったあのメールの、ちょうど裏返しの場面だ。
仕上がった資材を画面に映しながら、マーケティング担当者が言った。「ここ、最初は譲れないと思ってたんですよ」。彼が"譲れない一線"と呼んでいた表現は、いまは別の形になっている。弱くなったのではない。世に出た後に誰かに見抜かれて、彼自身が苦しい立場に立つ未来。その像が消えた分だけ、表現はむしろ強くなった。私が念入りに準備したのは、正論を磨くことではなく、その未来の像を彼の頭の中に静かに結ばせることだった。脅しではなく、彼を守るための想像の手渡し。シャインの言う謙虚な問いかけが、見直しを、共に仕上げる仕事に変える。
では、最初の問いに答えよう。資材審査の業務は、指摘をして終わりなのか。終わりではない。指摘を出した瞬間は、まだ半分だ。残りの半分は、それが相手に受け取られ、相手の判断に取り込まれ、二人で資材を仕上げ直すところまで続く。フィードバックは「送る技術」だけでは完成せず、「受け取られる構造」があって初めて成り立つ。送りっぱなしの正論は、宙に浮いて落ちるだけだ。
第01章で触れた one team は、きれいな理念のままでは現場で機能しない。今回それは「届ける覚悟」という具体に変わった。体面を守るのは当然の配慮で、それだけでは足りない。露呈するリスクを想像として手渡し、何を言うか(logos)に加えて、どう在るか(ethos)を鏡の前で整える。そこまで備えて初めて、指摘は勝ち負けを越えて、双方の達成感に着地する。アリストテレスが説得の三要素として ethos・pathos・logos を並べたのは、中身だけでは人は動かないと知っていたからだろう。そして達成感の真ん中には、いつも三人目がいる。この資材を手に取る医療者と、その先の患者だ。二人が「いい資材になった」と思えた時、守られているのは私たちの面子ではなく、その三人目の判断である。
- 譲れない一線を越える指摘は、内容の正しさだけでは届かない。相手の体面を守り、世に出た後に露呈するリスクを「想像」として手渡す。脅しではなく、相手を守るために。
- 何を言うか(=logos)に加えて、どう在るか(=ethos)——表情・声・間(ま)を鏡の前で準備する。届け方は意図的な反復で育つ。
- 見直し(指摘して返す)から、共に仕上げる仕事(問いで引き出し支える)へ。指摘した側もされた側も「いい資材になった」と思えて初めて、指摘は完了する。
- Kerry Patterson, Joseph Grenny, Ron McMillan, Al Switzler. Crucial Conversations: Tools for Talking When Stakes Are High. McGraw-Hill, 2002 (2nd ed. 2011). (相互目的と安全な場づくり=相手が防御に入らず受け取れる条件。共に仕上げる関係が成り立つ前提)
- Douglas Stone, Bruce Patton, Sheila Heen. Difficult Conversations: How to Discuss What Matters Most. Viking (Penguin), 1999. ("譲れない一線"=アイデンティティ会話の扱い。自己像の揺れに配慮して届ける理論的支柱)
- Douglas Stone, Sheila Heen. Thanks for the Feedback: The Science and Art of Receiving Feedback Well. Viking (Penguin), 2014. (フィードバックは「送る技術」だけでなく「受け取られる構造」を要する、の論拠)
- Marshall B. Rosenberg. Nonviolent Communication: A Language of Life. PuddleDancer Press, 2003. (観察・感情・必要・要求。否定でなく共有としてリスクを手渡す手法)
- Edgar H. Schein. Humble Inquiry: The Gentle Art of Asking Instead of Telling. Berrett-Koehler, 2013. (断定でなく問いで気づきを引き出す=見直しから共に仕上げる関わりへの方法論)
- Erving Goffman. The Presentation of Self in Everyday Life. Anchor Books (Doubleday), 1959. (体面・面子・自己呈示の社会学。立場を守る配慮の理論的裏づけ)
- Penelope Brown, Stephen C. Levinson. Politeness: Some Universals in Language Usage. Cambridge University Press, 1987. (フェイス概念とフェイス侵害行為。指摘をどう緩和して届けるかの言語学的基盤)
- Amos Tversky, Daniel Kahneman. Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk (Econometrica, Vol. 47, No. 2). The Econometric Society, 1979. (損失回避。担当者の抵抗を、利得より損失を重く感じる性向として説明)
- K. Anders Ericsson, Ralf Th. Krampe, Clemens Tesch-Römer. The Role of Deliberate Practice in the Acquisition of Expert Performance (Psychological Review, Vol. 100, No. 3). American Psychological Association, 1993. (熟達は意図的反復で育つ。表情・声・間の事前準備の根拠)
- Aristotle (George A. Kennedy 訳). Aristotle: On Rhetoric, A Theory of Civic Discourse. Oxford University Press, 1991 (原著 紀元前4世紀頃). (説得の三要素 ethos/pathos/logos。中身だけでは人は動かない、本稿の中心命題)
- Amy C. Edmondson. Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams (Administrative Science Quarterly, Vol. 44, No. 2). SAGE / Cornell University, 1999. (指摘が罰でなく学びになる前提=双方の達成感の土台)
- 厚生労働省 医薬・生活衛生局. 医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン. 厚生労働省(医薬・生活衛生局長通知), 2018. (資材審査が拠って立つ規範一次資料)
- World Health Organization. Ethical Criteria for Medicinal Drug Promotion. World Health Organization, 1988. (医薬品プロモーション倫理の国際基準。世に出た後に見抜かれるリスクの判断軸)